剣道稽古ができる日が待ち遠しいし、仕事や住んでいる場所での対人関係で神経質で気まぐれになりやすく、怒りと迷いでいっぱいですが、少し気を取り直して、今日の内容は、昨日のシーキンセツ問題について少し考えてみるの続きとなる部分があります。




上記のサイトは他の方のブログにて、ポケモンだけでなく他の創作関係の話に言及した内容で、その中でも引用元の下記の言葉は、私は村上もとか氏の『六三四の剣』が好きですし、剣道が好きなものとして、『フロントミッション』シリーズでは『3』や『ガンハザード』が好きなので理解できますし納得できました。








ブラックジョークのつもりなのかなんなのか知りませんが、少なくとも笑えません。
ちょっとしたお化け屋敷のつもりなのか。
リアルな設定が何よりホラーです。

(略)

なんでこう、不幸な部分はリアルに描写出来るんでしょうかね。
これ書いた人は、実際にこんな体験したことない人なんでしょうね。
多分、軽い気持ちで悲惨さを出したいと思ったんでしょうけど。
当事者は重い気持ちで毎日向き合ってることを知って欲しいです。

(略)

現実には救いようのないリアルな不幸設定を軽い気持ちで取り入れないで欲しいです。
最終的に作品の中ではいい結末を迎えるとしても、現実で味わってる人にはなんの励みにもなりませんからね。
あなたが今も不幸なのはあなたの努力不足のせいだと言われるようなものですから。
そういうのを無責任にリアルな設定で入れないで欲しいです。
どこのネットで仕入れた不幸話か知りませんが、現実で悩んでる人の過去を勝手に使うような真似をしないで欲しいです。









私は『機動戦士ガンダムUC』や『機動戦士ガンダムサンダーボルト』にはうんざりしていますし、『フロントミッション1ST』偏重主義もそれと同時期に「ヤングガンガン」で連載された『フロントミッション ドッグライフ&ドッグスタイル』も今でも無神経でおぞましいと思っていますので、上記の文章に心の底から共感してしまいました。







不幸や悲劇や悪夢というのはそこらに無数に転がっていて、それらを面白がるのは情けないし、悲しみよりも怒りが湧き上がりますので、結果的に『フロントミッション3』のエマ編のエンディングでの和輝や原作版『風の谷のナウシカ』の最終巻のラスボス戦でのナウシカに共感してしまいます(おそらく、『LEFT ALIVE』の2017年のお披露目時のトレーラーでの「人類は何かを学んだのか」という言葉は、「エマ編の和輝」が「アリサ編の自分自身を含めた人々」に対する問いかけ、という開発者からのある種のメタ的な発言という設定なのかもしれません。『LEFT ALIVE』の舞台となる場所は『風の谷のナウシカ』の舞台と近い場所と言われることもあります)。
















いずれにせよ、人間は至高でも万物の霊長でもないことを受け入れつつ、悲惨な滅びを迎えないようにするためにはどうすればいいのか、考える必要はあると思います。