⚪仏祖ブッダは、悪魔崇拝黒人クシュの
 末裔との驚愕説


 カナンの評判は多くの古代の記録の中に見出されるものの、その汚れた歴史は歴史文書館、図書館の大部分から注意深く姿を消し去られている。紀元前1225年、カナンの地において勝利をおさめ、「ゲゼルの総合者」として知られた古代エジプト王メルネプタハは勝利を記念して碑を建立した。……その碑文の意味するところは「メルネプタハが諸悪を用いてカナン人を強奪したという事ではない。かの地にあった時、メルネプタハは悪名高き種族の慣習となっている諸悪に遭遇した」というものである。

 ハムには4人の息子がいた。クシュはエチオピアの地を、ミツライムはエジプトを、プトは
リビアを開いた。

 そしてカナンはカナン人の地、
現在のイスラエル国家として紛争中の地域を開いた。

 〈アギター〉の中では、クシュはハムが箱舟内で性行為を行った事への罰として、黒い肌を授けられたとされている。
「箱舟内で性行為を行った3種、犬とカラスとハム、すべてが罰を受けた。犬は繋がれる運命を定められ、カラスは相手の口にそのタネを吐き出す事になり、ハムは肌の色の罰を与えられた。即ち彼以降、クシュの子孫は黒人であり、その肌の色は黒い。」

〈タルムード〉の伝説では、クシュは常に黒人種の黒い肌の人を意味する。クシュは「黑」と同義である。今日翻訳されている聖書にクシュの肌の色についての記述はない。彼の子孫、クシュ人については❲民数記❳と❲サムエル記下❳のみで言及されているようだ。

❲民数記12:1❳には、「ミリアムとアロンは、モーセがクシュの女性を妻にしている事で彼を非難し、『モーセはクシュの女を妻にしている』と言った。」と記されている。ここでも、なぜミリアムとアロンがモーセが、(クシュの女を妻にしている事)を非難したのかについての説明は一切ない。が、この事は間違いなく重要である。「モーセがクシュの女を妻にしている」という言い回しが、強調されるかのように、繰り返されているからだ。

 (略)

 エジプト学者であり古代中近東についての権威として著名やセイス教授によれば、カナンは「低い」、エラムは「高い」の意をもつとされる。カナンは低地に住み、エラム人は高地に住んだ。ガルニエ大佐の名著『死者崇拝(The Worship of the Dead)』の中では「クシュ人はアジア、アフリカ全域の海岸地方に住んでいる」というサトランボンの観察が引用されている。高地を求めるほど果敢ではなかった彼等は、低地、つまり他の民族が争ってまで得ようとはしない湿地帯で、悪天候に晒されながら生きることを余儀なくされたのだった。
『死者崇拝』で、ガルニエ大佐は以下のように記している。「オシリスは黒人或いは黑人だった。そして黒人或いはクシュ人である事はエジプト人の特徴だった。私はそう理解している。ヘロドトスも、エジプトは一般的に色が黑く、縮れ毛であるとしている。エジプトには二人種、先に植民したミツライムの子孫と、ベロスの息子アイギュプトスからその名を受けたブラック・エジプシャン、即ちクシュ人が存在していた。それ故、ベロスの息子にしてブラック・エジプシャンの父アイギュプトスが、黒人のオシリスと何ら変わりなかった事に疑いの余地はない。」

 更に「アーリア人の移動及びバラモン教は、彼等とその宗教に多少なりとも敵対心を持つクシュ人の移動の後に生じた。アーリア人の伝統は、彼等が自らを白人、ダシン人を黒人つまりクシュ人と見なしていた事を物語る」と説明し、「彼等はクシュ人を悪魔、悪魔崇拝者、更にはシスナ、リンガ、ファルスといった男根像を神とする淫らな卑劣漢と呼んだ」という引用を披露する。

 また、「ブッダはクシュ人の血統にあり、古代邪教信仰の大予言者であり、師でもあるクシュ、つまり黒人或いはエチオピア人の父の血を引くと見なさなければならない。黄色人種の主たる神ではあるものの、ブッダは縮れた頭髪と、ヒンドスタンの古代像の多くに見られるように、低い鼻、分厚い唇など黒人種の特徴を持つ顔立ちで常に描かれている。このような特徴が、純粋なアフリカ系黒人種のものとして知られている以上、ブッダの人としての血統を問えば、クシュの血を引いていると言わざるを得ない」とも述べている。



 
⚪「X」は魔術を意味し、民族虐殺の先駆け
 ニムロデのシンボルに

 ハムのその後の行いは、その評判を挽回するには至らなかった。彼は神がアダムとイヴをエデンの園から追放する以前に、2人の為に作った衣(この事は❲創世記3:21❳に記録されている)を盗んだ。その衣のお陰で、ニムロデは「力ある狩猟者」として知られるようになった。

