日本古代史3 | 雑雑談談

日本古代史3

それでは応神天皇の婿入りした王家とは、


具体的にはどの王家を指すのでしょうか。


結論は、物部王国です。


応神天皇が渡来して来た4世紀の日本列島は物部王国だったのです。


そして、この物部王国こそ、実は邪馬台国です。


3世紀までの倭国は、弥生文化といって小さな部族が連合した


農耕中心の国家でした。


その当時の日本列島を支配していたのが邪馬台国であり、


女王に卑弥呼が君臨していたのです。


その卑弥呼が死んだあと、何人かの男王が王位を継ぐのですが


混乱が続き台与(とよ)という女王が、就任して混乱を収めます。


台与は西晋が魏を滅ぼし、


中国を平定したと聞くとその国交樹立のため働きますが、


4世紀になると邪馬台国は歴史上から姿を消してしまいます。


そして、5世紀になると、農耕国家であったはずの倭国の文化はガラリと変わります。


それも、まるで別の国になってしまったような変わり方をします。


この、征服してしまったというのが騎馬民族征服王朝説の考え方です。


つまり、4世紀に朝鮮半島から応神天皇の一族が海を渡り、


日本に侵入し電撃的に邪馬台国を征服したことになります。


そして、この4世紀こそが現日本の根幹になるのです。


現日本の根幹とは、古事記・日本書紀・記紀等の根幹と言う事です。


日本人の文化の根っ子には、南方系農耕文化と北方系騎馬文化が混在しています。


日本の文化は、この両方の文化を元に成り立っています。


日本古来の文化の中心的なものとして神道がありますが、


神道はどの様なものなのでしょうか。


日本古来、神道の儀礼の中心は稲作である事は、言うまでもありません。


これは、南方系農耕文化です。


しかし、神社はどうでしょうか?


現在の日本においての神道では神社は絶対に欠かせないものです。


つまり、日本の古代史においても、


現在もこの神社抜きで日本を考えることは不可能です。


そして、その神社の主祭神はどうでしょうか。


そのほとんどは、神武天皇が深く関わっています。


神武天皇=崇神天皇=応神天皇=辰王であると言う事は、書きました。


そして、それからすれば神武天皇は騎馬民族です。


そういうことから、神社は騎馬民族の文化であると考えざるを得ないと思います。


それに、神社の創建者を調べると、


秦氏、加茂氏、漢氏、辛嶋氏、三輪氏・・・というように、渡来系です。


この中で特徴があるのは、古い神社でそれなりの格式を持っている神社、


例えば大神神社、籠神社、龍田神社、広瀬神社、熊野三山、


玉置神社、大和神社などのほとんどは


崇神天皇の創建になっていることです。


ここで思い出していただきたいのは、


日本列島に侵入してきたと考えられる騎馬民族は、先住民を虐殺したりせず、


王家に婿入りするなどして、時間をかけて先住民との同化政策をとったと


みられることです。


つまり、現在の日本人は南方系の農耕文化と


北方系の騎馬文化が混同しているのです。


神道は大別すると、次の3つがあるといわれています。



1.縄文神道 ・・・・・ アミニズム


2.弥生神道 ・・・・・ 稲作・農耕信仰


3.神社神道 ・・・・・ 祈りの場所



縄文神道とは、日本列島における最古の信仰といわれます。


自然界におけるあらゆる存在に神が宿っていると考えるのです。


山の神、海の神、岩に宿る神など、日本人がもっとも素朴に抱いている信仰といえます。


これに対して弥生神道とは、稲作をはじめとする農耕に関連した神々の信仰のことです。


畑作の豊作を祈念したり食物の神が対象となるのです。


大嘗祭(だいじょうさい)における稲作に関わる神々への信仰は


弥生神道をルーツとするものです。


縄文神道と弥生神道における神の祭場は基本的には自然そのもの、


大きな樹木とか、大きな岩に神が宿るという考え方です。


以上は紀元3世紀までの神道です。


これに対して神社神道は、祈りの場として建物を建立するということに


特色があります。


これが神社神道の特徴です。


いつ頃から神社が建立されるようになったかと言えば、


弥生時代の後期から古墳時代にかけてということなので、


やはり4世紀から5世紀ということになります。


そして、古い神社伝承によると、神社の創建者は古代天皇が多いのです。


中でも崇神天皇と応神天皇が多いのです。


既に述べたように、神武天皇=崇神天皇=応神天皇はですから、


すべて同一人なのですが、


記紀では、3人の天皇を次のような役割づけをしています。



神武天皇 ・・・・・ 武力 ・・・ 軍事的な征服者


崇神天皇 ・・・・・ 崇拝 ・・・ 宗教的な司祭者


応神天皇 ・・・・・ 応答 ・・・ 政治組織統治者



神社の創建者に古代天皇が多いと言う所を見ても、


神社神道は明らかに騎馬民族の信仰といえます。


そして、この神社神道の祭事・特色等々を見ていくと、


遠くイスラエルにつながってくるのです。


そして、辰王が王家に婿入りして温和な政策を取った様に、


現在の日本神道は縄文・弥生・神社がバランスよく合体しているのです。


四季があり、水資源が豊富な国「日本」世界で1番美しい国なのです。


民族学者折口信夫の著書である「古代研究」の第二巻「民俗学篇」の冒頭に


「妣が国へ常世へ」と題されたエッセイがあります。


そこで、折口信夫は大王崎という、伊勢の志摩半島の岬の突端に立ったとき、


自分の中にわき起こってきたノスタルジーについての言及から


このエッセイを始めています。


私たちの祖先が悠久の過去に太平洋の荒波ほ渡ってこの島にやってきた。


黒潮を前にしてはるかかなたの海上を望んだとき、


なんとも名状し難い望郷の念、


ノスタルジックな感情がわき起こってきたことを折口信夫は


一つの驚異の体験として描いています。


みなさんも海に行き、地平線のかなたを見るときにどんな感情が湧きますか?


海は広いな~大きいなぁ~


月が昇るし陽は沈む~うみは大波青い波揺れてどこまで続くやら~



海にお船を浮かばして~行って見たいなよその国



この詩を書いたのは林柳波(はやしりゅうは)です。


林・・・大陸系の苗字ですね。


この海の様な歌は、日本にしかないのは何故でしょうか。


みなさんなら、もうお分かりですね。


私達のDNAには祖先からの記憶が残されているのです。


つづく