この世が既に悪魔サタンの支配下にあることは紛れもない事実ですが、サタンの人間支配において、人間を神から引き離す材料の中で「金銭欲」と「肉欲」を特に強く広めています。
そこで、今回は肉欲、「性欲の罪」についてお話しようと思います。  


■ 悪魔サタンがなぜ人間に性欲を
  起こさせるのか?  
 -その理由 ①
 前回、インドのヨガについて、その起源や意味を紹介しましたが、まだまだ奥深く話足りません。ヨガは瞑想と繋がり、瞑想は霊的な世界へ導くツールであることを少し説明しました。しかも、瞑想は悪霊たちが人間に取り憑く為にやらせていることも説明しました。人間を我がものとし、自由に操るためです。
そしてその瞑想をするハタ・ヨーガは、チャクラの一番下に居るとされる(だいたい恥骨部分の少し上、生殖器官辺り)クンダリーニ(蛇)を上昇させて、額の部分(脳の松果体)あたりまでもってくることを目的としていることです。これは霊的に体全体を霊に支配させる為です。
 (※ハタ・ヨーガに限らず、瞑想すること事態が霊的な行為であり、❲体が作り出す三角形・ピラミッドのポーズ❳悪霊達に精神や肉体を引き渡すきっかけとなります。)
 また、前回も説明しましたがインドの神は性的な神々であり、ヨーガや瞑想はその神への崇拝とその神へ近づかんとする修行の行為でもあるのです。
これはよく考えなくても、ヨーガや瞑想をすること=イコール、性的な欲求・思念や、実際に性行為をすることさえも神への奉仕であるから素晴らしいとされ、崇拝行為であるとみなされるということなのです。もちろんお気づきの通り、当然崇拝神は悪魔サタンです。

〘※※補足1. バフォメット像の絵図をよく見ると瞑想の絵図に見られる2匹のクンダリーニ蛇がバフォメットの身体にもそっくり描かれており、瞑想が悪魔のものである証拠にもなっています。〙

〘※※補足2. インドのヒンドゥー教(ヒンズー教)はインドやネパールで多数派を占める民族宗教、またはインド的伝統を指しています。そしてキリスト教、イスラム教に続いて人口の上で世界3番目の宗教です。これはインダス文明にアーリア民族(悪魔民族)が定住以後、バラモン教から発展し、ヒンドゥー教に変わりました。
【このヒンドゥー教については別に深堀りしたいと思います。】
 このヒンドゥー教の中で古代から性愛論書「カーマ・ストーラ」という1000編にも及ぶ経典があり、(簡単に言えばセックス・ハウツー本)重要な文献とされています。内容は7部35章に渡って書かれ、第2部は性行為についてあからさまに綴っているので特に有名だといいます。〙

 〘※※補足3 イルミナティやサタニスト達が悪魔の崇拝儀式を執り行う際には必ず性的な儀式を取り入れるのです。例えば生贄の処女を祭壇の前で犯した後に殺すなどはよく聞きかれます。悪魔の像の前での乱交行為も頻繁に行います。(これらは旧約聖書にもモーゼの時代に描かれています。モーゼが引き連れていたイスラエルの民達はエホバの神に背いて異郷の偶像神を崇めて、生贄を捧げ、浮かれ騒いでいたシーンがあります。)また、イルミナティ悪魔崇拝の儀式の中には古代の巨人達がしたと言われる動物との性行為さえ含まれているといいます。海外には、実際に古代の神々の彫刻像で、動物との性行為の像まであるのです。また、読んだことのある人は知っていると思いますが、ギリシャ神話もめちゃくちゃな性描写があります。このように、彼等にとって淫らな性的な行為や下劣極まりないこと、残虐行為をすることは悪魔崇拝の必須条件となっているのです。〙