 この衣を着ている限り、彼は無敵と見なされた。動物も人間も、ニムロデに強大な力を入れ与えるこの衣のせいで、彼の攻撃のまえに萎縮した(ユダヤ百科事典による)。バビロンの大安息日12月25日に誕生した彼は、バビロン及びニネベの町を建設した。

 ニムロデは人間の歴史上、邪悪なサタンの慣習のシンボリズムとして無比の存在である。『フリーメイソン』を創設したのも、神の意思に逆らって、伝説の『バベルの塔』を建設したのも彼だと言われる。
〈タルムード〉の伝説によれば、彼は「神に背くよう、全ての人々を仕向けた」とされている。〈ミドラッシュ〉の伝説では、アブラハムの誕生を知らされるや、確実に彼を抹殺する方法として、ニムロデが命じたのは、全ての男児を殺害する事だったとされる。

……伝説上、ニムロデは常に魔術を意味するシンボル「X」として記される。「X」がクリスマスの短縮形として使われれば、実のところ、それは「ニムロデ祭を祝う」という意味となってしまう。「二重X」(ダブルクロス)となると「裏切り」を意味するが、EXXONエクソン社(ロックフェラー傘下の企業、スタンダード・オイル・オヴ・ニュージャージーの改名称)のように、「X」をそのロゴに使う時、ほぼ間違いなく隠された意味が秘められている。


 オカルトのいかなる研究においても、ニムロデが重要であることは、どれだけ力説しても足りない。アダムとイヴの為の衣によって与えられた力を持っていたために、彼は全世界を支配した最初の人間となり、その力を思うままに操って 未曾有の暴挙と恐怖を撒き散らした。
ニムロデの時代以降、バビロンは堕落と肉欲のシンボルとなった。また、彼は民族虐殺の慣習を世界にもたらした。

 彼の祖父にあたるハムは他種と交わり、混血種を世界にもたらしたばかりか、配偶者である邪悪な※※ナァマの説得に負け、殺人儀式、人肉嗜食を実践した。白人を殺して食べる事で、子孫に優性に形質が表れるとハムはナァマに吹き込まれたのである。
ノアの長男セムの白人子孫は、以降何世紀にも渡って、ハム及び浅黒い肌を持つニムロデの子孫によって、世界で最も執拗な人種的、宗教的迫害運動に晒され、殺人儀式の犠牲となっている。


※※補足 ナァマについて
 ナァマは、聖書〈創世記4:17~24〉にカインの家系が述べられています。そしてナァマは、カインの血筋を引く娘で、彼女の兄にトバル・カインがいます。
「4:21〜 そして、その兄弟の名はユバルといった。彼は全て竪琴と笛を扱う者の始祖となった。一方チラの法もトバル・カインを産んだ。これは銅と鉄のあらゆる道具を鍛造(たんぞう)する者であった。そしてトバル・カインの姉妹はナァマといった。」と有ります。

 又、ゾーハル書にも、ラビ・ヒヤが言った。
「トバル・カイン(カインの子孫レメクが2人の妻の一人ツィラとの間にもうけた子)の妹で、
ナァマ(可愛らしい女の義)といった。この名で何を教えようというのか。人の息子達が、いやそれどころか霊やデーモンまでもが、彼女に誘惑されたという事です。」

 ラビ・イツハクが言った。
「神々の息子達、アザとアザエルは(エノク書第3、10章に悪魔達の首長として現れる。本来は天使であるが、地上でナァマと交わり、彼女に魔術を教えて神に罰せられ…)彼女に狂った。」

 ラビ・シモンが言った。
「彼女は悪霊共の母です。何故なら、彼女はカインの領域から生まれ、リリトの仲間になって子らの悪習を助長したからです。」
となっています。


 ニムロデはセムの白人子孫を殺して食べたばかりでなく、怒りと憎しみで、彼等を生きたまま焼いたりもした。殺害した人々を食べることも含め、このような人身御供に対する単語は、ニムロデの叔父にあたるカナンの名と、
邪神バールの名に起源を持つ。
この2つの名を合わせて“Canibal”(カナバル=人肉嗜食)となったわけだ。また、ニムロデは古代史においてはマルドゥーク、ベル、メロクダックといった名でも知られ、歴史的にもバビロンがニムロデの地と称されるほど、重要人物でもある。更には、フリーメイソンの創設者として、最古のフリーメイソン文書の中にも引用されている。



