私は『フロントミッション』シリーズでは『フロントミッション3』が今でも好きである。

好きだからこそ、『フロントミッション3』は重要視した方が良いが、『フロントミッション2』や『フロントミッションシリーズ ガンハザード』のような柔軟さも必要だと私は思うため、「1ST偏重主義」と同じような過ちを繰り返して欲しくはないとも思っている



『フロントミッション3』は公式では、主要人物の設定や物語に関しては意図的にぼかしているらしく、特にエマ編の結末は明確な未来は語られず、プレイヤーの想像に任せられた形になっているとの事。 
そう考えると、むしろプレイヤー側が主人公の「心の成長」「心の進化」というテーマを把握せずに過剰に反応しすぎているのでは無いだろうか。
(逆に言えば、だからこそ賛否両論意見が飛び交っているとも言える) 




『フロントミッション3』のエマ編を終わらせ、今でも時折思うことは、『フロントミッション1ST』のロイド編のラスボスとの結末の差についてである





『憎しみ』を込めた言葉に対し、『正義』の名の下に弱者を甘く見続けた愚者と、己の慈悲深くもある『怒り』を通す為なら強い者にも歯向かえる賢者の結末。どちらが勝ったかはご存知の通り。


『正義』の名の下に弱者を甘く見続けた愚者の使命は、弱者が力を付ける前に粛清することであって、より強き者に立ち向かっていくことではなかった
和輝を支える慈悲深き『怒り』に相当する信念は無く、あるのは吹きこまれた欺瞞と虚栄心だけというのも無関係ではないだろう


 性能では「112式法春」と同等だという者すらいる「レイヴン」をあそこまで「堕落」させたのはそれだと言えるのかもしれない…真に重要なのは精神と信念といったところかであるのをレイヴンを通して、和輝よりも前に『フロントミッション2』の主人公たちが示したと言えるのかもしれない。