こちらはタルムードについてよりも、古代の悪魔崇拝の根本が現代まて続いている話が理解できる内容です。ひき続き、れんだいこのさんのブログから抜粋させて頂きました。

(※注 すみません。m(_ _)m昔の漢字で変換が難しく、読めない字は○にしました。)

 
第一章 古代に於けるイスラエル民の反逆 ⑴

 ユダヤ人の宗教的堕落を助成せしものが、その人種的特性であったと云うことは、我らの既に述べた通りである。実際ヤコブの子孫である所のユダヤ人は、早くから神から与えられた約束(その子孫から救世主が生れ、そしてパレスチナを与えられると云う)に当らざるものとなった。彼等の国民的存在が創始され、神がモーゼによって約束の地を占領する為に、彼等を召したその当時に於て、既に彼等はその心の底に、近東諸国の異邦民(ユダヤ人はユダヤ教を奉ぜざる諸国民を異邦民と呼称して蔑視する)の神々に対する抑え難き憧憬を感じていた。

この神々を崇拝する魅力が非常に強かったので、彼等は僅かな機会をも利用し、例えば神が彼等に与えたる立法者モーゼの暫時(しばし)の不在に乗じて、一度斥けられた偶像を復興し、禁じられた敬礼をこれに捧げた程であって、ヤコブの子孫は、エジプト記の初めに記録されている時代から、既にかかる背教的思想を現していた。しかも神は彼等のかかる態度にも拘らず、彼等を偉ばれた民として偉大なものに為さんが為に、多くの奇蹟を行いつつあった時に於いてそうであったのだ。

 一つの周知の事実は、ある時ユダヤ人はシナイ山の麓に天幕を張って野営した時、モーゼは、全山に轟く雷鳴を、雲間に閃く電先の中から、神に授けられた十戒を刻みつけたニ版の石板を奉じて山を下った。
モーゼは麓にあったユダヤ民全体に向かって神の彼等を庇護する旨を告げようとしていた。しかるに○計らん、ユダヤ人は、モーゼの留守の間に、兄弟のアロンを強要して造らせた金の○(こうし)の偶像を囲んで、これに対する礼拝の舞いをしていた。

かくまで早く豹変したユダヤの反逆に対して、聖書(エジプト記32章9節)は神の口から発せられた次の如き痛恨の言を記している。「我、この民を観たり。視よ、これは項(うなじ)の強き民なりと」。

 この聖書の言葉は、イスラエル民がその反逆を重ねて行い、方埒(ほうらち)と残酷とを神体化して祀る近東諸国の宗教に立ち戻る頑迷なる態度を表す毎に聖書に重ねて宣べられてある。

また、年既に老いたる預言者サムエルが、自分に対するユダヤ人の忘恩を訴えた時、神は次の如き有名な言葉を宣ベて彼を慰撫した。「汝らを斥くる時、彼等は汝を斥くるに非ず、我を斥くるなり。それは今より我が彼等の王たらざん為なり。彼等が汝に対して行う所は、我が彼等をエジプトの引出せし時以来今に至るまで行いしなり。彼等は他の諸神に仕うるが為に我を棄てたり」(サムエル前書3章)。



 古代に於けるイスラエル民の反逆 ⑵

 我らの既に述べた如く、神の選抜はアブラハムとヤコブの子孫について、その祖先の功績に対する褒章であったが、それはこの同一の子孫の心に於て他の諸国民の歴史にその比を見難き程の反抗に逢着したのである。彼等は自分の運命として担った使命に怖れをなして、ひたすらこれを免れんことを夢想していた。

バイブルはユダヤ人の歴史の前半即ち彼等がエジプトを出てからユダヤ王国建設に至るまでの西暦紀元前1096〜1625年に於て預言者ら及び国民指導者の偉大なる俤(おもかげ)を伝えている。それと同時にバイブル中にはこれらの人物が、同胞や偶像崇拝癖と、絶間なき奮闘を続けつつあったことを物語っている。

 (略)

 イスラエル民が征服し安定していた土地は、約束の地全部ではなかった。その南部に住んでいたクリト島から出た慓悍(ひょうかん)な土民ペリシテ人は彼等から征服されなかった。北部には強力なフィニキア王国の都市があったが、
………

