① ローマのバチカンの由来


 イエス・キリストが神の福音を説いて昇天された後の時代のことです。シモン・マグスという支配者が現れました。彼はオカルティストの達人・魔術師であり、ヘルメス神秘主義の継承者でした。彼はローマでは、神だと言われていました。しかし、シモンは自らを「私はイエス・キリストである」と嘘をつき信じさせていたのです。(早くも偽のイエス・キリストの誕生です。)彼はバチスカンという名前の場所に、(分かれた蛇を意味する)巨大な宮、礼拝堂を建設させ、その場所を自分を礼拝させる施設本部にしました。そして、彼の死後バチカンの丘に彼は埋葬されたのです。

 この「分かれた蛇」の名前=蛇はサタンのシンボルの名前。が、「バチスカン」と言われ、そして「バチカンの丘」にサタンの使徒であったシモン・マグスは埋葬されたという話で、分かる人はすぐにピンと来ますよね。
この地はローマですから、時代を経てあのキリスト教、カトリックの総本部となったわけです。何しろ、バチカンの裏ではサタン教会の総本部になっていることは、今や世界中の関心と周知の事実なのですから。

 
 ⚪ウイキペディアより説明
 
《シモン・マグスは西方グノーシス主義者と言われています。西方グノーシス主義は哲学的・思想的であり、信徒には高い知性を持つ者や、中流階級が多く属しました。高潔な理想を説き、自らも禁欲を守り、生殖を避けた結果、西方グノーシス主義は外部要因(キリスト教のローマ帝国での国境化等)以外に、内部の思想原理からしても永続し得ず、4世紀〜5世紀頃にはこの宗派は消えてしまいます。》


 
 ② グノーシス主義とは何か? その1.

 シモン・マグスの登場以後、キリスト教は背教と分裂の道を歩み始めます。聖書には使徒ヨハネによって背教が起きることはあらかじめ預言されていました。これらの背教はグノーシス運動、またはグノーシス派、グノーシス主義と呼ばれました。キリスト教の教えにサタン教を取り入れ、純粋な聖書の教えを次々と曲解させていったのです。


 ⚪ウイキペディアより説明

 グノーシス主義は1世紀に生まれ、3〜4世紀にかけて地中海世界で勢力を持つた宗教・思想です。物質と霊の二元論に特徴があります。グノーシスは古代ギリシャ語で「認識・知識」を意味しています。グノーシス主義は、自己の本質と真の神についての認識に到達することを求める思想傾向にあります。
やがて、地中海世界以外に、イランやメソポタミアに本拠地を置くものがあり、ヘレニズムによる東西文化のシンクレティズムの中から形成されたとみられます。代表的なグノーシス主義宗教にはマニ教があります。
マニ教は東方グノーシス主義の代表と言われています。西方グノーシス主義よりも少し遅れて興隆しました。なので西方グノーシスの理論が多数入っていますが、ペルシャのゾロアスター教の二元論的宗教の影響の元にもありました。イラン、インドの古くから存在する神々や神話も取り入れ、グノーシスの立場に立つ者を2つの段階に分けました。[マニ教特有の信徒制度]また、創世記においても、プロティーノスの流出説やゾロアスター教の流出説も採用しており、絶対善が原初に存在したとするのではなく、善の原理と悪の原理の二元論が原初より存在したのだとする思想でした。2つの信徒階級を定めた結果、救済宗教として広く一般の人々が入信することになり、西方グノーシス主義を超えて永続しました。生殖も一般信徒は可能とされ、マニ教は15世紀まで、他の東方グノーシスのマンダ教は、2000年の時を経過して、現在も存続しています。


 物質からなる肉体を悪とする結果、道徳に関して2つの対極的な立場が現れました。一方では禁欲主義となって現れ、他方では方縦となって現れる。前者はマニ教に見られるように禁欲的な生き方を教え、後者には、霊は肉体と別存在であるから、肉体において犯した罪悪の影響を受けないという倫理のもとに、不道徳を欲しいままにするタイプです。4世紀のアウグスティヌスがキリストに回心する前に惹かれたのは、前者の禁欲的なタイプであったといいます。

 ルネサンス時代には、新プラトン主義と「ヘルメス文書」がヨーロッパで流行しました。今日ではヘルメス文書に含まれる幾つかの著作はグノーシス主義のものであったことが明らかにされています。  
  
 〈 以上抜粋 〉


 ③ グノーシス主義とは何か? その2.
  
 グノーシス運動、グノーシス派と呼ばれる彼等の教えは次の通りです。
この、グノーシス運動はキリスト教の偽物でした。この運動が広まったせいでイエスの使徒達から受け継いだ多くの根本的な教理を低下させ、破壊させることになりました。中でも著明なのは、人が自分達の知的、哲学的見解に合うように聖書の聖句を寓話化し、神話化したことでした。これらの人々は人間の心の気体部分、人間の霊魂だけが神の贖罪にあずかれるとしました。これは純粋な異教の贖いに関する原則でした。(つまり、異教の教え)
 彼等は終末論の概念、またはキリストの再臨へと導く預言を不要なものとし、実存主義と経験に重きを置きました。
悟りの声や、恍惚の説法といった異教の概念を教会に持ち込んだのはこれらグノーシス派の人々でした。彼等は人が律法に服従するのは不可能なゆえに、旧約の律法は悪法であり、破壊されなければならないと主張し、神への服従という概念を弱めたのでした。こうして、彼等グノーシス派は、キリスト教に反律法主義、道徳不要論を生み出したのです。神の奇跡が何か特別なものであるとは彼等は信じませんでした。誰でも奇跡を行うことが出来ると説いたのです。また彼等は堕落した悪天使の概念も弱めさせました。

