『魔界塔士Sa・Ga』で方々で主人公たちの行く手に現れ、アドバイスをするシルクハット姿の神は、「悪魔を打ち倒すヒーロー(英雄)が欲しい」と望み、『サガ フロンティア』で魅惑の君と呼ばれ、あらゆる者を魅了する力を有する、上級妖魔にして妖魔のリージョン、ファシナトゥールの針の城の主であるオルロワージュ。
彼らはある種の「創造者」であるがその強さに依存しすぎているためか、「欲のままに生き、己に関わる全てを支配し、自身の苦悩を周囲に対して良からぬ影響を及ぼしてしまう」という、手塚治虫が明言し戒めた、「作家は権力の側に立ってはならない」、という理由を示唆した人物でもあり、その生き方や最初に愛した人である零姫(零)を想い続け、転生の法を使ってファシナトゥールを脱出した際にアセルスを巻き添えにしてしまい、今でも零姫を探す心を燻らせている姿は、零姫曰く「並みの男と変わらない」とのことで、オルロワージュもアセルス編の「妖魔エンド」では「ヒーロー(英雄)が欲しい」と望む姿が『魔界塔士Sa・Ga』のシルクハット姿の神と同じで、その先にある「妖魔エンド」で語られるのは、「強大な力に屈することなく己を見失うことなく、仁義礼智信や惻隠の心を保ち続けた真の強者への道」とは違う道を選んでしまうという、現実世界の我々への問題提起となっています。
例えば、今の日本の現政権は、沖縄に住む人々や社会的弱者を顧みず、仁義礼智信や惻隠の心が無いから、強大な力に屈し、己を見失い、経済の事ばかりで『ロマンシングサガ』のサルーインみたいなのが政治をやっている終末感が透けて見え、手塚治虫が明言した「作家は権力の側に立ってはならない」、という戒めを安易安直に破る人間性で創作を行うような「思考停止」で、現政権に所属している党員は『ロマンシングサガ』に登場する四天王みたいに勇気があるのかと問い詰めたくもなりますし、『ロマンシングサガ』の四天王がサルーインから離れた理由は、サルーインの「人間性」が
「基本的人権を虚仮(こけ)にしてはならない」、
「戦争や災害の被害者を虚仮にしてはならない」、
「特定の職業を虚仮にしてはならない」、
「国民や障害を持っている人々や社会的弱者を虚仮にしてはならない」、
「作家は権力の側に立ってはならない」
ということを自戒できず、大日本帝国と同じように「仁義礼智信や惻隠の心がないから、強大な力に屈した」からだとしか思えません。
このことは、私の『機動戦士ガンダムUC』や『機動戦士ガンダムサンダーボルト』が嫌いという理由にも当てはまり、リディ・マーセナスが好かれない理由の1つに「リディ・マーセナスは福井晴敏の分身」というのがあり、これは手塚治虫が明言した「作家は権力の側に立ってはならない」、という戒めを安易安直に破る人間性で創作を行うような「思考停止」だからだと納得できますし、手塚治虫に対する敬意がある安彦良和氏が、基本的人権を虚仮にする福井晴敏の『機動戦士ガンダムUC』でマリーダが精神に障害があるという理由だけで酷い目に遭う場面を描けと言われて大激怒したのは、「基本的人権を虚仮(こけ)にしてはならない」、「戦争や災害の被害者を虚仮にしてはならない」、「国民や障害を持っている人々や社会的弱者を虚仮にしてはならない」に当てはまっているからなので、安彦良和氏は正しいです。
惻隠(そくいん)の情:
「弱者、敗者、虐げられた者への思いやりと共感」という意味で、
「人を思いやる心」
『フロントミッション3』の武村和輝に『サガフロンティア』のアセルス編の「妖魔エンド」みたいな結末が主人公に与えられていないのは、『フロントミッション3』の物語の「主人公の心の成長をプレイヤーが追っていく」という性質が『ライブアライブ』の「近未来編」と共通し、田所晃やサモ・ハッカ同様、「己自身の強大な力に屈することなく己を見失うことなく、仁義礼智信や惻隠の心を知り、学び、保ち続けた真の強者への道」を時には迷いながら探すためにも、『サガフロンティア』のアセルス編の「妖魔エンド」が予め描かれていたという解釈もできます。
仁:思いやり
義:人としての道を踏み外さない
礼:礼儀作法を守ること
智:正しい判断・知恵
信:信頼・誠実