 これらカナン人の諸神は、フィニキア人のそれと同一であった。フィニキアの町ツロと勇敢なるシドンの航海者らは、カルタゴのみならず、地中海の全沿岸、ヨーロッパの西岸とアフリカ、紅海に至るまで、彼等の寄航するあらゆる地に、彼等の崇拝する諸神の祠堂を建設した。これはモロク及びアシタロテと称する神々であった。

※モロクは牛を神としたものである。
或る地方ではこれをメリカル又はワアルと称していた。
即ち内部の空虚となっている巨大な鋳○製の偶像を造り、その中に火を燃やして真っ赤に灼熱させ、人身御供(ひとみごくう)をこの中に投げ込む風習があった。

(※モロク、ワアル(バアル)は現在でもそのまま悪魔の神として崇拝されています。因みにその姿は角の生えた牛の顔に人の身体をしています。の日本のアプリ、メルカリの名前とあの箱のロゴも、上記メルカルから来ている事は疑えません。悪魔崇拝のロゴを調べれば理解出来るかと思います。)

 この神の崇拝者は、最も苦痛な犠牲を払わねばならなかった。それは長子を人身御供としてささげる義務を負うのであった。この○忌すべき礼拝式は、我らの口にするさえ忌わしい事だ。
ローマ人が、多年フィニキア人の支配下にあったサルディニヤを征略した時、灼熱したモロクの偶像を至る所に見た。偶像の内部に投入された人身御供の苦しみ○く声と、その外側で揚げる破るような笑い声と合いして、果たしてこれが人間の世界であろうかと云う戦慄すべき感じを与えたものであった。このような笑い声は、今日に至るまで「サルディニヤの笑い声」と云われている。


 古代に於けるイスラエル民の反逆 ⑶

 アシタロテは淫慾(いんよく)の女神である。これに奉仕する者は、何れも神聖な者と称せられている淫乱な女であった。そしてその祭礼の日には、全て婦人は淫○行為を義務としていたのである。ユダヤ人がその国を領有した後、土地の時代に於いても、王制の時代に於ても、彼等の大半はモロクとアシタロテを崇拝し、これに祭壇を築いて奉仕した。
そして自分の子女に対して火中を通過する儀式を行った。
預言者らはこの人間を犠牲にする風習の為に、絶えずユダヤ人を譴責(けんせき)したが、この風習は今日に至るまでユダヤ人の間になお廃止されないで、そのいわゆる儀典的殺人に幾分この風習の痕跡を見ることができる。

 この重要なる問題をここで解説することは適当ではないと思うが、この問題の為に各国民は一再ならずユダヤ人を攻撃した。何となれば彼等の中に或る者が、この非人道的行為を敢えてした時、他の者らが団結心の為にこれを庇護したからである。

正教会諸聖人伝記中に、※モロク宗を奉ずるユダヤ人に苦しめられて殺された多数の児童の事蹟が記されてあることに想到せば、この間の消息を知るに十分であらう。20世紀の始め、僅か25年に各国政府のユダヤ人に対する好意があったにも拘らず、裁判手続きにより法律的に立証せられたるいわゆる儀典的殺人犯の数は十件に上がっている。
 
(※この時代においてもモロク崇拝によって多数の児童の儀式殺人が知られていたようですが、多数どころではなく現代に至るまで何十万、いやそれ以上の児童が殺されています。)



 (略)

 この時代には、対僧侶との粉擾(ふんじょう)が一掃された。その子ソロモンが王位についた1000年時代の始期は国内大いに治まり、国民からは古代賢哲の再現なりと崇敬されたが、晩年に至り異邦民、異教徒の美人を寵愛し、奢侈(しゃし)に流れ、荒淫を極め、剰(あま)つさえ教祖エホバの神にさえ仕えなくなった。これが為に国内大いに乱れて僧侶との暗闘は再燃した。そしてその結果、遂にイスラエル民の十二支派から十支派の分裂を見るに至った。


 古代に於けるイスラエル民の反逆 ⑷

………約○(アーク)は、モーゼがシナイ山で神から授かったユダヤの神器とも云うべき十戒を刻みつけた石板を納めたる箱であって、ユダヤ人の会堂で最も尊崇せられていた。

そしてソロモン王によって、このアークを安置せる殿堂が建設された首都がレハベアム王の手中に握られているという事情は、王位簒奪者なるヤラベアムの行動を大いに抑制した。

