今日の私の剣道は、所属剣友会の錬成大会の日で、大会進行の補佐での活動が多く、防具を装備し稽古をする時間はなかったものの、大人の試合参加の人数が午前中は少なかったので試合参加の許可があり、五段の剣士との試合ができ、負けたとはいえ所属剣友会の方々曰く、「今までと比べて粘ることができるようになった」と言われました。


午前中は試合では疲れることはなく汗もほとんど掻かなかったため防具を装備している方が心地よく、落ち着いていられるので、そのまましばらく面・小手を外した状態(胴+垂れを装備)で過ごすことにし、午前の部の表彰式終了後の写真撮影があったため、結果的に正しい自己判断でした。








午後は大会では大会進行の補佐に移行し、ある程度余裕が生じてからは試合を通して「見取り稽古」の精度を高めるためにも試合を見るだけでなく「本数の記録も取る」よう指示がありました。流石に試合場となった2つの会場を同時に見るとともに「本数の記録を取る」のは背伸びしすぎた点は否めず、記録の取り方も今一つでしたが。

試合を観ていて素早い剣士の激しい動きと比較すると、「私の動きは守りを重視しがちでダンゴムシのようである」と痛感しました反面、可能な限り機敏に動き、より丁寧に、生涯剣道ができる状態を保ちたいと想いました。











試合をしながら周囲を少し見回すと、午後の部での学生(小学生・中学生)の部の試合待機者と待機者の所属剣友会の監督や関係者の様子で気がかりな面も少しありました。

次の試合に挑む待機をしている人が落ち着きが無く、竹刀が左右に振れた状態になるのは小学生や中学生では致し方のない点はあるとはいえ、試合待機者の所属剣友会の
関係者が近くで座って応援していたので、その方に竹刀が軽く当たるという状況も見かけました。

その時に観ていて思ったことは、勝つことを重視する気持ちは理解できますが、仁(思いやり)・義(人としての道を踏み外さない)・礼(礼儀作法を守ること)・智(正しい判断・知恵)・信(信頼・誠実)を守ることは大切ですし、安全性もないがしろにしてはならないと思います。









今日の剣道錬成大会は学ぶことが多く、同時に剣道防具を装着していると、心が落ち着き、普段以上に美しく優しく穏やかにしてくれる頼もしい「甲冑」である、という剣道防具が秘めた真の美しさについても考えることができた日となりました