今日は住んでいる場所で午前中に草取り、昨日は稽古先の都合で結果的に今週は剣道の稽古が休みになってしまい、遊戯王OCGで購入したいカードを買うことにし、剣道の方も昇段審査に備え、割れにくい青い部分が残っている新しい胴張竹刀を購入しました。
学生時代は剣道の事をしたいと想いつつも迷いが多く、オンラインゲームに手を出してしまいましたが、『ポケットモンスター ルビー&サファイア』を通学中、混み合う中で可能な限りほかの乗客に迷惑をかけないよう努めながらやり続けた、『女神転生IMAGINE』や『真・女神転生 STRANGE JOURONEY』や『フロントミッション3』と同じくらい好きなゲームでした。
私の好きなポケモンの1つが「ミロカロス」であり、初登場となった『ポケットモンスター ルビー&サファイア』は、ヒンバス探しやひみつきちの場所と内装にこだわり、バトルタワー100勝に夢中になり、マッスグマに助けられつつ「チイラの実」持った色違いジグザグマなど、楽しいと感じる要素も多く、ドゥーガル・ディクソン氏の『マンアフターマン』で書かれた「テラフォーミングの功罪」というテーマも判りやすく描写され、良い思い出が多いのも事実です。
ここからは今日の本題。
リメイク版である『ポケットモンスター アルファサファイア&オメガルビー』は情報収集の段階で未プレイですが、「エピソードデルタ」の話が話題になることが多くアニメ版『ポケットモンスター』の『裂空の訪問者』のアレンジであるため許せる私自身が変わり者であるのは否定できませんが、「エピソードデルタ」よりも捨てられ船から変更された「シーキンセツ」の方が酷いです。
「シーキンセツ」はやり過ぎな上に露骨で悪趣味な内容で、デリケートな内容であるブラック企業などの社会問題を風刺したネタの方向性が余りにも無神経で無配慮で、まるで1995年初出で2002年から2007年まで5年間に3度もリメイクされてしまった『フロントミッション1ST』や、精神や身体にハンデがある人々に対して酷い仕打ちをする展開がマンネリ化した『宇宙世紀ガンダム(特に『サンダーボルト』や『ZZ』や『UC』)』を悪い意味で連想してしまいました。
精神や身体にハンデがある登場人物を冷遇する『ガンダムトライエイジ』はマリーダ叩きが酷すぎるので何度も改善要望しましたが、金と権力に目がくらんだ人間には無視されると痛感し、非常に強い不快感、悪印象を抱きましたし、特に『機動戦士ガンダムUC』の時点で既存の設定を弄ったり付け加えたりしてまで登場人物や舞台、原作などのイメージを損なうような描写を導入する必要性がそもそもあったのか、と批判したくなりますし、『フロントミッション2089-Ⅱ』は『フロントミッション3』のような未来の分岐が無いので登場人物の悲惨な未来を知っていると今更感が強くやるだけ虚しくなるだけですし『フロントミッション5』でもアリーナのチーム構成に関しても『フロントミッション1ST』のヒロインであるカレンのファンに対する配慮が無いスタッフの品位や人間性に問題があると私は今でも思っています(例外として、カレンをロイドと組ませた「ISLAND LOVERS」には関して、私は異論は微塵も無いです)。
※当ブログ内の関連項目
『ポケットモンスター』での「シーキンセツ問題」とは、悲惨な境遇の登場人物への配慮をしなかった『フロントミッション』シリーズでの「1ST偏重主義」や、『ガンダム』シリーズでの「ガンダム勢は民度が低い」と言われる問題と共通しており、問題の根本にあるのは、これまでのシリーズの高評価の一端が「シナリオやネタの良質さ」にもあることを全く重視せず、原作をないがしろにするような改変・設定の追加を施したことに加え、露骨な黒いネタの数々を安易に取り入れてしまったことだと思います。
いくら寛容なファンや新規ファンであっても、質の悪いネタばかりが溢れていれば不快感や失望感を感じるのも必然ですし、 中には長い時間をかけて積み上げてきたファンからの信頼や世界観などを台無しにするような酷すぎる部分もあり、直接関係ない要素として割り切るには少々厳しいものがあるのも事実で、開発陣や公式の姿勢や方針、資質、体質そのものに疑問の声が生じ、ネタに対する公式の見解やその後の言動なども不快感を覚えたファン達の不信感を煽る結果を招いてしまうのも、スタッフの品位や人間性に問題があるとしか言いようがありません。
おわりに
目に映る者の命を奪い続けることは、相手の命が失われることによって物理的に関係が切れるのはもちろんのこと、そんな生き様を見て周りの人たちも「搾取するもの」との関係を断つようになってしまいました。「搾取するもの」が悪いといえば悪いのですが、これはある意味とても悲しくて寂しいことだと思います。
現実の世界にも同じようなパターンはあって、人の命を奪わなくとも、いろんな人との関係を拒絶あるいは相手を顧みない陰湿な行為によって、気がついたら一人ぼっちになってしまった、そんな人も多いと思うのです。人間関係が希薄になってしまった現代社会ではなおさらこういう人々を多く生み出している気がします。
その負の普遍性を暴走させるパレードの果てには何が残るのか?無が有るのみではないだろうか。
「ダイキンセツホールディングス」も『フロントミッション』の「サカタインダストリィ」(「ザーフトラ共和国」も含む)も『ガンダムUC』の「アナハイム・エレクトロニクス」もやっていることはいずれも、無神経で無配慮な負の普遍性を暴走させるパレードでしかなく、不快感や失望感を感じさせる、観ていて怒りと悲しみが湧き上がる愚劣で残酷で醜悪な悪夢でしかありません。