(2024.7.7)

 

 

⇒まず、つぎの国会議事録があります。

○第198回国会 衆議院 文部科学委員会(令和元年5月31日)より抜粋要約

▽委員

 5月28日に憲法違反だと仙台地裁に認定をされた旧優生保護法、これは議員立法として成立をしているんです。全会一致で成立している、誰も異論を唱えなかった。

 時代の空気というのは恐ろしいなと思うのは、この議員立法を主導したお二人が「優生保護法解説」というコンメンタールを書いていらっしゃって、この中で、「従来唱えられた産児制限は、優秀者の家庭に於ては容易に理解実行せらるるも、子孫の教養等については凡そ無関心な劣悪者即ち低脳者低格者のそれに於てはこれを用いることをしないから、その結果は、前者の子孫が逓減するに反して、後者のそれは益々増加の一途を辿り、恰も放置された田畑に於ける作物雑草との関係の如くなり、国民全体として観るときは、素質の低下即ち民族の逆淘汰を来すこと火を睹るより明らかである。」、国民を優秀者と劣悪者に分けるという恐るべき差別と偏見の思想がこのコンメンタールの中にいっぱい書いてあるんですよ。

 

 

⇒つぎの以前の判例(抜粋要約)があります。

○大阪高等裁判所(令和4年2月22日)損害賠償請求控訴事件

▽当裁判所の判断

 旧優生保護法4条ないし13条の立法目的は、専ら優生上の見地から不良の子孫の出生を防止するというもの(同法1条)であるが、これは特定の障害ないし疾患を有する者を一律に「不良」であると断定するものであり、それ自体非人道的かつ差別的であって、個人の尊重という日本国憲法の基本理念に照らし是認できないものといわざるを得ない。本件各規定は、このように立法目的の合理性を欠いている上、手段の合理性をも欠いており、特定の障害等を有する者に対して優生手術を受けることを強制するもので、子を産み育てるか否かについて意思決定をする自由及び意思に反して身体への侵襲を受けない自由を明らかに侵害するとともに、特定の障害等を有する者に対して合理的な根拠のない差別的取扱いをするものであるから、公共の福祉による制約として正当化できるものではなく、明らかに憲法13条、14条1項に反して違憲である。

 

○大阪地方裁判所(令和4年9月22日)損害賠償請求事件

▽当裁判所の判断

<認定事実>

 旧優生保護法は、昭和23年7月13日、成立した。

 旧優生保護法は、戦後の食糧不足の状況の中、国会に提出されて審議された法案で、立案者の一人が、提案の理由について、「対策として考えらるることは産児制限問題であります。併しこれは余程注意せんと、子供の将来を考えるような比較的優秀な階級の人々が普通産児制限を行い、無自覚者や低脳者などはこれを行わんために、国民素質の低下すなわち民族の逆淘汰が現れてくるおそれがあります。」などと説明していた。

 昭和45年当時の高等学校用の保健体育の教科書には、国民優生の意義について説明する部分があり、その中で、「劣悪な遺伝素質をもっている人びとに対しては、できるかぎり受胎調節をすすめ、必要な場合は、優生保護法により、受胎・出産を制限することができる。また、国民優生思想の普及により、人びとがすすんで国民優生政策に協力し、劣悪な遺伝病を防ぐことがのぞましい。」との記載がされている。

 昭和47年当時の高等学校用の保健体育の教科書にも、国民優生の意義についての説明の中で、「劣悪な遺伝は社会生活を乱し、国民の健康の水準を低下させる。」「劣悪な遺伝を除去し、健全な社会を築くために優生保護法があり」「国民優生の目標は、国民の資質向上を図ることで、母体の健康および経済的保護と、不良な子孫の出生を予防するという二つの目的が含まれる。」「すぐれた才能の人が正しい結婚によって優秀な子孫をもうけた例は少なくない。逆に、悪質の遺伝によって精神病者や犯罪者を出した例もある。」などの記載がされている。

 昭和47年2月に発行された大衆雑誌「婦人生活」に掲載された国立遺伝研究所人類遺伝部長による「結婚生活と遺伝」と題する記事中には、「一人の異常児はその子や家族の不幸だけでなく、社会全体の負担になることも考えれば、私たちは良識をもって、少しでもこの不幸を少なくする義務があります」「悪性遺伝を防ぐためには、配偶者を選ぶ段階で充分に注意してほしいのです」等の記述がある。

<争点>

(旧優生保護法4条ないし13条の違憲性について)

