じゃあ、本心を言おうか。

 
いつもありがとうございます😊
Chica千花でございます!
最近は多忙な毎日でなかなかブログの更新ができず💦
 
 
今日は本音をそのまま書かせていただきます。
久しぶりに。
 
 
 
 
娘を産んでからの4年間は
とてもたくさんの幸せを娘からもらったと同時に
地獄のような思いも味わいました。
 
 
初めて授かった命を。
命がけで産み落とし、
やっとD Vモラハラ夫と決別し再婚し、
 
幸せで平穏な生活が始めると思って愛していた人は
 
 
出産して退院した翌日に逮捕されました。
内容は言いません。
 
 
里帰り出産をし、
大切な母子手帳も預けたまま。
 
 
母子手帳がなく出生届も出せない不安
 
 
元旦那の父親と刑事さんから留置所にいることが知らされた。
 
 
精神的ショックで
毎日3時間に1回の授乳のたびに涙を流し
 
絶望の中、
消えることもできず。
我が子を抱きながら必死に生きてきました。
 
 
ただ、幸せに暮らせると思っていたのに。
夫がいて、娘がいて、
一緒にご飯を食べたり、子供の成長に幸せを感じたり、
当たり前にその生活が待っていると思っていました。
 
 
しかし、真逆の地獄の始まりでした。
 
 
本当の意味での更生に最後の期待をかけ、
両家家族会議での取り決め。
 
 
公正証書の作成。そして離婚。
 
それでも
娘が22歳になったときに毎月払われる養育費の通帳をいつか渡して、
血の繋がった父親が毎月娘のためにお金を入れていたことは必ず娘に伝えると約束した。
 
 
元旦那は約束を果たすことはこの先もなさそうです。
 
 
22歳になった時、
見たこともない、あったこともない父親からの通帳を手にし。
娘は社会人となり、
1万円を稼ぐことの大変さとお金の価値を知る。
父親がいない娘はきっと何か感じ取ってくれるはず、
 
 
そのように育てていきたい、
自立させる為、悲しみを与えたくない。
そう思って、4年間娘を一人で育ててきました。
 
 
 
どんなに憎くても、
どんなに消えて欲しくても
 
 
出会って結婚した自分を恨むことだってありました。
 
 
実際にこの世に存在している元旦那、
そして娘の血の繋がった父親であることを、
過去を変えることはできないこと。
 
 
会ったこともない父親を
私の都合で嫌いにさせたり、
娘は最初から傷つくとわかっていることなので→【自分には父親がいないことを理解する日はくるから】
さらに深く傷を負うようなことはしたくないから
 
 

ずっと、

 
ずっと今日まで自分の傷を見ないフリをして生きてきました。
 
 
 
公園に行けばパパと聞こえ、
 
友達には「どんな旦那さんなの?」と聞かれ
 
出産祝い金が元旦那の親戚から送られてきたり、
 
その度に何度も作り笑顔で乗り越えてきた。
 
 
心を無にして、思いを殺して。
 
 
耳をちぎり取りたいくらいに
パパなんて言葉も聞きたくないくらい。
正直今でもそうです。
 
 
悲痛の叫びをこのブログで、
ほんの一部を書くくらいです。
地獄を見た私にとっては本当に心の底の一部です。
本心を言えたらどれだけ良かったでしょうか。
 
 
それでも腕の中には娘がいました。
ひとりでは生きていけない娘が。
 
 
 
産休明が明け、
復帰をしたら私は名前が変わっているので
 
 
「千花さん、また離婚したんだ!?」
 
「赤ちゃん生まれたばっかりなのに!?」
 
 
私の仕事はウエディングドレスのデザイナーでしたので
二度の離婚をしたことで会社からの評価も落ち、
見る目も変わった人もいることでしょう。
 
 
女性って本当に不利ですよね。
 
 
元旦那は何も知らん顔して新しい職場でやり直せるのですから。
 
 
しかも、離婚したことを隠したまま働いていた元旦那。
失踪した時、元旦那の会社から電話が来て
 
 
「奥様ですよね?」と言われたときは
その場から動けませんでした。
 
 
そして何ヶ月も養育費は音信不通のまま未払いとなった。
 
 
 