実際モーゼの律法は獻祭(けんさい)を行う場所をただアークの守られた聖堂に限り、他の場所に於て行われた獻祭は全て無効であると規定した。それでユダヤ人は毎年各地から獻祭を行う為にエルサレムに集まったのであった。

イスラエル国のユダヤ人はイスラエルに上る時、正統の国王に属し、王権の最も盛んに行われていた領地に入って、預言者なるダビデ王の後○と密接につながっていた祭司を輔(たす)けて聖儀を執行するレビと交渉した。ヤラベアム王の臣民にとっては、この機会が分裂を棄てて、ユダヤ国に復帰するための一大誘惑となったのである。

 そこでヤラベアム王は、この危険を防ぐ最善の方法がモーゼの宗教をイスラエル国内に撲滅して、その代わりにソロモン王が既に隠然(いんぜん)信奉して異教の緒神の崇拝を普及させるにあると考えた。このことばバイブルの次の言葉からも明らかだ。……(「列王記略上」12章26〜31節)。

 こうしてヤラベアム王は、純正なる宗教を信奉するユダヤ人の迫害者且つ配信者なる多くのイスラエル国王の○矢となった。そしてこの緒王中、最も有名なる者はアハブである。彼等臣民中、多くの人々は彼等の征く所に従うことに辞し、また先に異教に転向したユダヤ人の例に倣うことを拒絶したが、どうともすることができなかった。

レビの人々が続々ユダヤ国に脱出して留まる者がなかったので、預言者が民間から現れて真の神の言葉を聴くべく宣伝した。しかしそれも効果がなかった。


 古代に於けるイスラエル民の反逆 ⑸

 イスラエル国は神職の拘束を離脱して、独裁政治を行うに便利な政策を取った。ただ王位簒奪者エヒウの治世のみ預言者エリシャによって、暫時ながらユダヤ人の間に純正なる宗教の復興を見るに過ぎなかった。エヒウ王死後、その子孫は直ちに以前の諸王の政策を再興して、真の神の奉仕者等を死刑に処した。

かくしてイスラエル支派分裂後、二世紀を経た紀元前721年、イスラエル民の半数は自発的に、他の半数は強制的に純正なる信仰を棄てた。そしてモーゼの律法は、イスラエル国内に於てただ少数の忠実なるユダヤ人によって、密かに信奉せられていたのみであった。

 (略)


 イスラエルの支派の分裂は、エルサレムがハルデヤ人の占領する所となって以来一層深刻になった。
紀元前536年に、ユダヤ国の住民がバビロンの幽囚となるを免れてその故郷に帰還した時、サマリヤ人は、約束の地または聖地とユダヤ人の呼んでいたカナンとパレシチナに住んでいた多くの異教徒をユダヤ教に転向せしめた。
彼等はユダヤ人がエルサレムの聖殿を再建せんとする企てを嫉視の眼をもって見ていた。そして百万これを妨害しようと努めた。
この事は多年彼等とユダヤ人との間に醸成されつつあった宿世の怨恨をいよいよ激化するのみになった。

 
 
……バイブルの諸書中、彼等はただモーゼの五書のみを認めている。但しこれを彼等はなおヨシュアの書と称せらるる年代記を附加している。この書中には、旧約聖書を最も空想的な形式に於て叙説し、又ゴリジム山上の聖殿に比較して前者の優越性と年代の古き事を立証するに努めている。
このヨシュアの書は、この預言者の存命中に著わされたものとされているが、甚だしい時代錯誤を含んでいる。それによるとこの書は五世紀に書かれたものといって差し支えない。


 古代に於けるイスラエル民の反逆 ⑹

 ユダヤ国に於いては、エホバ__ユダヤ教__宗教は比較的容易に保持せられていた。何となればレベアム王は、その祖父なるダビデ王の宗教的魅力とレビ等の支持によってその王位に堅立していたからである。しかし王権対モーゼの律法の闘争を惹起すべき原因はエルサレムにもあった。

ユダヤの王等は、自分の権力を司祭等に分かつことを煩わしく感じていた。彼等はイスラエル国の王等の独裁権をもっていることを妬んでいた。そして終にはモーゼの律法の勢力を弱める為にイスラエル王らの例に倣って、※偶像崇拝を国内に伝播せしめた。
この変革は宗教上の目的と云うよりは、むしろ政治上の目的から行われたのである。アタリヤとヨアシ王の著名なる実例はこの事を証して余りある。ヨアシ王はレビ等によってアタリヤの残虐から救われ、彼等の助力によって王位についたのである。

