故・手塚治虫先生が「真のヒューマニスト」と言われるのは、「人間中心主義」という安易なヒューマニズムではなく、人間以外の生物をも真摯に思いやる「仁・義・礼・智・信」を重んじたからであり、特に『人間ども集まれ!』の終盤での「末来の拒絶」の場面は、絵柄がシンプルだからこそ「人間関係の難しさ」と「(人間以外の生物を含む)他者を使い捨てにすることの危険性」を解りやすく訴えた、心に響く場面です。

手塚治虫がもし今も生きていて、『機動戦士ガンダムUC』や『機動戦士ガンダムサンダーボルト』を読んだら、「弱者の命を蔑ろにし、命(と心)を蔑ろにした愚者が報いを受けない結末のどこが正しいというのですか!」と憤り、必ず嘆くと思います。
「ガンダム」におけるエルピーやマリーダ達プル姉妹、ネーナ・トリニティを「作られたから」という理由だけで、「不完全」という理由だけで、「障害を持っているから」という理由で冷たく接するような人間を手塚治虫先生は嫌悪しますし、怒りや憎しみを絶対悪だと頭ごなしに否定する怠惰で傲慢な心では、「自分の過ちに気付くことができなければ、何も救うことなどできない」、と手塚治虫先生は『人間ども集まれ!』では天下未来を通して厳しく訴えています。
私の愚考ですが、手塚治虫先生は天下太平・未来の親子は「自分の過ちに気が付くことが容易い人物」として設定されており、少なくとも連載時の展開では「拒絶・理解・克己」を経て「人間が良い方向へ進むために生まれた存在」だと思います。
…スクウェア・エニックスの『LIVE ALIVE』や『フロントミッション3』、永井豪氏のリメイク版(マガジンZ版)『魔王ダンテ』は、宮崎駿氏の原作漫画版『風のナウシカ』と共通する、『人間ども集まれ!』への敬意を込めて生まれ、手塚治虫に捧げられた、「仁・義・礼・智・信」を重んじた忘れてはならない名作・傑作であることは否めません。
仁:思いやり
義:人としての道を踏み外さない
礼:礼儀作法を守ること
智:正しい判断・知恵
信:信頼・誠実
「惻隠(そくいん)の情」とは「弱者、敗者、虐げられた者への思いやりと共感」という意味で、「人を思いやる心」
第3のクリファとセフィラ、すなわち「拒絶・理解・克己」は「契約の執行者」ルキフグスからの重い問いかけであるのかもしれません。
『人間ども集まれ!』にて、「惻隠の情」を失った大伴黒主は契約で主人公・天下太平を縛り付けていると勘違いし、実は自身を己の「邪な心=邪神」に気付かないうちに捧げてしまい、天下太平・未来親子という「魔で応じる者=魔王」の怒りを買う結末は、『LIVE ALIVE』の「中世編・最終編」の事態の方がある意味マシな結果と言えるのかもしれません。
打って反省、打たれて感謝
人に教えることは自分が学ぶこと
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