仁:思いやり
義:人としての道を踏み外さない
礼:礼儀作法を守ること
智:正しい判断・知恵
信:信頼・誠実
 
 
 
 
「惻隠(そくいん)の情」とは「弱者、敗者、虐げられた者への思いやりと共感」という意味で、「人を思いやる心」
 
 
 
 
 
 
 
今日は久々に天気が良く、日中は日向ぼっこできましたが、明日から12月になり、体調管理により気をつけねばならなくなります。
 
 
私も昇段審査への心構えを引き締めねばならないといけない、と感じることがありました。
 
 
 
 
 
 
ネット上で剣道関係の情報を収集し、とある話を読んでいて、『六三四の剣』の第1章で六三四が昇級の際の態度で佳代が涙を流した場面と、「古沢兵衛の過去」の2つの事を思い出しました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
詳しいことは避けますが、その方曰く、上の段位の剣士と体幹に関する情報絡みの結果、「よそでも自分の道場でも人に教えてはいけない! 何もしないでいい!」と心が離れ兼ねないことを言われ、その方が昇段後、心が離れていて迷いがあるときに 「一番最初に師匠に報告が義務だろう?」と怒鳴られ、口論の果てに「剣道やめろ」と言われただけでなく、その方の師匠が「他の道場でやらせない」とまで言うのはあまりに酷いと思いました。
 
 
 
 
 
 
 
剣道の段位や居合道の段位は本来、権力を振りかざすためのものではありません、「他の道場でやらせない発言は『六三四の剣』の古沢兵衛や(真の強者としての道を歩むことになることは想像に難くないその後の)乾俊一でさえ言うのをはばかる、剣士としてだけでなく、人として、完璧を求めすぎてしまった結果、「惻隠(そくいん)の情」を微塵も感じることができない、段位の意味をはき違えているのでは?と感じてしまった、あまりにも嘆かわしい発言・行為です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
いずれにせよ、私も『六三四の剣』の佳代を悲しませないよう、古沢兵衛の願いを俊一が理解し納得できるようになることを考える心を保てるよう、努めなくてはならない、と意識しました。