(※偶像崇拝も真の神エホバは、人類初めより禁じており、悪魔崇拝となるのです。しかし、この世の宗教は殆どと言っていいほど神の姿を偶像化させて崇拝させています。つまり悪魔教なのです。)

 王位についた彼は、程なくレビらの拘束を離脱せんとする希望に燃えた。彼はレビ等と軋轢(あつれき)を起し、アタリヤの政策に立戻って祭司長を聖殿の入口に於てユダヤ人の死刑の一種である石撃することを命じた。
ヨアシ王の後継者の歴史の大半も殆んどこれと大同小異であった。しかしユダヤ王等の敵対的態度にも拘らず、真の神の崇拝はユダヤ国に於ては連綿として絶えることなく、大多数のユダヤ人は皆その祖先の宗教を信奉していた。

 イスラエル人と云う名称は、神と格闘する者即ちイスラエルの意で、ヤコブの子孫全部を指したものである。
またユダヤ人と云う名称は、特にユダヤの支流に属するイスラエル人で、これを広義に解釈すると、ユダヤ国に属するイスラエル人を指示したものである。

イスラエル十支流がアッシリアと混血した結果、純血なるイスラエル人はユダヤ以外にいなくなったのである。
ユダヤ人と称されるサマリヤ人の如きは新たにユダヤ教に転向した外国人で、殆どユダヤ人の血統を受けていないからである。

 紀元前606年にエルサレムはバビロン王ネブカドネザルの手中に帰した。そしてヤキム王とその人民の一部は捕虜としてバビロンに送られた。
残された人民の為にネブカドネザルは自ら於いてを選んでこれを納めさせた。この王等はその○絆を脱しようと努力したが、ネブカドネザルは十六年を経て再び攻めて来て、エルサレムを徹底的に破壊した為、先に寛大にして残留を許した者の内、エジプトにも脱しなかったもの全部を捕虜としてバビロンに連れ帰った。
これが即ちユダヤ人の宗教的運命に徹底的影響を及ぼしたバビロン大幽囚の初めであった。



 第八章 タルムードの照明の下に ⑴

 それと全く同様にタルムードの著述者等は、バイブルの言葉を更に自分の言葉に言い換えて、これは前に述べた如きいろいろの荒唐無稽な内容に混入して、※バイブルを全然歪曲した。
その一例を挙げると、※※太古には神は人間を男女両性を具備する者に造った。アダムとエホバは一体をなして居たが、神は後に考案を変更してそれを二人に分体した。両性具有はタルムード中重要な位置を占めている。
 
(※彼等は大昔から聖書を歪曲しまくり、偽りの教義を造っています。そして※※悪魔バフォメットは知られている通り両性具有者であり、その教えは性的な乱れを愛し、同性愛者達を歓迎しています。バフォメットの姿は知っている人が殆どでしょうが、顔は角の生えたヤギで胴体と腕は人間ですが胸部分は女性、背には翼、下半身は驢馬?となっています。そして腹には2匹の交差して上る蛇があります。また、彼等崇拝者は、動物との性行為も行うのです。)



ユダヤ秘密教徒はこれに対する興味を各種の神秘学派の大半に伝えた。現代に於ても我等は或る絵画に現れている両性具有の徴候について、真面目な論議を述べている※錬金術の学者のあることを知っている。
これ等の絵画にこの徴候の存在している事は、ルーヴル(現在博物館となっているパリ__最高の王宮)にあるイタリーの世界的有名な画伯※※レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた名画「前駆(さきがけ)」(ヨハネ)の如きにも推想されている。
❲傍註❳

(※錬金術は常に悪魔崇拝者達のものです。そして※※レオナルド・ダ・ヴィンチは同性愛者であり、悪魔崇拝者だったと昔からいわれています。)

 「アダムはその時非常な長軀(ちょうく)」を有して、その頭が天に支えていた。彼が横に○(ふ)した時は彼の足は西方の極端にあり、その頭は東方の極端にあった。そして彼が罪を犯した時、神は彼を普通の人よりも小さくしたとサンへドリンに書いてある。

