20回目『同じミスを繰り返すことは本当にいけないことなのか?』
こんばんわ。
とりあえず頑張って書きます。
今回のテーマは、20回目『同じミスを繰り返すことは本当にいけないことなのか?』
で行きます。
「同じミスを繰り返してはいけない」
いまどきの成功者や会社の上司、先輩が大好きな?言葉です。
なんとも、体に悪い台詞でしょう。
まるで、ミスをするたびに責められて、睨まれて。
言われる方はたまったものではありません。
ずばり、私の本音
「はっきり言ってしんどいです!」
何とまあつらいことだ。
こんな状況で何でも一発で覚える方が、ある意味危ないのではないだろうか?
なぜなら、疑問なくその作業をこなすということは、どうしてその作業をやる必要があるのかということを身に染みて理解する経験をしていない、ということでもある。
それに、その作業自体がある程度できるようになってしまうと、自然と手抜きをしたくなってしまうのだ。
つまり、目先のすぐにできるを追いかけすぎると、一つ一つの作業の大切さや自分なりの仕事に対する思い入れを感じなくなる、といことだとも言える。
例えば、スポンジケーキを作るのに、外側の部分は膨らんでいるのに真ん中の部分が膨らまない、といった類の失敗をした。
そして、それが難しくて何度も失敗して5回目の挑戦で、やっと成功してすごくうれしかった。
そういったケースも世の中にはたくさんあるはずなのに、仕事だからという理由で何でも一度で理解して一回でできるようになれ、と言うのは少し極端ではないのだろうか?
それに仕事を通して、そういった経験があればその作業ができるようになった時の、うれしさは半端ではないはずなのに、何ともったいないことなのだろう。
何でも一度で理解してできるようになれ、が仕事を窮屈にしている要因であると同時に、仕事のおもしろさを奪い取っている要因であると、私は感じている。
それに、お金のことや恋愛などの人間関係のことなどで同じ失敗を繰り返しても責められないのに、仕事では同じ失敗を繰り返して怒られるのはなんて理不尽なんだろう…。
どちらも、人様に迷惑をかけていることに変わりはないはずなのに、なんでみんなおかしい思わないのだろうか?
上司や先輩も忙しいし、プレッシャーを感じているから、イライラしたくなるのも無理のないことなのかもしれないけれど、相手の話すスピードややり方が早すぎて追いつけなくて、メモが雑になってしまって、理解できていないケースもある、伝え方が悪くて、要領が呑み込めないケースだってあるかもしれないのになんて理不尽なことなのだろうか?
それに教えられる側は、色々と新しいことを教えられたり、会社の価値観ややり方を埋め込まれて頭の中がぐるぐるで、考えること自体が大変苦痛な状況なのに、一方的に張本人にされるのは、やっぱりはっきり言っておかしいと思う。
他にも、メモを清書しようにも、体中が痛くてだるくて集中できない上に、慣れない中でも朝早く頑張って起きて、メモを取って会社になじもうとしているにも関わらずだ。
確かに、仕事は生きるためにやっていくものでもあるから、みんな真剣だからそうなってしまうのかもしれない。
けれども、生きるためにやってる作業ってある意味一番大事なものであるからこそ、失敗はするかもしれないはずだ。
また、本当に生きるためにやってるものであるならば、もっと楽しんでもいいはずなのに、どうしてそこまでして失敗を問い詰めるやり方をしなければいけないのだろう?
本当は人と仲良くして適当におしゃべりして、好きなことして楽しく暮らしたいということが、
大多数の人間の本音であるはずなのに、どうしてこんなに矛盾しているのだろうか?
