もう1週間以上も経ってましたが、
5/4(月)お父さんが亡くなりました。72歳でした。
癌も患ってたけど、肉腫というのが直接の死因とのことです。
こんなことブログに書くのってどうなんだろ?と思ったけど、本当に心が辛くて、著者武田友紀さんのHSPの本に、かいつまむとSNS、ブログにて発信するといいって書いてあったので…
それに、別のアプリ(ペットの日記みたいの)で返信の中で少しだけ状況を書いたら少しずつ気持ちが楽になってきたので…
なので、今回は自分のためのブログなのでスルーしてくださって結構です。
5/1、前日にまた入院した、危ないと電話が来て、翌日の5/1に群馬に帰省しました。もっと早く出るつもりが、なかなか家のこと、ラテのことが終わらず朝イチで出られなかった為、新幹線の中で間に合わなかったらどうしよう、と気が気でなかったですが、何とか間に合いました。
でも、私が知ってるお父さん、パパじゃなくて、とってもとっても苦しそうで、見ているのも本当に辛い。
肉腫というのが口の中いっぱいに広がっていたようで、ブラックホールみたいに真っ暗で何も見えない、そのお陰で呼吸がうまく出来なくて、酸素マスクしてるけど、本当に苦しそうで…
到着して、お母さん、ママとお姉ちゃんが気を遣ってくれて、ずっとパパと一緒にいられるようにしてくれました。と言うのも、コロナのせいで家族2人ずつしか病棟に入れなかったので。
ずっと前から今年一年もたない、と聞いていたので、伝えたいことをずっと考えてきました。
なのですぐに、来るのが遅くなってごめんね、今までありがとうね、パパの娘に生まれて本当によかった、パパが大好き、と言うのを何度も大声で伝えました。
鼻の癌と肺癌があり、鼻の癌の治療で、癌は無くなったみたいだけど、肺に転移してたのと、その治療の副作用なのか何なのか…とにかく繋がっている耳からも滲出液がずっと出ている状態で、どちらかの耳に大声で話さないと聞こえないそうで…
その日はよく手が動き、体も起こそうとしたり、マスクを外そうとしたり、結構暴れていたそうです。
ママとお姉ちゃん、2人とも看護師なのもあり、状態がよくわかるお陰で、パパが何を言ってるのか分からなくても、きっとお家に帰ろうとしてるんだよ、とか、足が痛いみたいとか、とにかく色々分かるんです。
あまり長居するのもコロナ的に良くないそうで…
帰る前にマスクを外して、
「パパ、さよだよ!!」
と言ったら、それまで苦しそうに目を瞑っていたのに、細い目をしっかり開けて、
「おぉう」
としっかりと目を合わせることが出来ました。
翌日も会いたかったけど、お姉ちゃんにコロナがあるからあまり面会に行かない方がと止められ、様子を聞くだけに。病状的には特に変わりは無かった様子。
5/3、やっぱり会いたい!!と半ば無理矢理面会に。
お姉ちゃんがついてきてくれて良かった…。
私からみた感じは、とても穏やかに寝ているから、少し良くなったのかと思いました。
呼吸も激しくなくて、特有の臭いもないから、持ち直した。穏やかに寝てるから、起こさないであげよう、そんな感じでした。
でもお姉ちゃんからすると、心臓が疲れてしまっているのかもしれない。もう危ないかもしれない。
72歳、まだまだ若いので心臓は元気だと。なので心臓が疲れて止まるというのが1番あり得る、と考えていたようです。
そう聞くまでは、私は一度大阪に帰って、万が一のための準備と、旦那さんとラテを連れてこよう、今ぐずぐずしてたら看取れないかもしれない、と思っていました。
でも、話を聞いたママもお姉ちゃんと同感だったそうで、2人が間違うことはない、と考え直し、旦那さんとラテには申し訳ないけど群馬に残ることにしました。
普段はそれを嫌がる旦那さんでしたが、この時ばかりは、こちらの事は心配しなくていいからと快諾してくれて、心から感謝です。
でもこの時は、また明日も同じ1日がくるんだ、と何となく思っていましたが、
5/4、7時半頃病院から電話があり、ママ以外はみんなまだ寝ていたので急いで準備して病院へ向かいました。
しかし、電話をもらって10分後くらいに息を引き取っていたようで…。
悲しかったです。
病室に着いたら、よくテレビドラマで聞く電子音がずっと鳴っていて、パパは止まってるけど体はまだ暖かくて…。
最期を独りでだなんて、ちゃんと一緒にいたかった。
看護師さんたちも、朝のお忙しい時間帯だったんだから、仕方ないと思わなきゃ、と思うのですが、やっぱりすごくモヤモヤしました。
それからと言うもの、ずーっと涙が止まらなくて…
ものすごく申し訳ない気持ちでいっぱいで、もう一度会いたくて、もうパパがいないなんて信じられなくて…
自粛要請なんて、緊急事態宣言なんて、今ばかりはごめんなさいして、もっと早く帰省したら良かった。
そうすれば、ちゃんとお話しできたのに。
最期を独りで逝かせてしまって本当に申し訳ない。ものすごくお世話になったのに。やりたい事がいっぱいあっただろうに、私達のために一生懸命働いて、私達のやりたいことをしっかりやらせてくれたのに。
もっともっと孝行したかったな。
今年の大須賀祭り、観に来ることは難しいだろうから、ビデオで観てもらおうと思っていたのにな。
私の踊りをもっと観てほしかったな。
そういったことがぐるぐると頭?心?の中を埋め尽くして、ママの支えになりたいのに、涙が止まらないせいで喋れなくて。
納棺の儀や葬儀でも涙が止まらず困りましたが、そこでふと気付いてしまい、また違う意味でも涙が止まらなくなりました。
私はずっと一緒にいた訳じゃないのに、泣く資格なんてないんじゃないかと…。
でもそう言う思いに反して涙がどんどん出てきてしまって、本当に色々と辛いあっという間の1週間でした。
今はようやく元気を取り戻しつつあります。
こんなんじゃパパに顔向けできないし、私はまだ生きている訳だから、しっかり歩まなければとも思えるように。
ずっと泣いてばかりじゃ、ラテが心配しますし。
痛いくらい、顔中べろんべろん舐めてくれました。
旦那さんはドライで、あまり話を聞いてくれない人なので、大阪に戻ってもかえって苦しい気持ちが溜まる一方でしたが、ラテの存在がとてもありがたかったです。
まだふとしたことで涙が出てきてしまいますが、だいぶ前向きに考えられるようになりました。
暫くは引きずってしまうと思いますが、長い人生、そう言う時があってもいいんだと、自分を許してあげようと思います。
悲しい時は存分に悲しむのがいいとも聞きますし。
映画の「黄泉がえり」みたいによみがえったらいいのにな。














