いろいろ考えて知り合いに共有していたら、「ブログにあげたら救われる人もいるかも」と言われましたびっくり

















最近、自分はどこから来て何をする為に生きているんだろう?という問いから、
情報収集を行い、
考えて





「元々は光の粒で、地球にはあらゆる感情を体験する為に生まれてきた」と仮定しましたスター
















そんな前提で生きている私が思ったのは

真面目で素直な人は、

「真面目+素直は良い事で不真面目+意地っ張りはあんまり良くない」

っていう誰かの言葉に囚われている可能性もあるんじゃないかと思って…










私は意地っ張りで不真面目だけど、そんな自分が凄く好きで、真面目な時や素直な時もあるのを知っていますニコニコ











でも、これって誰にでも当てはまるのでは?













というか、大抵の人は両方もっているのにも関わらず「自分はこっちタイプ」って無理矢理分けようとしているんじゃないかな?って思って…













私は自分が「光の粒」だったと仮定して生きていて、あらゆる感情は「周波数」だと捉えています。ザックリ言っちゃうと、怒りは低周波数で、愛は高周波数みたいな…












でも人間の気持ちって周波数なんだから、そんなにず〜っと丸っきり同じ気持ちでなんていられないのが普通なんじゃないかと思うのですよ花










で、だからこそ、そのままで良いと思うのですよ✨









とは言え、私と同じように「恨み」という感情が好みでは無い人もたくさん居ると思います。だから、自分の好みでは無い感情を抱いた時に、「環境調整」を行ったらどうかと考えましたひらめき電球














「環境調整」はあくまで「私のピンチ」だからするのであって、「私の感情を無理矢理動かす」事は目的ではありません。

だから、まずはありのままの自分を受け入れる事を大切にしています。












過去の私は、無意識に

恨むなんて良くない事
私はそんな感情をもつべきではない
私は恨んでなんかいない

と一番最初の(気付き)を拒んでいました汗
















でも「恨む事がいけない」というのも「あらゆる感情を体験する為に」生まれてきている前提を踏まえれば幻想に過ぎません。

















恨む事も妬む事も後悔する事も悲しむ事も怒る事も落ち込む事も、全部全部「大切な私の感情」で、「私の一部」だと思うから、大切にしてあげたいと私は思っています。



















だから同じように、誰かが感じる「感情」に「間違い」なんて存在しないと思っています。好みはあるだろうけど…

















まずは自分の感情を「在る」って認める事が大切だと思っています。















『あ、私は恨んでいるんだ(気付き)』



『何で恨んでいるんだろう?(原因究明)』


『そっか…過去に〇〇にされたこんな事で傷付いたんだ…(自覚)』


『そうだよね、あんな事をされたら傷付くのも当たり前だよね…そりゃあ恨みたくもなるよね。仕方ないよ(自己受容)』



まで、しっかりまずは自分の気持ちに寄り添う事が大切だと思っています。

















で、その上で
「〇〇をされたら私は恨みたくなったから、〇〇をされたら他の人も恨みたくなる可能性がある(学習・知識の習得)」




まで行えば、十分「恨み」という感情も「恨んだ経験」も味わい尽くした、と私は考えるので






『じゃあ、過去の私のお陰でしっかり経験できたから、この恨みという感情はもう手放しても良いな(解放)』



『ついでに、〇〇は私にこの経験を提供する為に選ばれただけの人だから、もう関係ないな…むしろ嫌な役を引き受けてくれてありがとう(感謝)』



っていう過程を経ると、凄く気持ちが楽になって、私は過去の恨みとか、自分がしてしまった事への後悔とかを手放す事ができましたスター

最後まで読んでくださり、ありがとうございました🙇