 また、さらに悪魔は瞑想に不思議で神秘的な体感を与えることで行者達を虜にさせているのです。それは瞑想中、クンダリーニ蛇が上昇して松果体まで達すると「霊的意識が支配的になる状態、チャクラの覚醒《涅槃やニルバーナともいう》」自分の意識が宇宙意識と一体となったかのような超常現象が起き、何とも言えないエクスタシーを感じると言われています。それは薬物で酔うような感覚にも似ているそうで一度体感するとハマってしまうと言われています。
反対によく薬物を飲むと性的な快感が増し、超常的な感覚を覚える人もいると言われていますから、このニルバーナを体感する為にわざと瞑想の前に薬物を使用する人もいるのです。

 この「覚醒」状態を経験した人間の大多数が、自分が特別な人間になったような気分になります。中には自惚れて、心が奢るようになるのです。これは霊能者達と同じ現象と言えますね。ヨーガ本来の目的として表向きには輪廻転生からの悟りの「解脱」だと解いていますが、解脱でも何でもないのです。だいたい性的な欲求ばかりを高めて何が悟りの解脱ですか?です。高僧と呼ばれる者達ほどたくさんの性的義式を行っているのです。まったく呆れます。
人間は嘘の信仰を植え付けられ、身も心も悪魔に操られて常に有難がっているだけなのです。


■ 悪魔サタン達がなぜ人間に
  性欲を起こさせるのか?
 -その理由 ② 
 前に聖書外伝の「エノク書」について話しました「見張りの者達」、堕天使達の事です。彼等は人間の女性達に淫らな想いを募らせた結果、天上での住まいを捨て地上に降りて女達と結婚をしたのです。そして人間との子供を創ったのです。しかし、彼等の子供は恐ろしい巨人ネフィリムとなり、後に世をめちゃくちゃにしてしまったことを紹介しました。このことで、大罪を犯した堕天使達は神の激しい怒りを買いました。そして彼等は、神の最後の審判の後に永遠の地獄へ往くことが既に確定しているのです。この時に見張りの者達は神の決定に恐れおののき、義人エノクに神の許しを得られるように頼みこみますが、神は一切受け入れませんでした。そして天上にも帰れませんでした。絶望した堕天使達や人間との間にできた巨人ネフィリム達は、神を呪い、人間を呪います。そして、彼等は誓うのです。『イエス・キリストの再臨までの残された時間に、一人でも多くの人間を我々と同じように神の掟に背かせ、我々と同じ永遠の地獄へ連れ去ってやろう』と。その為に悪魔、堕天使達や悪霊達はとにかく人間達を自分達と同じように淫らな性的欲求の強い者にさせて堕落させようと必死なのです。


■ 悪魔サタンはあらゆる性愛を肯定化させる
 
 悪魔サタンのよくやる手段は2枚舌です。何でも表と裏を作ります。いわゆる2元論です。
表向きは悪ではなく、良い事だと思わせるのです。
 いつから始まったのか分かりませんが、調べると「性科学」なるものまで登場していました。これはもちろん表向きの偽善です。
「性科学」とは、QOL(クオリティ・オブ・ライフ)性をめぐる『生活の質』として、基本的に通常の夫婦の性生活の健康と豊かさを実現しようとする技術、また既婚者以外の男女における性行為の身体的、心理的な充実やクオリティの実現の目標となっています。
一見、どこが悪いの?と思われがちですが、冷静に考えれば、そこまでする必要性が本当にあるのか?と思えてなりません。
インドのカーマ・ストーラよりソフトなだけで、現代版ハウツーなだけじゃないかと突っ込みたくなります。