復帰して働かなくては生活ができないので、
最悪な気持ちのまま、心を潰して復帰しました。
 
 
誰も、
離婚について触れることもできませんでしたがね。
 
 
保育園激戦区である都内で、
復帰して働くために必死で保活もしました。
 
 
産休中の離婚のこともあり、
店舗も移動になってしまったので
なんとか決まった保育園から新しい店舗に通える距離の場所に
引っ越しも余儀なくされました、
 
以前結婚していた時に決めた一緒に住んでいた家でしたから
8階のベランダから下を覗く度によからぬ想いが湧くし、
 
幸せだった思い出が泥まみれになった自分にとって
元旦那と一緒に過ごした家に残された娘と住むのは監獄と一緒でした。
 
 
いつ養育費が途絶えるかわからないことは
最初から覚悟していました。
 
 
音信不通になった後、
連絡をくれて払える分だけの支払いをしてくれたので
勝手に公正証書に記された額を減額されての支払いでしたが
全くもらえないよりはマシだと1,000,000歩譲って我慢するしかなかった。
 
 
それでもきっと、また払わなくなる日は来ると思ってた、
慰謝料は全く支払われないし、
養育費は現在公正証書できめた半額、
失踪期間中はゼロでしたから。
 
未払いの金額を責めるつもりはありませんでしたが
今までの私の想いを踏みにじるようなら話は別です。
 
 
 
ずっといつか公正証書があっても、
払わなくなったりする予感はしていました。
 
結婚して出産したら逮捕されたんだから。
信用なんてできるはずがないです。
一度ではなく三度目の再犯。
多額の借金があることも逮捕されたことで発覚しましたしね。
 
 
 
養育費がなくても、
いつ失踪されても生活できるように!と、
娘を一人で養っていけるように毎日必死で働きました。
 
 
朝は7時半に保育園に預け、
夜は20時にお迎え。
 
 
娘が熱を出しても、
ブライダルの仕事は急に休むことは迷惑がかかるので
坐薬を入れて涙ながらに保育園に午前だけ預けて
急いで仕事から変えることも度々ありました。
 
 

生きることに必死でした、

 
 
元旦那はいつも自分が辛いようなこと言ってきましたが
私の生活と比べたら・・・・
 
黙れ
 
としか思わなかった。
 
 
復帰して働いてからは
辛いとか、悲しくて泣いたりとか、
そんなことは感じる間もなく毎日は過ぎていきました。
 
 
 
そして、
 
 
ついにはコロナの影響で11年勤めた会社も
解雇され無職になりました。
 
お先真っ暗な気持ちになった。
 
 
 
不安で仕方がなかったけれど、
娘がいる限り休んでいるわけにはいかないのです。
 
 
 
そんなこと当たり前なので、
 
高校生の時から夢を見て、3年間専門を卒業してやっと叶った
ドレスデザイナーだったけれど、、、
 
 
もう、好きなブライダルの仕事は諦めて
なんでもいいから職につかなければならなかったし、
 
それでもコロナで外には出られなかったり
保育園に思うように預けられなかったり、
 
 
娘と二人家の中に篭り、
不安と絶望の中で生活していました。
 
 
そして、
本当に無力だと感じた。
 
 
元旦那からの度々勝手に減額されたり、
失踪され音信不通、住所も不明。
 
 
その度に過去の地獄を思い出し、
メニエール病が再発したり感情がコントロールできなくなる。
 
そんなことに怯えて生活する自分から逃れたかったし
情けないし悔しい気持ちでした。
 
 
毎月毎月、支払日が近づく度に心臓をえぐられる思い。
そんな思いを毎度して、嫌な過去を思い出す日々。
 
 

「自立したい」

 
 
それが本当の企業のきっかけです。
 
 
幸い、
長年続けてきたこのブログからたくさんのご縁をいただき
なんとか今日まで霊視鑑定士として生活することができました。
それでも仙台市の扶養手当をいただいている身なので限られた収入ですが。
 
娘が笑って生活できているので
もっともっと、頑張りたいのです。
 
1月からライバーのお仕事も始めましたが
現実は厳しく、1日4時間の配信は必須、
本業もして、家事育児。
 
 
本当に必死でしかない。
 
 
 
娘との時間は本当に少なくなりました。
 
多忙な毎日となり、
持病のメニエールも悪化してしまったこともありました。
 
 
考えなくてはいけないけれど、
昨年起業したばかりで、
時間もなく働くのは私にとっては当たり前としかおもいません。
 
 
そんな簡単に楽して起業して収入を得られるはずがないからです。
 
 
 
 
それでも!
 
