⚫東北の7つの山と生命の樹
  (24~25章)

 私はそこから地上の他の場所に行った。すると彼は昼となく夜となく燃え続ける山並みを見せた。それを越えて更に進むど7つの壮大な山があり、それぞれみな違った姿をしていた。その岩石は素晴らしく、また美しく、全体としては壮麗な眺めであった。……第7の山は中央にあってどれよりも高く、玉座のような形をしていた。そして芳香を放つ樹が玉座を取り巻いていた。それ等の樹の内1本はかつて私が嗅いだ事も無い香りをもっており、周囲の樹々や、他の同様の樹とも違っていた。その香りはあらゆる香りに勝り、その葉も花も幹も永遠に枯れることが無く、その実は美しく、なつめやしに似ていた。

私は言った。
「何という美しい樹、何という良い香りであろうか。その葉の綺麗なこと、花の麗しき、なんと素晴らしいではないか。」
すると私に同行していた聖天使ミカエル、天使達の長が答えた。
「エノクよ、なぜこの樹の香りについてわたしに聞くのか。どうして真理を学びたいと願うのか。」
そこで私は言った。
「私は何でも知りたいと思いますが、特にこの樹については知りたいのです。」
彼は答えた。
「お前の見た高い山だが、あの頂上の形は神の玉座のように見えるだろう。正にその通りなのだ。そこに、大いなる聖者、栄光の主、永遠の王が恵みをもって地上を訪れる時に座られるのだ。さてこの香りの高い樹について言えば、大審判の日までは、死ぬべき人間は誰もこの樹に手を触れてはならない。その審判の日に主はすべてのものに報い、一切のものについて永遠の決算をされるのだ。その時、この樹は義人と聖者に与えられる。この果実は選民の食物となり、樹は聖所、即ち永遠の王なる主の宮に移し植えられる。」


 その時彼等は大いに喜び、聖なる場所に入る。その芳香は彼等の骨に染み通り、彼等は地上に生きながらえ、その先祖達のような長寿を得る。彼等の生きる日の限り、悲しみも災いも責苦も、悩みも彼等に手を触れない。

 私は栄光の神、永遠の王、義人のためにこのような賜物を整え、これ等を創造して彼等に与える事を約束された主を称えた。

 

 ⚫義人の光栄と勝利、異邦人の悔改め
  (50章)


 その時聖者と選民の上に変化が起こり、日の光が彼等の上に留まる。光栄と名誉が聖者に与えられる。罪人に対する災いが積み重ねられる苦難の日に。

 義人は諸霊の主の御名によって勝ち誇り、主は他の者達にそれを見せられる。それによって彼等が悔改め、その手の業を止めるようになる為に。

 彼等は諸霊の御名によって名誉を得ることはないが、それでもなお御名によって救われる。諸霊の主は彼等に憐れみをかける。
主の憐れみは大きいから。

 主は審判において義しく、主の栄光の前には不義は立つ事が出来ない。主の審判に際して悔改めない者は主の御前に滅びる。
今から後、わたしはもはや彼等を憐れまない、と諸霊の主は言われる。


 ⚫死者の蘇り
  (51章)

 その時、大地はその手にゆだねられていたものを返し、シェオールもかつて受けたものを返し、地獄は借りたものを返す。

 なぜならその時「選びの者」が立ち上がり、死者の内から義人と聖者を選ぶから。

 救いの日は近づいた。
その時、「選びの者」はわたしの玉座に座り、その口から知恵と助言のあらゆる秘密を注ぎだす。諸霊の主はそれ等を彼に与え、彼に光栄を与えたからだ。 

 その時山々は牡山羊のように踊り、丘は乳を心ゆくまで飲んだ仔羊のように飛び跳ねる。
天のすべての天使の顔は喜びに輝く。

 大地は喜び、義人はその上に住み、
 選民はその上を歩く。



 ⚫エノクの見た2つの異象
  (71章)

 天の後、私の霊は殺されて天に昇ってゆき、そこで神の聖なる子等を見た。
彼等は炎の上を歩いており、その衣は白く、その顔は雪のように輝いていた。私は二条の火の流れを見たが、その火の光はヒヤシンス石のように光輝を放った。

 私は諸霊の主の御前にひれ伏した。
すると大天使ミカエルが私の右手を捕え、私を立ちあがらせてあらゆる秘密を見る為に導き、義のすべての秘儀を示した。また、彼は天の果てから果てまでの秘密をことごとく示し、あらゆる星と天体の部屋をことごとく見せた。
それらは、そこから出て聖者達の前に進むのだ。

 やがて彼は私の霊を天の天に移したが、そこで私は水晶で作られたような建物を見た。
水晶の間からは活きた火の舌が見えた。私の霊はその火の家の周囲にはめられた帯を見た。 

