ふと思いました。


『今日が最期だと

知っていたら…』


私は何を思い

何をするんだろう?


3月11日の地震を

私は

勤務先の体育館で

感じていました。


起きるまでは

全く

いつもと変わらない

と錯覚していました。


でも

突然起きて

初めて

「地球の変化」を

目の当たりにして

たくさんの後悔を

感じました。
















ほとんどの人は

未来の事は予測できない


災害が

いつ起こるかも分からない


と言いながら

何となく

『今日は無事だろう』

と過ごしているのではないかと

思います。


でも、

「その時」はやってきました

















『今から行くよ〜』

なんて、ご丁寧にやってくるなら

「災害」なんて

呼ばれないですよね。


私は自分が

『死ぬかも知れない』

と本気で思った時

初めて

『自分のやりたい事』

を真剣に考えました。


愛する人達に

『愛している』

『大好き』

『いつもありがとう』

と毎日毎回伝えていたか

考えました。





どうして

今日を無事に終えられたら

伝えなくても良いと

思っていたんだろう?


どうして

「平凡な毎日」を

自分で変えようと

しなかったんだろう?


どうして

「他人の意見」が

『自分の直感』より「正しい」

思い込んでいたんだろう














あの頃私は

「人生の教科書」を

探し続けていました。


でも、そもそも

「教科書」には

「誰かが正しい」と決めた

事しか書いてありません。


私の人生は

一度きり

その大切な一回を

「他人の判断」に

委ねて良いのだろうか?


とふと思いました。


そして














『絶対に嫌だ』

と思いました。


だから私は

自分のやりたい事を

叶えてあげる事にしました。


先日の

『そのシーンを目の前に…』

には続きがあります。


『本音より

ホログラムを大事にするのは

何故?』


『感情』が「現象」を

創り出していると仮定すると

私がこの仮想世界内で

叶えられない夢は

存在しない事に気付きます。















諦めない限り…


この『諦めない』が大事で

まだ自分で引き寄せられる

事実に気付いたばかりだと

「時間」がかかります。


だって、

効率の良い引き寄せ方

なんて知らないからです。


自転車だって

転んでうまくなるように

数回うまくいかない事が

続いたくらいで

自分で自分を諦めたら

「引き寄せられない」を

引き寄せるだけなのです。


そして、

粘り強く

我ながら本当に粘り強く

待って

待って

待ったけど

不思議な事に

振り返ると最短距離で

最愛の旦那と

最愛の我が子の愛を

引き寄せる事ができました。


これを打っていたら

『地球って愛しい』

と降ってきました。


あぁ…















本当に。


私が人間の目線で見ても

『長い』と思った時間の何倍

地球は

人間を信じ

人間に汚され

何を思って生きているのだろう…


汚された時に

『裏切られた』と

感じた事は

無かったのだろうか?


無理矢理

地形を変えられ

『自分の意志』を

『傷付けられた』と

恨んだ事は

無いのだろうか?











「表面」は変化なく見えても

『感情』は違うかも知れない。


それでも黙って今日も

私達人間を包み込んでくれる

なんて

本当に有り難くて

本当に愛しい…


でも


私達は地球に

『愛しい』と

伝えられているでしょうか?


「時間」はまだまだあると

思っていても

『やりたい気持ち』分、

残っている保証は

ありません。


だから私は

今日も

『自分が生きたい』人生を

『食べたい』物を食べて、

『伝えたい』事を伝えて、

「有り難い」事だと『感謝』して

生きようと思います。


できる限り地球にも

『感謝の気持ち』を

「行動」で伝えていこう

と思います。


まとまりませんが、

最後までお読み下さり

ありがとうございました🙇💕