 神の奇跡について、グノーシス派は異教の魔術を使えば奇跡はいつでも起こせたというつもりだったのでしょう。そして、サタン側としては堕天使の存在を薄めたかった、出来れば寓話化させて誤魔化したかったのだと私は推察します。
 
 そして神学は哲学の体系となり、聖書の重要な言葉はただ霊的に解釈され片付けられました。このグノーシス運動、主義の中心的な教理とは、受肉(神が人の形をもって現れること。神の子たるキリストが人類の救済の為にイエスという人間の肉体をまとって出現したこと。)なされなかったイエス・キリストでした。
 唯一の純粋な光は神であるからイエスは単に光であった。そして肉体を有する者は何であれそれだけで悪であると彼等は主張しました。

 これらは全くイエスの存在や地位を貶め、また聖書の内容を曲解しています。

 従って悪である人間が律法に服従することは出来ず、人はただ光を知るだけで救われるのだと説いたのです。また、イエスは、我々とは異なる肉体を持っておられたのだとするグノーシス的な誤りが全キリスト教会の様相を変えてしまいました。
 ヨハネはこれらを反キリストの精神だと呼びました。ヨハネ第1の手紙4章2〜3節では、「あなた方はこうして神の霊を知るのである。すなわちイエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する者は全て神から来ているのであり、イエスを告白しない霊は全て神から来ているのではない。これは反キリストの霊である。あなた方はこれらが来るとかねてより聞いていたが、今や既に世に来ている。」と述べられています。

 現在では、キリストは別の次元からやってきた実は宇宙人だった。なんていう馬鹿げた話まであります。また、天に数多くいる次元の高い天使達の仲間の一人に過ぎないとする意見もよく耳にします。
 
 この反キリスト、背教はキリスト教初代の父祖達の時から既に始まっていました。「高い水準の礼拝の教理とは、異教の教えを取り入れ、混ぜてキリスト教の教えにすること」であると彼等は考えていたのです。
その代表的な人物として、ジェロームやアウグスティヌスがいたのでした。アウグスティヌスは10年間グノーシス派の一員だったといいます。


 ④  イエス・キリストは
  人間と同じ血と肉体をとって生まれた。
    【忍耐と主の来臨】

 アウグスティヌスは「人間の肉体は神の律法に服従できない。」として、原罪の教えを発展させることによって、自らのグノーシス思考ととキリスト教の教えを結合をさせたのです。
また彼は「アダムは罪責と罪の汚れを子孫に受け継がせた。そのため生まれてくる子供は全て罪人であるため、神の助けをもってしても神に服従することは出来ないのだ。」と説いていました。
このアウグスティヌスの教えが全キリスト教会に広がり、マリアの無原罪懐妊が出来上がったのです。
 また、プロテスタントではイエスが服従できたのは、奇跡的誕生によって原罪の罪を免れたからであるとしました。しかし、イエス・キリストは私達と同じ血と肉体をとられ生まれたのです。イエスは、神聖に対する信仰によって神の律法に完全に従うことが出来たのです。
イエスは私達の模範なのです。彼が築かれた品性を私達も信仰によって与えるられるのです。イエスの再臨に準備が出来ているには、神の律法に服従しなければなりません。

 神への服従とはどんなことなのかは、聖書を調べれば書かれてあります。
 
 黙示録によると、時の終わりにはイエスの再臨を迎える時には一つの小さな集団が起こるとされています。
黙示録14章12節には「ここに神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ち続ける聖徒の忍耐がある」とあります。反キリストの誤った見解を持ちながら救いを期待することは出来ません。自ら聖書を研究し、信仰の導き手であり完成者としてイエス・キリストを仰ぎ、信仰によってその戒めを守り主の来臨に備えましょう。

 
 ⚪参考動画
  666獣の数字とその刻印

  
  ⑤ 反宇宙的二元論
 
 現在、グノーシス主義は様々なバリエーションがあります。しかし、一般的に認められるのは、反宇宙的二元論と呼ばれる世界観です。
反宇宙的とは、現在我々が生きているこの世界を悪の宇宙、あるいは狂った世界と見て、原初には真の至高者が創造した善の宇宙があったと捉えます。地上の生の悲惨さは、この宇宙が「悪の宇宙」であるが故と考えました。現象的に真摯に、迷妄や希望的観測を排して世界を眺めるとき、この宇宙はまさに「善の宇宙」ではなく「悪の宇宙」に他ならないと考えました。

 二元論は、宇宙が本来「悪の宇宙」であって、既存の諸宗教、思想の神々が善であるというのは誤診である。とグノーシス主義は考えました。ここでは善と悪の対立が二元論に把握されます。まず、善とされる神々がこの悪である世界の原因であれば、それは悪の神であり、「偽の神」である。となるとその場合、どこかに「真の神」が存在し、「真の世界」が存在するはずだと考えるのです。悪の世界は物質で構成されているので、故に物質も悪と判断する。物質で造られた肉体も然りです。一方、「霊」あるいは「イデア」が「真の存在」であり、「真の世界」であると解釈されます。善と悪、真の神と偽の神、または霊と肉体、イデアと物質、という二元論が、グノーシス主義の基本的な世界観なのです。これが反宇宙と合わさり、「反宇宙的二元論」という思想になりました。