大阪の商店街の中の自営で生まれた私。
釘や鍵に囲まれていました。
現場が肌に合う私にとって、
会社という建物の中に入ると、
別世界に来たようで、いまだに緊張します。
先祖は、大阪のど真ん中まで心中し。
鍛冶屋を始めました。
何処から心中したのかは分かりませんが、
関東から、2人で大阪に来た事を想像すると、
苦労がどれだけあったのかなと、
思います。
無口な旦那は鉄を打ち、
後ろを歩く妻。
実際分かりませんが、だった様です。
そんな女性が今の時代いるのかな。
私を捨てた壊れた母の為に父は
釘をそのまま金槌で打ち、
何か月も掛けネックレスを作り、
結婚指輪は、
針金で作ったそうです。
勿論、喜ばれる事も無く。
私はそんな父が好きでした。
18の頃私が好きになった人は、
3つ上のヤクザの息子でしたが、
彼はヤクザの父を嫌い、
墨も入れず、お祭りの屋台で300円だったかな。
指輪を買ってくれました。
最後の雨を私に歌ってくれ、
質素な彼が好きでした。
彼は変わって行きました。
墨を入れたいといい出し、
薬に手を出し、彼では無くなっていきました。
私の父はうちの看板だけは汚すなよ。
が口癖で、
私はその時も自分自身を守る為、彼とは自然消滅しました。
どんなに好きでも元には戻らない人は、
見切りを付けます。
もう随分前に、私は母を捨てました。
母の言葉で覚えてるのは、
約束は破る為にあるんだよ。
私の離婚の話さなか。
私の元旦那に色目を使い、お金を借りに行った。
返す気なんて更々無い癖に。
何故あんな事をしたのかと問うと、
お金持ってそうだし、
お金は使うモノだからね。持ってる人から貰わないと。あんたの体が好きなら私の体も好きでしょと。
ヤッたかどうかなんて、今でも溜め息が付く程、どうでもいい。
栃木生活で、ゆういつ嫌な思い出です。
母の言動は私の人生を壊す事ばかりで。
何も言えなく、一緒に居ると不幸になる人でした。
母の血が私にも流れているのかと思うと、
私は私が嫌いでした。
恨んだ事もありますが、
恨んでもね。仕方ない事です。
無理なものは無理なんですよ。
例え血の繋がった母親でも。
捨てないと。
無理なのものは、無理なんです。
行かないで。捨てないで。
こんな母に私はすがったこともあります。
こんな母に怯えた事もあります。
こんな母の顔色を伺い、
愛して欲しいと思った事もあります。
幼かったので。
私はその後、最終的に親戚の家に預けられます。
それからは地獄。それまでも地獄。
あれが地獄で無ければなんなのか。笑
どちらかと言うと親戚に対しての恨みの方が大きいかもしれませんが、
逆恨みでもなんでも良く、
今となっては、どうでもいい話です。
今の時代の言葉を調べるより、
大切と勘違いした執着は苦しいよ。
抱える必要は無く、
振り返る必要も無い。
死ぬ時は自分自身で片を付けなくてはいけません。どんなに大切なものでも
勘違いした大切な物に気付くのは捨てた時で、
以外と肩の荷がおります。
物欲も食べられれば何でも良い食に興味も無い私は、貧乏だったのか分かりません。
腹減ったをよく言ってましたが、
食パンかじっていただけ良かったんでは無いでしょうか?
母を思い出すと心が無くなります。
寮に入った時は分かりませんでしたが、
社会に出て、違いを感じ、
劣等感を感じました。
自己肯定感は社会に出たほうが、
育てて下さいました。
私これでいいんだと。
テレビが無かったので、
父は影絵で私を喜ばせてくれました。
今飼っている3匹に影絵を見せるとマリンは特に遊びます。
父と暮らしたかったな。
そんな。時代の、
昔の話です。
知らなかった父も、私を捨てた様なものですが、
私は父にはすがらず、ただ好きでした。
せめて、先祖の奥さんの血が私の身体に入ってます様に願うばかりです。
世の中が鬼滅の刃一色になった頃。
知人は、〇〇は(私の名前)精神的に病むから見ない方がいいと言われたので、
守っています。
泣ける映画なんでしょ?
いい歌ですよね。
知人は号泣したと。
そんなに?
今病んでる場合では無いので、知人の言う事を聞き、いつか見てみたいと思う。
まだまだ先かな。
訂正。
心中では無く、駆け落ちでした。
さだまさしさんの歌に釣られちゃったよ。
最近ずっとさだまさしさんだし。
失礼致しました。