バイブルに載せられているバザンの王オーグも殆んど同型の巨人であった。この人物はタルムード中の舞台にしばしば引き出されている。
ラウウィン等の力説する所によれば、彼はその身長の為に大洪水の時も水中に溺れなかった。最も高い山が水に蔽(おお)い隠れた時にも、彼の頭は常に水面上に露出していた。しかし彼は大いなる危険に曝されていた。それはその時全地を蔽っていた水が非常に熟していた為に、彼の身体は煮られ了う恐れがあった。しかるに彼は仲中狡猾(こうかつ)であったので方舟(はこぶね)の水が冷たいのに気がつくと同時に、その側から一寸も離れなかった。この期間中精進食の外に食べるものがなかったので、これが彼をしていたくて不安を感ぜしめた。何となれば彼は通常毎日二千頭の牛とこれと同数の野獣とを屠(ほふ)って食し、これを肴として二千樽の酒を飲んでいたからである」。

 (略)

……タルムードがかかる寓話のみを含んでいるものとの考えは大いなる誤解である。この書を編纂したパリサイ派の人は、これ等の作り話を以て※神とバイブルを嘲笑して、新たな聖書に於て自分の教義の本質的基礎を確立しようと努めたのである。かようにして、タルムードの中には輪廻に関する古来の教義を判別述べている個所が、現在ではキリスト教徒の間にも降神術、神智学の形を以て宣伝せられている。

 (※彼等は真の神を常に馬鹿にしています。そして悪魔の教え、有りはしない輪廻転生、そして神が忌み嫌う降神術、占術を盛んに行うのです。)
 
 タルムードの説く所によると、神はユダヤ人の霊魂を自身の本体から○度(ちょうど)子が父の本体から出る如くに造って、彼等総ての者に楽園に於ける永久の福楽を備えた。しかし神が彼等をその所へ入れるのは、彼等がいろいろの化身を経て洗練せられた後でなければならぬ。

故に死人の霊魂は、神がそれを自分に召すまでの間は、生まれる子に於て化身するが為に再び帰って来る。しかるにユダヤ人が悪事を行うことがある。他のユダヤ人を殺したり、同民族に背反したりする事がある。この場合神はかかる逆徒に対して如何に処置するであろうか。彼は之を永遠の苦痛に定めない。最悪の場合に於てもただ一年間だけ苦悩を嘗めさせる。
※その後この霊魂は植物に生まれ変わる。そして更に動物に、それから非ユダヤ人に生まれ変わり、最後に再びユダヤ人に身体に帰るに当たる者となって、再び永久の福楽を得る者となる。


(※この輪廻転生の例え話は、よく仏教の説教、講話でも聞かれる内容です。それもそのはず。仏教の初源も調べると悪魔教なのです。)


 第八章 タルムードの照明の下に ⑵

 既に25世紀を経過したパリサイ派のこの教義と、現今アラン・カルデク或は※ブラワツカヤ女子の門弟等の信奉している教説との間に存ずる類似の大いなるにに我らは驚かざるを得ない。
ただその間の根本的相異は次の点に存ずる。即ちタルムードの○う所の永遠の福楽はただユダヤ人にのみ予定せられているが、降神術者及び神智学者は総ての人々が皆この境域に到達することが出来ると云うのである。この場合に於ても両者の間に或いは判然たる矛盾はないかもしれない。

何となればタルムードの説によればユダヤ人以外の異邦人異教徒も、自己修養によって、ユダヤ人の身体に生まれ変わることが出来る。それで神智学者が無機物から始めて人間を以て終わるこの存在の連鎖は、タルムードによれば余計な環を一つ加えることになる。
ユダヤ人或いは超人が加わるのである。神智学者或いは降神術者は一時この追加の環を認めないこともできよう。

(※ブラワツカヤ女史は恐らくブラバッキー女史の事。神智学を広め、現代までのニューエイジブームの火付け役ともいわれる人物。アリエスタークロウリーも彼女の影響を受けています。当然2人共悪魔崇拝の指導者として名高い人物です。)

 (略)

 以上擧示(きょじ)した人々よりも遥かに多くの天資を賦与せられたるカインは三つの霊魂を持っていた。その一つはグドロの身体に、その二はコレヤの身体に、その三はモーゼに殺されたエジプト人に宿っていたものである。