 その4つの側面は活きた火が燃え上がり、その家を取り巻いていた。
辺りはセラフィム、ケルビム、オファニンと眠る事のない者達が居て、主の栄光の玉座を守っていた。また、数しれぬ天使がおり、その数は千々、万々、家の周りを取り囲んでいた。 

 ミカエル、ラファエル、ガブリエル、
ファヌエル、天上の天使達はその家に出入りしていた。彼等はその家から出て来た。……
そして無数の聖天使達。

 彼等とともに「多くの日の頭」が居られた。
その頭は羊毛のように白く、その衣は口に言い表せない。

 私はひれ伏した。
全身がゆるみ、私の霊は姿を変えた。
そこで私は大声で叫び、力の霊と共に
祝福し、褒め称えた。

 私の口から出た祝福の言葉は「多くの日の頭」の御心にかなった。
「多くの日の頭」はミカエル、ガブリエル、ラファエル、ファヌエル及び、千万のおびただしい天使の群れと共に出て来られた。

 私は天使の一人に尋ねた。すると、天使は私の所に挨拶をし、そして言った。
「これこそ『人の子』、義のために生まれた者。義は彼の上に留まる。『多くの日の頭』の義は彼から離れない。」

 天使はまた言った。
「彼は来るべき世の名において平和を宣言する。世の初め以来、平和は来るべき世から出るのだから。同じようにお前にも永遠の平和があるであろう。人はすべて彼の道を歩むであろう。義は彼を離れたことがないのだから。彼と共に義人の住まいがあり、彼と共に彼等の継ぐべき宝がある。彼等は永久(とこしえ)にいたるまで彼を離れることが無い。」

 かの『人の子』の日は長く、
義人は平和と真直な道を得る。諸霊の主の御名によって永遠に。





 以上が「エノク書」の抜粋でした。


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 次に「旧約聖書外典(下) 新見 宏訳」関根正雄(編)より、「第四エズラ書」を紹介します。解説によると、この書の名称はローマ・カトリック教会の公認ラテン語ウルガタに用いれられている名称であり、16世紀ジュネーブ聖書以来の英訳外典では、第二エスドラス書と呼ばれています。

 

 【第四エズラ書】

 ⚫第一の異象
  
 ○序言
  (3章1−3)

 エルサレムの都が滅びてから30年目、私サラティエル(別名エズラ)は、バビロンに住んでいた。ある夜、私が床の中に横になっていると、心が騒ぎ様々な思い煩いで頭がいっぱいになった。あのシオン(エルサレム)が荒れ果てているのに引き替え、ここバビロンに住む人々が繁栄しているのを見て考えさせられたのだ。私は精神の苦悩を覚え、いと高き者に向かって心の中に恐れを訴えた。


 ○第一の問い
 この世の罪と悲惨は何処から来るのか
またイスラエルの苦しみは神の正義と矛盾しないか (3章4ー36)

  (略)
 その時私は心の中でこう言ったものです。
「……ところが、私がここに来て見ると数え切れないほどの悪があるではありませんか。私は30年間この眼で多くの悪人共の行いを見て来ました。そしてもう思いは悲しみに打ち沈んでいます。あなたが罪を犯す者共を生きながらえさせ、悪事を働く連中を見逃し、あなたの民を滅ぼす一方、敵を守って来られたのを見たからです。しかもあなたの道を悟る手掛かりを誰にもお与えになりませんでした。……私は諸国、諸民の間をくまなく歩き回り、彼等があなたの戒めを守らないのに繁栄しているのを見て来ました。ですから、どうか私達の罪と世界中の他の国民の罪とをはかりに掛けてみて下さい。はかりがどちらに傾くかは明らかになるでしょう。地上の民があなたの前で罪を犯さなかった時があったでしょうか。イスラエルのようにあなたの戒めを忠実に守った国民がありますか。確かに個人としては戒めを守った人もあるかもしれませんが、国民全体としては一つも見つからないはずです。」


 ○天使ウリエルの答え
 エズラとウリエルの問答(4章1ー21)

 その時、私の所に遣わされていたウリエルという名の神の使いが答えた。
「お前はこの世の事がまったく分かっていないのに、至高者の道を知ろうとするのか。」

 「はい。我が主よ。」
すると天使は言った。
「私は3つの道をお前に示し、3つの例えを知らせる為に使わされたのだ。もしお前がこの内の一つでも解く事が出来たら、お前が悟ろうと望んでいる道を教え、邪悪な心が何処から来るのか教えてあげよう。」
………

「さあ、良いかね。火の重さをはかってみよ。風の分量をはかってみよ。或いは、過ぎ去った日を呼び戻してみよ。」

 私は答えた。
「地上に住む者の中、誰一人として答える事が出来ないような問いをどうして私にお聞きになるのです。」
 天使は尚も言葉を重ねた。
「では、もしわたしが次のような問いを出したらどうだろう。海のふところには住居が幾つあるか。或いは、淵の源には泉が幾つあるか。或いは、蒼穹の上には道が幾つあるか。或いは、黄泉の門は何処にあるか。或いは、パラダイスへの道は何処にあるか。などと。そうするとお前は多分答えるだろう。私はまだ深淵に下った事はありませんし、黄泉に下りて行った事もなく、天に昇った事も、パラダイスに入ってみた事もありません。と。だが、わたしはこんな難しい事を聞いているのではない。わたしの聞いたのは、火と風と過ぎた日の事、つまり、お前が日常欠くことの出来ないものについて聞いただけではないか。それでもお前は答える事が出来なかった。」