 世界中を見渡して下さい。過去から現代まで時代を追う事にポルノは蔓延していっています。詳しく述べるまでもないことですが、
幼い子供達には、早くからマンガやアニメーションの世界に男女の恋愛を取り込れ興味を引かせ、10代で経験するのがトレンドであるかのように誘導しています。その後の良からぬ結果を考えることはなく、何か起きても自己責任と言って終わります。
また、世のアイドルの女の子達はセミヌードのような格好で歌い踊らされ、写真集もほぼアダルトに近いものばかりです。
また、大人達にも不倫や不道徳な行為に対してそのハードルをどんどん下げて、肉欲の欲求を満たすことに罪悪感を感じない人間が増えてきています。肉欲は悪ではなく自然であり、人間だから仕方が無い。ともっともらしい理由をつけているのです。映画やドラマ、雑誌、小説と常にこうした題材をテーマに描いて飽くことがありません。ほんの数十年前の時代では、不倫や肉欲をテーマにした題材はタブーなこと、恥ずかしいこととされ否定的な扱いでした。

 また、相手に迷惑をかけなければ問題ないように思える自性行為についても、頻繁にやり過ぎれば神の眼から見れば悪なのです。恋愛ゲームも最近ではかなりハードなものが多いようです。欲求を満足させる材料が簡単に手に入る時代ですから、自制心が無ければ誘惑にすぐ負けてしまいます。 ポルノは悪魔のものです。手を出せばそこには悪霊達が神の掟を破る機会とみなして近づき、影響を及ぼすのです。
聖書には、結婚をしない異性に対して淫らな思念を抱いたら、既に行為に及んだことと同じであると注意を促しています。

マタイ5:27 「あなたは姦淫を犯してはならない。」と言われたのをあなた方は聞きました。しかし、わたしはあなた方に言いますが、女を見続けてこれに情欲を抱く者は皆、既に心の中でその女と姦淫を犯したのです。

とイエスは述べられています。

 さらに昔から議論されてきましたが、聖書は同性愛を禁じています。しかし、古代より悪魔は推進しているのです。神の禁ずることは全て行うからです。近年、ローマ法王も同性愛を容認したことを発表したことは有名でしょう。
同性の結婚を認める国も少しずつ増えてきています。日本でも容認の方向にどんどん操作されています。テレビで一時期、LGBT問題をよく特集したりしていました。以前は受け入れない人間が多数であったのに、何年も経った現在では世間は普通に受け入れてきています。既にオカマもゲイもレズも珍しい人種ではありませんし、性転換ももはや驚く話題でもなくなりました。
 
 同性愛をここでどうこうと論じる気は全くありませんが、聖書見解としては禁じているということです。
 
 コリント第一6:9 「あなた方は、不義の者が神の王国を受け継がないことを知らないとでもいうのですか。惑わされてはなりません。淫行の者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、不自然な目的のために囲われた男、男同士で寝る者、盗む者、大酒飲み、罵る者、ゆすり取る者はいずれも神の王国を受け継がないのです。」

とあります。

しかし、神は魂の質をご覧になられる方なので、最後の審判にどう判断されるかは分かりません。
自分自身さえどうなるのか分かりません。
私はただ読んで下さる方々に情報をお伝えしたいだけです。
 
言えることは、どこかの町中を伝道するクリスチャンみたいに、「今謝れば神はお許しになる」とか、「死ぬ間際に慌てて悔い改めればいい」とかは当然駄目なのです。
牧師に罪を告白しても、牧師を通して神が罪を許すなんてことも絶対にないのです。牧師は人間であり、自らの魂さえ救えないのです。

つまり、日頃から言葉ではなく、心と行動が伴っていないと 認めてもらえません。
神の掟、イエス・キリストの教えに従うか、否かしかありません。

 コリント第二の手紙4:3 「そこで、もし私達の宣明する良いたよりに事実上ベールが掛けられているとすれば、それは滅びゆく人たちの間でベールが掛けられているのであり、その人たちの間にあって、この事物の体制の神が不信者の思いをくらまし、神の良いたよりの光明が輝き渡らないようにしているのです。」

とイエスの使徒に書かれてあります。

 聖書の中では悪魔や悪霊達がどのように、神を信じる者から引き離していくかが幾度となく使徒たちに教えられています。そして、何回も姦淫による罪を注意し、悪魔の性的な誘惑に陥らないように伝えているのです。