タルムードの中に殺人者及び姦淫者として描かれているイザヤについては、その霊魂が憎むべきキリスト教の始祖なるナザンのイエスに更生したと云われている。
そのイエスはラウウィンらの言によれば、「地獄に於て糞尿の沸騰している釜の中に投げ入れられといる」(サンへドリン章)。これはタルムード中最も嫌悪すべき個所で、一再ならずその削除を試みられたが、その都度ラウウィン等によって複末された。「ユダヤ人以外の人々の霊魂も同様に地獄へ行く。(罪を犯した為にただ一時非ユダヤに生れ変わったユダヤ人と之を混同してはならぬ)しかし総てのユダヤ人は早晩楽園に入る。他の全ての人々殊にキリスト教徒及び回々教徒は咀(のろ)はれて永劫、膽汁(たんじゅう)と汚○(おわい)の満ちた樽の中に漬けられる」(レスト・ショタルマ・ゼフェル・ゼマル・ハマール章)。

 彼等は地獄の苦悩から救われる唯一の方法は、割礼を受けることと、生存中にユダヤ教に転向することに於て認めついる。
総ての「ゴイ」(非ユダヤ人民特にキリスト教信徒を呼ぶ侮蔑の話)の呪詛せられれことは全く当然である。「何となれば、もしユダヤ人が神から出た者とするならば、全てのゴイは悪魔から出た者である。そして彼等の霊魂は最も不潔なる動物の霊魂と同一であるからである」(スケファタル、ジャルキュシャド)。


(非常に酷い内容ですが、聖書に悪魔が最期の審判の後に永遠の地獄でどうなるのかを、この場合(彼等が、実は上記に似た地獄へ堕ちる事になっている)反対にして、神に憎しみを込めて仕返ししていると云えます。神やイエスを実際に地獄に落とすことは不可能なのは彼等(悪魔ルシフェル達)も分かっているからです。だからイエス(真実の王)は悪魔だとわざと反対の事を言っているわけです。)


 第八章 タルムードの照明の下に ⑶

 タルムードは、*世の末に至って※ユダヤの王なる救世主が現れて、王の乗座せるその馬車の車輪の下にゴイ等を轢(ひ)き潰す時に生ずべき種々の出来事の預言を以て満たされている。このタルムードによれば、※※「その時偉大なる戦争が起る。そしてゴイ(豚)の三分のニは滅亡する。

(※このユダヤの王とは悪魔ルシフェルの事を指しています。※※これらはジョージア・ガイドストーンに刻まれている、この世の支配階級の計画書と同じ文言です。つまり、この今でいうNWOは遥かな昔から彼等の計画書に書かれていた=タルムードが計画書の一部、若しくは全部だったと言えるのかもしれません。なにせ、
タルムードはユダヤ教の聖書ですから‥‥。)


戦勝者なるユダヤ人は敗北者等の武器を焼却するに7年を費やす。この敗北者等はユダヤ人に屈服して、豊かな贈品を献じるであろう。しかし王なる救世主はキリスト教徒の貢物は受けない。彼等は算(かぞ)え尽くせないであらう。メッシャ王の富は、これを収容する倉庫の鍵だけでも三百頭の馬に負わせる荷物となるほど厖大(ぼうだい)であらう。一般のユダヤ人についていえば、その中の最も卑賤な者一人でも、二千八百人の奴隷(ゴイ)を所有するであらう。

キリスト教徒の○滅せられた後には、残った人々の心眼は開かれ、彼等は割礼とユダヤ教に入会する為の儀式を請願するであらう。その時全世界の住民は只だユダヤ人のみとなろう。その時は地は耕さずして蜂蜜のケーキと、毛織物の衣装と衣服と各一粒の大きさが最も大きい牛の腎臓に等しい程の不思議な小麦を生ずるであらう」(サンへドリン章)。

(キリスト教の聖書を読んだことのある方は、如何にこれ等の文章が聖書(*世の末=ヨハネの黙示録)をふざけて歪曲して、彼等のタルムードとして作り変えたかが理解されるでしょう。)



 以上がれんだいこさんからの抜粋でした。他にも「世界撹乱の律法 ユダヤのタルムード」第1章〜11章には様々な悪魔崇拝的な文言が散りばめられています。また、他の本には見られない歴史的な説明も書かれてあり、私も非常に勉強になりました。れんだいこさんに感謝です。