※今回の内容は由来設定の紹介も行いますので、記事の充実化を目的とした加筆・修正も後日行う場合があります。
前置き
昨日一昨日の居合道の段位・昇段に関する話で、人間は欲を消せないということは理解できますが、「欲が狂気の一因となり、狂気が破滅へといざなう」…なんというか、剣道が好きな私にとって、『フロントミッション3』の最初の問いかけ&「エマ編」の和輝のエンディングでの発言や『フロントミッション4』でのルイスの終盤での発言を思い出してしまいます(ルイスも和輝同様ゼニスRV(ゼニスレヴ)に乗せてリペアバックパックを装備して大活躍させていました)。
本題 変更後の名前について
前回は「ヴァンツァーに付ける名前」でしたので、今回は「フロントミッションシリーズの主人公に付ける名前」に関してです。
『2』は主人公以外の仲間全員の名前も変更ができますし、『4』『5』『オルタナティヴ』は主人公の名前が変更不可なので、『1ST』『3』『ガンハザード』の私の場合の変更後の名前を挙げることにしました。
『フロントミッション3』主人公:武村和輝
田所晃
夏木六三四
長門烈
兜甲児
但野仁也(タダノヒトナリ)
葛城史人
田所晃は『ライブアライブ』の近未来編の主人公、超能力を使うことができる、鯛焼き作りが得意な少年。
基本的には妹思いの優しい性格で、ここ一番にド根性を見せる熱血漢という点が共通しています(どちらもある意味真の主人公だからか、『半熟英雄』シリーズの和輝(タケムラ)はあえて能力を何らかの形で制限され、控えめになっている)。
夏木六三四は『六三四の剣』、長門烈は『しっぷうどとう』の主人公で、どちらも剣道マンガからです。
夏木六三四は、ずば抜けた身体能力を持ち、正義感が強い一方で直情的ではありますが、真摯さ故に周囲を引き付け、徐々に礼節をわきまえた人物となり、人として成長をしていく点が共通しています。
長門烈は、少なくとも「爽やかさ」が共通しています。
兜甲児は『マジンガー』シリーズの主人公です(兜甲児が登場しない作品も有りますが、そういう形式の話では他の人物が主人公)。
繊細な心故に自らの行いが本当に正しいのか迷う等といった面も持っていますが、仲間達の助けも受ける形で乗り越え、パイロットとしても人としても良い意味で人間として成長いく事になり、たとえ自分に圧倒的不利であっても恐れず立ち向かおうとする意志の強さの持ち主となっていき、思慮深い面も見せる様になっている点が共通しています。
但野仁也は『真・女神転生ストレンジジャーニー』、葛城史人『偽典・女神転生』の主人公の名前です。
本当に「ただの人」なの?と疑問になる点が和輝との共通点です。
『フロントミッションシリーズ ガンハザード』主人公:アルベルト・グレイブナー
セシル
キオ
セシルは『ファイナルファンタジーⅣ』の主人公であるセシル・ハーヴィです。続編では大変な目に遭ってしまうものの、『ファイナルファンタジー』シリーズでは好きな主人公です。
キオは『機動戦士ガンダムAGE』のキオ・アスノで、耐久力では最強クラスのガンダムAGE-FXも好きなのも有りますし、「不殺系主人公」のなかでも一番好きな主人公です。
『フロントミッション1ST』主人公:ロイド・クライブ
オルステッド(Orsted)
昔はあれこれ名前を真摯に変更していましたが、最近では、カレンとともに弄ばれ酷い目に遭っている主人公なので、『レフトアライブ』はタイトルが『ライブアライブ』と似てるというのもあり、ロイド編のエンディングの最後の部分が好きな私にとって『1ST』は悲劇で終わるべきだったという意見・感想が嘆かわしいので、良くも悪くも固定しつつあります。
最近は時折、実際の内容は違うと思いますが、『レフトアライブ』が『フロントミッション3』のアリサ編の未来で、ロイドが和輝と会うことなく時代が進んでしまい、『レフトアライブ』のラスボスが実はロイド・クライブだったとしたら…と考えすぎてしまい、『ライブアライブ』へのリスペクトである物語を望んでしまう困った私自身すらいますが、同時に無論、救われて欲しい、という願いは捨てきれず、「エマ編」では和輝と出会うことで「魔王」にならない未来になってほしいという自分も否定できません。
『フロントミッション1ST』ケビン・グリーンフィールド
イオク
リディ
グレミー
アナベル
名前はいずれもガンダムシリーズの男性キャラ。イオク以外、優遇されすぎ…なんですけどね。
イオクの上司ラスタル・エリオンの中の人は『フロントミッション』のグレンと同じ人だからか、グレンの事を思い出すと、なぜか私はユージン同様彼の事を我慢出来てしまい、何とか許せるんです。