お金だとか会社の存続だとかいったこともあるかもしれないけれど、
それが生きるためにやってることだから仕方がないというのであれば、
それ自体がこれを読んでいる君たちにとって、本当に大切なことなのかどうかということを感じて頂けたらと思う。
そして、同じことを考えている人間が一人でもいていたら、私としては大変うれしい。
もし、自分が同士だと思うのであれば、ペタを押してほしい。
以上。
こんばんわ。
とりあえず頑張って書きます。
今回のテーマは、20回目『同じミスを繰り返すことは本当にいけないことなのか?』
で行きます。
「同じミスを繰り返してはいけない」
いまどきの成功者や会社の上司、先輩が大好きな?言葉です。
なんとも、体に悪い台詞でしょう。
まるで、ミスをするたびに責められて、睨まれて。
言われる方はたまったものではありません。
ずばり、私の本音
「はっきり言ってしんどいです!」
何とまあつらいことだ。
こんな状況で何でも一発で覚える方が、ある意味危ないのではないだろうか?
なぜなら、疑問なくその作業をこなすということは、どうしてその作業をやる必要があるのかということを身に染みて理解する経験をしていない、ということでもある。
それに、その作業自体がある程度できるようになってしまうと、自然と手抜きをしたくなってしまうのだ。
つまり、目先のすぐにできるを追いかけすぎると、一つ一つの作業の大切さや自分なりの仕事に対する思い入れを感じなくなる、といことだとも言える。
例えば、スポンジケーキを作るのに、外側の部分は膨らんでいるのに真ん中の部分が膨らまない、といった類の失敗をした。
そして、それが難しくて何度も失敗して5回目の挑戦で、やっと成功してすごくうれしかった。
そういったケースも世の中にはたくさんあるはずなのに、仕事だからという理由で何でも一度で理解して一回でできるようになれ、と言うのは少し極端ではないのだろうか?
それに仕事を通して、そういった経験があればその作業ができるようになった時の、うれしさは半端ではないはずなのに、何ともったいないことなのだろう。
何でも一度で理解してできるようになれ、が仕事を窮屈にしている要因であると同時に、仕事のおもしろさを奪い取っている要因であると、私は感じている。
それに、お金のことや恋愛などの人間関係のことなどで同じ失敗を繰り返しても責められないのに、仕事では同じ失敗を繰り返して怒られるのはなんて理不尽なんだろう…。
どちらも、人様に迷惑をかけていることに変わりはないはずなのに、なんでみんなおかしい思わないのだろうか?
上司や先輩も忙しいし、プレッシャーを感じているから、イライラしたくなるのも無理のないことなのかもしれないけれど、相手の話すスピードややり方が早すぎて追いつけなくて、メモが雑になってしまって、理解できていないケースもある、伝え方が悪くて、要領が呑み込めないケースだってあるかもしれないのになんて理不尽なことなのだろうか?
それに教えられる側は、色々と新しいことを教えられたり、会社の価値観ややり方を埋め込まれて頭の中がぐるぐるで、考えること自体が大変苦痛な状況なのに、一方的に張本人にされるのは、やっぱりはっきり言っておかしいと思う。
他にも、メモを清書しようにも、体中が痛くてだるくて集中できない上に、慣れない中でも朝早く頑張って起きて、メモを取って会社になじもうとしているにも関わらずだ。
確かに、仕事は生きるためにやっていくものでもあるから、みんな真剣だからそうなってしまうのかもしれない。
けれども、生きるためにやってる作業ってある意味一番大事なものであるからこそ、失敗はするかもしれないはずだ。
また、本当に生きるためにやってるものであるならば、もっと楽しんでもいいはずなのに、どうしてそこまでして失敗を問い詰めるやり方をしなければいけないのだろう?
本当は人と仲良くして適当におしゃべりして、好きなことして楽しく暮らしたいということが、
大多数の人間の本音であるはずなのに、どうしてこんなに矛盾しているのだろうか?
お金だとか会社の存続だとかいったこともあるかもしれないけれど、
それが生きるためにやってることだから仕方がないというのであれば、
それ自体がこれを読んでいる君たちにとって、本当に大切なことなのかどうかということを感じて頂けたらと思う。
そして、同じことを考えている人間が一人でもいていたら、私としては大変うれしい。
もし、自分が同士だと思うのであれば、ペタを押してほしい。
以上。