人生振り返ってみたくなった朝1⃣ | 子宮頸がん ステージ4b ゆったりまったりにね☆

子宮頸がん ステージ4b ゆったりまったりにね☆

山口県在住 40才 (現在41歳)主婦 子宮頸がん ステージⅢbになりました!!※今はステージⅣb
何らかの記録は残したいと思って
書き物苦手ですが 闘病日記?とやらをしてみたいと思います
ただ ネガティブなことも書いてるので 見たくない方はスルーして下さいませ┏○ペコッ

昨日 一時退院して家に帰ってきました

目が覚めて色々考えてたら 1度人生振り返ってみたくなったんですよねー(笑)
病んでんのかな(笑)

まぁ 人生振り返るのも悪くない

まずは家族のこと




あたしには 父と兄がいます 母はもう亡くなってます

父は ほんとに破天荒な人です

最初の奥さんと死別 息子さん2人「あたしの腹違いの兄」は父に任せられないと亡くなった奥さんの実家が引き取ったそうです
なのであたしの母は2番目の奥さん
あたしは前妻の息子さんに会ったこともなく 名前も歳も知りません
ただ東京にいるとだけ知ってます
これは私が子どものころ 父がポロッと口からこぼしてしまったのを覚えているだけです

父は 漁が好きで 山では鉄砲で猪や鹿 海では 素潜りでサザエや鮑 釣りでは うなぎや鯛など
でもあたしが3歳くらいの頃には 鉄砲の流れ弾が足に当たり 父は身体障害者になってました
父も母も働けない為にうちは生活保護を受給してました
父に朝 行ってらっしゃい 夜おかえりなんて会社員みたいなことは言ったことなかったです
子供心に 父はいつもふらふら何をしてるんだろって思ってました

父は人懐っこく いつも家には誰かしら友達を連れてきては宴会をしてました

物心付いた時 たぶん5歳とかには 父の友人2人もなぜかうちに住んでました
この友人さん いわゆる や●ざな方で 一緒にお風呂に入ったりしてると 身体にびっしり刺青
私は自分も大きくなったら当然刺青を入れるものだと思って 絶対弁天様入れるんだーって公言してました

父は お酒はお水と一緒
そしてギャンブラー 挙句 浮気と暴力と四拍子揃った人で 離婚前は平気で母に暴力をふるってました
あたし達子どもには躾と称して暴力をふるってました
父はふらっとタバコ買いに行くと行って2年帰って来なかったり 帰ってきても またふらっと居なくなり 浮気相手の女性のところに行ってみたり でもその浮気相手の方のところでもふらっといなくなるので うちに浮気相手が連絡してきて 父を出せと暴れたこともありました
ある時 またふらっといなくなったので どーしたのかと思いきや 恐喝で刑務所💦


母はいつも泣いていました

だから私は父が大嫌い

なんかもっといっぱいあるけど 書いてて恥ずかしくなっちゃった💦

まぁ 大人になって長女が生まれて こんな父だけど孫を見せよう 少しは父を許せるのかと 連絡とったりしてたけど 嫌いなものは嫌い ってことで もう16年くらい会ってません
同じ市内にいるし まぁ 悪い意味で有名なので風の噂はよく耳に入ってきたりします

これがあたしの父


そして同腹の兄1人

兄は後天的知的障害者です
兄が1歳のころ 病気でなったそうですけど あたしが生まれた時には知的障害者なので 先天的なのか後天的なのかどうでもいいんですけどね

兄の知的レベルは小学1年生レベル
ある程度の読み書き は出来ます
今みたいに知的障害者に対して理解がなかったころでした
6歳児と同レベルなので 例えば おもらしをしてしまったり ルールが守れなかったりと周りから浮くようになる4年生あたりから すごいいじめられてました

キチガイがうつるー

うんこブリブリマーン

などのばい菌扱いは当たり前
成長と共に腕力が突き出すと 殴られたり蹴られたりしてました
あたしも当然妹というだけで 兄の同級生がわざわざあたしの教室に来ては

うんこブリブリのいもーとー

あいつと同じ空気吸ったら菌がうつるー

あたしの同級生に あんな妹と一緒におったら お前らもうつるぞー

なんてよくいじめられてました

当然教師も見て見ぬふり
まぁ 仕方ないやろみたいな感じで誰も助けてはくれません

だから母はいつも兄のことばかり気にかけて あたしのことはいつも後回しでした
父は自分の子供が知的障害者というのが恥ずかしいと一切知らん顔
自分の子供はあたしだけと公言してました

いくらそれが兄のせいでもあたしのせいでもなく 知的障害者に対する理解の無さが 周りをそうさせてると今になれば分かってても 当時子供のあたしは学校では兄のせいでいじめられ 家では母を独り占めする兄が大嫌いでした

母はなるべく普通に育てたかったみたいで中学までは普通の学校でしたが 高校からは養護学校に通うことになりました

養護学校学校では 兄よりもひどい障害を持ってる方がたくさんいたので 6歳児レベルとはいえ 養護学校では出来る方の部類に入ってたようでした
すると兄は 今まで自分が受けてきたいじめを 養護学校の同級生などにするようになりました
気に入らないとすぐ暴力をふるったりして 警察沙汰も頻繁で母はいつも相手の家に頭を下げに行ってました

高校を卒業する頃には兄の暴力は母にもあたしにも及ぶようになり 兄は知的障害者の施設に入寮させることになりました

あにが居なくなり 母と2人の生活は穏やかなものでしたが 家が大嫌いなあたしはあまり家に帰っていませんでした

それでも家を出なかったのは母が病弱でいつも入退院を繰り返していたためです

月日がたち あたしが22歳のとき長女を身ごもった年末
兄が年末年始の休みの為 家に帰って来てました

その時 あたしは妊娠初期で 妊娠反応があるにも関わらず 胎嚢が確認できなくて流産しかけてました
医者からはトイレ以外は立つな ずっと横になって安静にしてください 1週間経って胎嚢が確認できなかったら中絶手術と同じことをして子宮を綺麗にすると言われてました

忘れもしません
その年の12/31の夕方
母が体調が悪かく年越しそばも用意出来ないからと きつい身体で無理して買い物に行きどん兵衛を買ってきました
夜 母と兄とあたしの3人で一緒に食べようと兄に説明してました
すると兄は今から食べたいと
母は夜一緒に食べるんだから今は我慢してと言うと 兄は気に入らなかったのでしょう
母に暴力をふるいはじめました
その時の母の体調は歩くのもふらふらな状態で そんな状態の母に馬乗りになってまで殴ってました

あたしも安静にしないといけなかったのですが 当然止めに入りますよね
すると暴力の矛先はあたしに向かいます
母はふらふらしながらも 赤ちゃんいるからやめてと泣き叫び兄にしがみついてましたが
兄は赤ちゃんなんか死にゃえーわとあたしのお腹を蹴ったりしました
近所の方の通報で警察の方が取り押さえたので 事は収まりましたが この1件以来あたしは兄が世界で1番許せない人間になりました
ちなみに長女は五体満足に生まれてます 長女の生命力に感謝ですね💕

さすがに母が亡くなった時のお葬式には顔を合わせましたが会話もせず 兄は母が亡くなったことは理解してるようでしたが喪主なんて無理なので元旦那が自分がしたいと喪主を努めてくれましたくれました

この1回を含めなければ19年会ってません

今後 父にも兄にも合うつもりもないです
なのであたしが癌ってことも彼らは知りません
長女にも もしママが癌に負けてしまって死んだとしても 死んだと連絡はしなくていいと伝えてます

次は母と自分のこと書くかな