元々私はロイド派ですし、ケビンのラークバレーやグレイロックでの行動が…というのもありますし、ロイドとオルステッドが重なる点もあるので、その事に釣られてケビンのほうも『ライブアライブ』に登場する「ストレイボウ」にしようかと思っていたこともありますが、ストレイボウは「心のダンジョン」で正気に戻っており、オルステッドに反省し詫び続けているので、ストレイボウも抑えていた嫉妬心が真の魔王の魔手で暴走させられた被害者であり、アリシアもまた真の魔王の魔手によって心を乱されていたからこそ、「心のダンジョン」で「オルステッドを止めて下さい」と、正気に戻っていたから言うことができたのかもしれません(アリシア擁護論もあり、時田貴司は「アリシアはあまり好きな性格の持ち主ではないものの、アリシアがここまで叩かれるのは予想外だった」という発言もありますし、奇しくも『フロントミッション3』も、プレイヤーの想像力を掻き立てる設定が多く、良くも悪くも描写不足が指摘されることが多いという共通点があります)。
冷静に考えると「ストレイボウ」に近いのは『ドッグライフ&ドッグスタイル』のアレックスだということを思い出しました。
負の普遍性 『フロントミッション』シリーズと『ライブアライブ』
前回は言葉というものについて語りましたが、今回は『フロントミッション3』で明確に語られており、主人公であっても持っているものであり、向き合わなくてはならないものとして描写されている、理解するのが簡単そうで難しくもあり、難しそうで容易くもある、負の普遍性についても語ることにしました。
『フロントミッション』シリーズに関して、カレンやグレンの酷すぎる運命を顧みず、和輝の長所について考えようとしない意見も含めた、他のファンの意見をたくさん知って想ったことは、本当にロイドやウォルターが好きなら、カレンやグレンやモーリーを大切にしますし、カレンやグレンが本当に好きなら、カレンやグレンのような悲劇の繰り返しを終わらせる努力をする『フロントミッション3』の「エマ編」の和輝を嫌わないはずだと思いました。
「…オ オラ…人にさんざんバカにされてきたッチ…けどオラは人をバカにしたりしたことはないッチ。だって…オラがされてイヤなことはきっと人もいやだッチよ…」
私は『ライブアライブ』のサモ・ハッカの上記の発言が良い意味で印象に残っていますので、酷い目に遭いたくないのに他者に対して自分がされたくないことをするという本末転倒としか言いようがない行為を見続けてしまうと、ルカーヴが人間嫌悪に陥るのも無理はなく、『フロントミッション3』の「人類は何も学べない」という言葉も、安易に否定できないかもしれません(『真・女神転生Ⅳ』のミロク菩薩の発言みたいになってる…)。
それと共に、『フロントミッション3』の和輝とエマとアリサは、人間が必ずしも万物の霊長でも至高でもないことを示すかのように、偶発的か人為的かの違いはあれど、人間が進化した生き物でもあり、人間を進化させる力を持って生まれたのではないかと思うことすらあります(少なくとも「エマ編」の和輝には通常の人間と比べて異様に強い描写が多いし、エンディングの発言からは「心の進化」を示唆しています)。
人が精神が磨耗した、あるいは孤独になった時、敵意や悪意に晒されてしまい 憎しみに呑み込まれる可能性も完全否定は困難であり、もしかしたらロイドも紛れも無い「ただの人」でもあることを忘れている『フロントミッション』シリーズのファンは多いかもしれません。
私は『ライブアライブ』のオルステッドやストレイボウやアリシアより、ルクレチアの大臣(特に「中世編」終盤の王座に座っている様子や「最終編」)のほうが怖いと思います。似た話が『ドラゴンクエストⅦ』のレブレサックや『聖剣伝説2』のポトス村にもあり、真摯に考えることをしない安易すぎる排他性は思い出すたびにぞっとします(ちなみに、オルステッドの外見は『聖剣伝説 ファイナルファンタジー外伝』の主人公に似ていますし、イシュの町での展開は『ライブアライブ』の「中世編」や『フロントミッション1ST』ほどではないですが、下手すると「魔王」になり兼ねない雰囲気だったので重苦しいです)。
それは多くの創作だけでなく、現実の歴史の流れでも然り。「善悪問わず誰でも憎悪の権化になりうる」というのが『フロントミッション3』のルカーヴや『ガンハザード』のヘンリー・シャーウッドを見ればわかりやすいですが、「魔王」になりうるのは決して他人事ではないのだから、恐ろしく同時に悲しいことです。
終わりに
長々と語ってしまいましたが、私の『フロントミッション3』が好きな理由を、他者の言葉でわかりやすく表すと、『ライブアライブ』の主人公の一人である田所晃の
「・・・・ ざけんじゃねーよ・・・・
運命だか何だか知らねーが
そいつは他人や神様が決めちまうモンじゃねーだろ・・・・
自分で決めるモンだ!
確かにそれも 人間の欲望ってヤツなんだろーが・・・・
人間である以上 人間がイヤんなったら・・・・
・・・・おしまいじゃねーか!」
運命だか何だか知らねーが
そいつは他人や神様が決めちまうモンじゃねーだろ・・・・
自分で決めるモンだ!
確かにそれも 人間の欲望ってヤツなんだろーが・・・・
人間である以上 人間がイヤんなったら・・・・
・・・・おしまいじゃねーか!」
ということを忘れてはならない、からなのかもしれません。
田所晃も好きですが、サモ・ハッカも好きです。なんというか振り返ってみると、田所晃が和輝に雰囲気が似てるのに対し、サモ・ハッカはピウィーに雰囲気が似てるし、何度も彼らに助けられた経験があるから負の普遍性と対峙できる強さを大切にしたくなるんだと思っています。