それは、魔をはらって大仏殿の安泰をねがう鬼瓦という生やさしいものではなかった。人の暗い心をはげしく叱り、またちっぽけな人間を笑いとばしてその小ささを思い知らせる、仏をこえた『鬼』。その『鬼』がたしかにそこにいた。
(略)
我王の鬼瓦は、鬼瓦自体が『神』と呼べる領域に達していた。人の心を真に恐れさせるという点で。
小説 火の鳥【鳳凰編】(大林憲司・ポプラ社) 138ページより
今日も昨日図書館で借りた、手塚治虫先生の『火の鳥』の小説版と、甲冑関係の書籍である高平鳴海著『図解防具の歴史』(新紀元社)と三浦権利氏の『西洋甲冑ポーズ&アクション フルカラー改訂増補版』(グラフィック社)をネットサーフィンをしながら読み、手塚治虫原作の小説版『火の鳥』は大林憲司氏の「鳳凰編」(ポプラ社)と山崎晴哉氏の「乱世編(上・下)」(角川書店)を完読しました。
大林憲司氏の「鳳凰編」(ポプラ社)は原作よりは史実により近い設定に、山崎晴哉氏の「乱世編(上・下)」(角川書店)は角川書店・小学館版の方の原作をより「平家物語」に近い展開になっていますが、山崎晴哉氏の「乱世編」は義経が早い段階で「美麗悪魔」と称される気性に変更されており、挙兵したあたりはともかく、義仲に勝った後にはついに他者を使い捨てにするようになり果ててしまう原作版よりも冷たい心の持ち主に改編されています。
逆に弁太はCOM版でのまきじ程ではないとはいえ、さかいあきお氏のイラストでは原作よりは美形で、大鎧を装備している姿が違和感なく、大鎧が弁太の心の美しさを高めているような感じさえしました。
(志田三郎義教)「そうか、知っていたのか……ならば、鎌倉どののところに持っていっても、いいぞ」
(弁慶)「冗談じゃない、他人(ひと)のものを横取りするなんて……」
(志田三郎義教)「なんという高潔の士か……それでこそ誠の武士……」
(弁慶)「いや、おれはあんまり武士になりたくなくて……」
火の鳥 乱世編(下) (山崎晴哉・角川書店) 103ページより
上記の会話は、弁慶こと弁太は、「惻隠の心」と「仁義礼智信」を大切にし、今
で言う「基本的人権を虚仮(こけ)にしてはならない」、「戦争や災害の被害者を虚仮にしてはならない」、「特定の職業を虚仮にしてはならない」、「国民や障害を持っている人々や社会的弱者を虚仮にしてはならない」を尊重し、義経とは対照的な人格者である「ヤマト編」のオグナや原作で400年以上も生きた我王と同じ真の強者への道を歩み、真の賢者になる者として描写されています。
『火の鳥 乱世編』の弁太も剣道が好きな私にとっても剣道家として、尊敬すべき存在なのかもしれません。
仁:思いやり
義:人としての道を踏み外さない
礼:礼儀作法を守ること
智:正しい判断・知恵
信:信頼・誠実
惻隠(そくいん)の情:
「弱者、敗者、虐げられた者への思いやりと共感」という意味で、
「人を思いやる心」
大林憲司氏の「鳳凰編」(ポプラ社)を読んだ後に、山崎晴哉氏の「乱世編(上・下)」(角川書店)を読むと
そう。あなたの魂は美しいものを望んでいたの。でも、あなたは人間であることで、その魂を汚してしまった。だからその魂を汚さないためにも、
小説 火の鳥【鳳凰編】(大林憲司・ポプラ社) 156ページより
という火の鳥の茜丸に対する言葉は、「人間は万物の霊長ではない」と優しく戒めるだけでなく、「小さい時から戦乱に巻き込まれ、木曾に命からがら逃げてきて、追手の影におびえながらも天下取りを目指して馬に乗り、弓矢を鍛えてきた」武芸に秀でているが根は善良な義仲や「温厚な知恵者として反平家の人々からさえも好意を寄せられ自分の子を真摯に大切にする」重盛が何に生まれ変わるのかに関する山崎晴哉氏からの問いでもあるように思えました。
「乱世編」の義経の結末は、苦痛を押し付けられた者たちの願いのようでもあり、平泉に戻った弁太の怒りは鞍馬山に来た時に出会った我王が造った鬼瓦の「人の心の暗い部分を激しく叱り、またちっぽけな人間を笑いとばしてその小ささを思い知らせる、仏をこえた『鬼』」が弁太に憑依したかのようにも感じられます。
手塚治虫先生が描いた義経で私が好きなのは、剣道を始めた頃でもある23年以上も前が初読の、少年時に遮那王と呼ばれることもあった『はりきり弁慶』派です。
これは今でも変わりませんし、角川書店版『火の鳥 乱世編』の義経の結末は読んでいる私でさえ痛みを感じさせる何かがありました。

『はりきり弁慶』のアニメ版『弁慶と牛若丸』の弁慶と義経。
愛嬌がある弁慶と凛々しい義経、2人とも『火の鳥 乱世編』の弁太と同じ優しさが感じられる顔で、各々の甲冑が彼らの優しさをより高めているようにも感じます。
今でも私は『はりきり弁慶』の義経も、ただ強いだけでなく、「惻隠の心」と「仁義礼智信」を守り続ける優しさを持ち続けたからこそ『火の鳥 乱世編』の弁太と同じように生き延び、天寿を全うできたと今でも信じ続けています。
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