 
夜遅くまで娘を保育園に預けなくて良い生活となり、
通勤がなくなったし、
家での仕事となり時間配分を自由にできるような働き方となったので
諦めていた習い事もやっとひとつ通わせることもできた。
 
 
娘が初めてやりたい!と言ってくれた英語教室です。
コロナで解雇からの、引越し。
慣れていた保育園も辞めなくてはいけなくなり、
最初は家に帰ってきて
 
 
「お友達がいない」と泣き崩れた日もありました。
 
 
最近はやっと英語教室でもお友達ができたのです。
 
 
 
今日まで
死に物狂いで努力しました。
それは今も変わりません。
 
 
 
それは自分でも言いたい。
よくやってきたなって。
 
 
仙台に来て、
初めてシングルマザーでの生活のストレスが爆発し
実家の母に言いました、
 
 
「もう、限界。4年間一人で育ててきたけれどもう、疲れた」
 
 
そう言って、実家に娘を1日預けたいと言った日もありましたが、
翌日起きてきた娘が「ママごめんなさい、大好き」と泣きながら言ったので
抱きしめて一緒に泣いた朝もありました。
 
 
そうやって一日一日を
二人で乗り越えてきたのです。
 
 
腕の中にすっぽりとおさまっていた娘は
もう立派な4歳の小さなお姉さん。
 
 
ママが悲しい時は癒してくれ、
嬉し時は一緒に笑い合える家族なのです。
 
 
今日まで必死でやって来れたのは
全て娘の為です。
 
娘がいたから大変だった。
でも娘がいたから強く生きて来れた。
 
 
私ひとりで離婚して独身になるならどんな生活でもいいです。
 
 
でも娘は違う。
 
 
 
なんで周りの子は欲しいものが買ってもらえて、
家族旅行に行けて、
習い事ができて、
お父さんと手をつないで歩き、愛情をもらうの?
 
娘だけがなぜ
我慢しなくてはならないのでしょうか。
 
 
お父さんがいないことは私の責任でもあります。
 
 
だからこそ、
 
母子家庭だから我慢しなきゃなんて
そんなこと絶対に思わせたくなかったのです。
 
 
 
ただ、平穏な暮らしがしたいだけです。
 
 
 
もう、
嫌な縁はいらない。
 
 
 
今までずっと我慢してきました。
全て娘の為に。
 
 
法律で裁くことも。全て。
言いたいことはいくらでもありますが
いつまでもその過去に捉われていては
私と娘は永遠に幸せになれないから。
 
 
 
今の私の本当の生活は誰も知らない。
 
 
シングルマザーだから疲れ果ててボロボロ?
子供は貧乏そうに見えて買いたいものも買えない?
そんなの、だたのイメージと決めつけですよね。
 
そして、
そうあって欲しいと願う人も残念ながらいます。
 
 
人は人に助けられ、
豊かな心を持つには心満たされる為に好きなことをするべきです。
 
 
それは自分で作っていくものです。
 
 
 
千花さんは生活が豊かに見えるとか
起業されてうまくいっていそうとか
 
 
 
 
その
私についた新しい評価と
実際の幸せ、
生活の中身は全く異なります。
 
 
 
その事実と、
今まで私が苦しんできた想い、
娘の為に我慢してきた想い、
元旦那への本当の更生への想い、
なぜ、ここまであえて我慢してきたのか。
 
 
 
それが表面上のイメージと想像でしか理解できないのであれば。
 
 
 
結末はもう見えています。
 
 
これからは、
もう我慢しないことにします。
 
 
 
必ず娘を幸せにできたと納得し、
自分も幸せになるまでは私は永遠に報われない。