合理化と完璧主義の問題点に関する議論が1時間以上堂々巡り状態に陥ると、手塚治虫の『火の鳥』みたいですね、という皮肉が思い浮かび言いたくなることがあります(特に未来編と異形編)が、『サガ・フロンティア1』のアセルス編の「妖魔エンド」以外でのラスボス戦前の会話は、堂々巡りの終わりというべきか、『魔階塔士サガ』のラスボス戦前の会話のリスペクトと言える内容だと想うことがあります。






アセルス編のラスボスの発言は、『魔階塔士サガ』のラスボスの思想に近く「もっと欲のままに生き、己に関わる全てを支配し、自分自身の苦悩や恐怖を、周囲にまき散らす」という思想で、それに対する「妖魔エンド」以外でのアセルスの思想は、「強大な力に屈することなく己を見失うことなく、惻隠の心を保ち続けた真の強者への道を選べた」という事であり、



人間エンドの「貴方(ラスボス)にとっては人間も妖魔もつまらない存在ですが、皆、血の色が赤でも青色でも生きている」と、





半妖エンドでは、
私は私。妖魔の血が混ざってもそれは変わらない妖魔からは半人と人間からは半妖と言われても、それでも私は自分が好き苦しんだり、悩んだりすることも、それも私なのだからそれで良いとわかったから、これからもこの運命と共に生きていく」とラスボスに言い、最後に「もっと欲のままに生きたければ自分でどうぞ、私は貴方のコピーではありません」、






と語る「人間エンド」と「半妖エンド」のアセルスに、私は『火の鳥 黎明編』のウズメの姿が重なり、『ファイナルファンタジーⅥ』のティナ・ブランフォードに対する敬意であり、後の『フロントミッション3』の武村和輝に引き継がれた何かを感じさせてくれます。







仁:思いやり
義:人としての道を踏み外さない
礼:礼儀作法を守ること
智:正しい判断・知恵
信:信頼・誠実





惻隠(そくいん)の情
「弱者、敗者、虐げられた者への思いやりと共感」という意味で、
「人を思いやる心」




北欧神話絡みの「ヴィゾフニルとレーヴァテイン」の堂々巡りに対する私の場合の答えは、『女神転生』シリーズの影響もあるかもしれませんが、「意思疎通と丁寧な交渉」というのも解答の1つであると思いますし、アニメ版『火の鳥 未来編』の展開・結末も数巡回した後の世界であると私は想っています。