⚪歴史書が記述しない浅黒いハムによる
 白人セム虐殺の残酷史

 ニムロデの評判は、ジッグラドにも似た「バベルの塔」を、天に届かせようという計画の元で建設し始めた頃から悪くなっていった。神に対するこの攻撃を理由に、ノアの長男セムはニムロデを裁き、彼を処刑した。
ヨセフス❲ユダヤの歴史家、37?ー100訳者註❳によれば、「ハムの黒人の孫ニムロデはセムによって斬首された」という。また、その後セムはニムロデの体を切り刻み、それをバビロンの邪教寺院に送りつけ、性的狂宴(オルギア)や、幼児の人身御供を行うとこのような裁きを受けると、邪教徒の神官に警告を発したと付言する説もある。

 この警告を受け、そうした忌まわしい儀式を辞めるどころか、邪教の神官達は文字通り地下に潜った。が、パレスチナ学の権威キトーによって記されているように、もはや「彼等の祭壇に血しぶきは上がらなくなった。」邪教の神官達は、ニムロデの肉片を形見として「木立」や「聖地」に密かに設けられている秘密の集会所に持って行った。これが、神秘主義カルトの始まりであり、その狂宴が公共の寺院で行われることはもはや無くなった。 

 セムのまえに、神官達は以降、禁じられた狂宴を日の目を見ない秘密の集会所だけで執り行う事になった。そこに集う人々は、秘密の儀式、即ち組織外の者には知る事が許されない、知れば殺される儀式で結束していた。  

 そこでグノーシス派、イーイング・ワンズ、つまり秘密を知る者の組織が誕生した。
ニムロデがフリーメイソンの創始者として知られるようになったのは、この為即ち彼の死後、その悪の所業を遂行しようと、基盤となる儀式が幾つも確立されたからだと思われる。

 過去3000年の人類の歴史は、セムの白人子孫とその弟のハムの浅黒い肌の子孫との戦いの歴史だった。が、この戦いはどのような歴史書の中にも、決して明記されない。セムの子孫に対する民族虐殺の記録は、歴史に関する古文書から明白であるにも関わらず、紛れもないこの事実を学生に伝えようとする教育機関が存在しない。この事態こそが、「説明出来ない」事として通常処理されている多くのことを説明する。つまり、この奇妙な乗っ取り、教育の過程を侵害してきたからである。以降、彼等は教育制度を支配し、自らの邪悪な目的に沿うようそれを歪め続けている。更に興味を引かれるのは、世界中のどの神学校も歴史の中心的この事実、歴史上の出来事を紡ぐ赤い糸に、なんら注意を払っていないことだ。



⚪カナンの遺言に従って現在も動いている
 世界秩序

 セムの名が一貫して歴史記録の中で悪く伝えられたり、伏せられたりする理由を理解する為には、極めて下劣で邪悪なその甥カナンの記録に戻らねばならない。

 カナンは実に邪な人間だった。子供達に残したその遺言は悪の教義であり、「(同じ種族の間でのみ)互いに愛し合いなさい。盗みを愛しなさい。姦淫を愛しなさい。主人を憎みなさい。真実を語ってはなりません」と記されている。
注目すべきこの文書「カナンの遺言」は、世界中の神話を探しても、バビロニアの〈タルムード〉でしか見出だせない。
そこには以下のように記されている。

 「カナンの息子達に5つのことを課した。
互いに愛すること。盗みを愛すること。姦淫を愛すること。主人を憎むこと。真実を語らないこと。」

 カナンの遺言は、この3000年の間、カナン人の活動の指示書であり続けている。一方、セムの民は、この文書の事を何も知らない為に、カナン人を「改宗」させ、その邪悪な方策を捨てさせようとしたが、徒労に終わった。この文書で告げられた指示について、セムの子孫が警告を受けていれば、この3000年の歴史は大きく変わっていたはずだ。今日でもカナンの遺言はその相続人達、現在、世界秩序を支配している人々の行動指示書として生き続けている。

 ……カナンの遺言には「カナンの呪い」奴隷になれという呪い。(※ノアがカナンに発した言葉)に抵抗する為の指示も含まれている。
「主人を憎みなさい」とは、とりもなおさずセムとヤペテ、そしてその子孫を憎みなさいという事であり、この指示はセム民族に対する民族虐殺命令である。だからこそ、以後カナン人は、この指示通りセム民族に対する暴力行為を起こす儀式を執り行っている。その指示は、あらゆる革命「解放運動」の基盤となっているばかりか、民族虐殺を行い人種戦争を遂行する根本的動機ともなっている。

 3000年の歴史の空白があるために、セム民族はその危険を全く理解出来ないばかりか、善良すぎるため、カナン人の卑劣さを信じられず、しばしば大量殺戮の憂き目に遭っている。カナンの遺言は、子孫がその憎しみをセムの子孫にぶちまける為の陰謀及び、秘密儀式についての基本プログラムであるが故にセムの子孫の目に触れないようにされてきたのである。




 

 【カナンの呪い】3.に続きます。