天使は更に語り続けた。
「もしお前が子供の時から親しく見聞きして育った事柄をさえ理解出来ないとしたら、どうしてそんな小さな力量で至高者の道を悟ることが出来よう。至高者の道ははかる事が出来ない。この滅びゆく世の死ぬべき者に、不滅なお方の道を知る事がどうして出来よう。」

 これを聞いて、私はひれ伏して言った。
「こんな世の中に生まれて罪と苦難の中に生き、しかもなぜ苦しまなければならないのか分からない位なら、いっそのこと生を受けない方が良かったのです。」
 天使は答えた。
「ある時、森の樹々が集って互いに相談して言った。『さあ、海に向かって戦いを仕掛けよう。海を我々の前から退かせ、森をもっと増やすようにしよう。』と。ところが、海の波も同様に相談して言った。『さあ、出て行って森と戦おう。森を滅ぼして我々の領土にしようではないか。』森の樹々の謀り事は無駄になった。何故なら、火がやって来て森を焼き尽くしたからである。同じように海の波の企ても実現しなかった。砂が立ち上がって波を塞いだためである。お前がこの2つを裁くとしたら、どちらが正しいとし、どちらが間違っていると判定するかね。」
「両方共バカな事を企てたものだと思います。何故なら、樹のためには土地が割り当てられているのですし、海に対しては波に耐える場所が与えられているのですから。」

 「よろしい。お前の判断は正しい。だが、自分自身の事についてはどうして正しい判断が出来ないのか。森には土地が与えられ、海には波に耐える場所が割り当てられているように、地上に住む者達は、地上の事だけを知る事が出来、天上に住む者達は天上の高みにある事柄を悟るのだ。」

 (4章22ー43)

 (略)

 彼は答えて言った。
「もしお前が生きながらえる事が出来れば、やがて悟るだろう。お前が長生きすれば驚くだろう。この世は終わりに向かって急いでいるのだ。真にこの時代は、敬虔な者達に約束された事柄が定められた時に実現するには余りにも悲哀と無力な時なのだ。お前が尋ねた悪の種は既に撒かれているが、収穫の時はまだ来ていない。それ故。悪のみが刈り取られ、悪の種子が撒かれた土地が無くならなければ、善の種子が撒かれる土地は出てこない。一粒の悪の種子は最初にアダムの心に撒かれた。それから今日までにどれだけ多くの不信が実を生じた事だろう。これから収穫の時迄に更にどれだけ生じる事か。…」

 「けれども、それはいつ起こるのですか。何時まで待たねばならないのです。なぜなら、私達の命は極めて短く、悲惨なのです。」
「お前がどんなに焦っても至高者よりも早くなる事は出来ない。お前は自分自身のために急いでいるのだが、いと高き御方は多くの者のために事を成されるのだ。お前の質問とまったく同じ問いを、多くの義人の魂が各々に割り当てられた部屋の中から問うているではないか。『何時までここに居なければならないのか。我々が報いを受ける収穫の時はいつ来るのか』と。この問いに答えて天使の頭エレミエルは言ったのだ。『君達と同じような人々の数が満ちるまでだ。それは、主はこの代をはかりにかけ、時の長さをはかり、時節の数をかぞえた。主は何一つ動かさず、変えない。定められた数が満ちるまでは。』」


 ⚫この世の終わりは神によってのみ来る
  (5章56ー6章6)

 私は言った。
「主よ、お願い申し上げます。もし御心に叶う事でしたら、下僕にお教え下さい。あなたが、あなたの創造された世に来られる時は誰を通して来られるのでしょうか。」 

 すると主は答えた。
「地球の初めの時、この世の門がまだ設けられず、風さえも集って吹く以前に、雷の轟も聞こえず、稲妻も閃かない時、パラダイスの基が据えられず、その美しい花もまだ咲かない前、天の動力も働かず、数しれぬ天使の軍勢も集まらず、大気の高さも高みに引き上げられず、蒼穹の区分も名づけられず、シオンが神の足台と定められず、この今の世の年数が数えられず、この世の罪人共の悪巧みがまだ排除されず、信仰の宝を積む人々がまだ神の封印を受ける前、その時でさえ、わたしはこれ等の事を既に心に抱いていたのだ。そしてこれ等のものは、他の誰でも無く、だだわたし独りによって創造されたのだ。同じように、わたし独りによってのみ、終末も来る。」 



 以上途中まで。