 子を産み育てるか否かは、個人の生き方や身体の健康、家族としての在り方のみならず、生命の根源にも関わる個人の尊厳に直結する事項である。したがって、子を産み育てるか否かについて意思決定をする自由は、個人の人格的な生存に不可欠なものとして、私生活上の自由の中でも特に保障される権利の一つというべきであり、幸福追求権ないし人格権の一内容を構成する権利として憲法13条に基づいて保障されるというべきである。

 また、人がその意思に反して身体への侵襲を受けない自由もまた個人の人格的生存に不可欠な利益であることは明らかであり、人格権の一内容を構成する権利として憲法13条によって保障されているというべきである。

(立法不作為の違法性について)

 日本国憲法は、個人の尊重を基本理念として、特定の障害ないし疾患を有する者も人は平等に取り扱われることを明らかにしているものであり、被告は、その趣旨を踏まえた施策を推進していくべき地位にあったにもかかわらず、前記認定事実のとおり、非人道的な優生手術を制度化して、優生思想に基づく優生政策を積極的に推進し、これによって、高等学校で用いられる教科書や大衆雑誌にも優生思想や優生政策を推奨する記事が掲載されるなど、広く優生思想及び優生政策の正当性を国民に認識させる状況を作出したことが認められる。

 そうすると、国家によるこのような立法及びこれに基づく施策が、広く国民に対し、旧優生保護法の規定の法的効果をも超えた社会的・心理的影響を与え、同法の優生手術の対象となった障害ないし疾患につき、かねてからあった差別・偏見を正当化・固定化した上、これを相当に助長してきたものとみるのが相当である。

 

 

⇒つぎの日本弁護士連合会の決議(抜粋要約)があります。

○旧優生保護法下において実施された優生手術等に関する全面的な被害回復の措置を求める決議(令和4年9月30日)日本弁護士連合会

▽提案理由

 旧優生保護法では、遺伝性疾患、ハンセン病、精神障害がある人等に対して、手術を受ける本人の同意がなくとも、審査によって強制的に優生手術等を実施することができると規定されていた。さらには、優生手術等の実施に当たり、必要があれば、身体の拘束麻酔薬の使用欺罔等の手段を用いることも許容されていた。

 旧優生保護法では、本人を麻酔で眠らせたり、病気で手術を行うのだと騙したりして、優生手術等を行うことが可能であったため、多くの被害者に対して、十分な説明がされることなく優生手術等が実施された。

 厚生労働省の把握する統計によれば、優生手術の被害者は約2万5000人、人工妊娠中絶の被害者は約5万9000人であり、合計約8万4000人の被害者がいるとされている。

 旧優生保護法は、制定から改正までの48年の間に、多数の被害者を生んだだけでなく、優生政策の推進により、教科書等に「劣悪な遺伝を除去し、健全な社会を築くために優生保護法がある」等の旧優生保護法を肯定する内容の記載がなされ、学校教育の現場にも優生思想を広めた。

 旧優生保護法によってもたらされた優生思想に基づく差別・偏見は、同法が改正された後も、社会に深く根を張っている

 今もなお、障害のある人等に対して、障害を理由として結婚を認めない、周囲からの圧力により出産を妨げる、人工妊娠中絶の勧奨ないし強要(医師からの勧奨を含む。)を行うなどの事例が報告されている。

 

 

⇒(7/3)最高裁判所大法廷は、旧優生保護法は憲法違反だとする判断を示し、国に賠償を命じる判決が確定しました。

○ (令和6年7月3日)最高裁判所大法廷判決(抜粋要約)

 上告人は、憲法13条及び14条1項に違反する本件規定に基づいて、昭和23年から平成8年までの約48年もの長期間にわたり、国家の政策として、正当な理由に基づかずに特定の障害等を有する者等を差別してこれらの者に重大な犠牲を求める施策を実施してきたものである。

 さらに、上告人は、その実施に当たり、審査を要件とする優生手術を行う際には身体の拘束麻酔薬施用又は欺罔等の手段を用いることも許される場合がある旨の昭和28年次官通知を各都道府県知事宛てに発出するなどして、優生手術を行うことを積極的に推進していた

 そして、上記施策が実施された結果として、少なくとも約2万5000人もの多数の者が本件規定に基づいて不妊手術を受け、これにより生殖能力を喪失するという重大な被害を受けるに至ったというのである。

 これらの点に鑑みると、本件規定の立法行為に係る上告人の責任は極めて重大であるといわざるを得ない。

 憲法13条は個人の尊厳人格の尊重を宣言しているところ、本件規定の立法目的は、特定の障害等を有する者が不良であり、そのような者の出生を防止する必要があるとする点において、立法当時の社会状況をいかに勘案したとしても、正当とはいえないものであることが明らかであり、本件規定は、そのような立法目的の下で特定の個人に対して生殖能力の喪失という重大な犠牲を求める点において、個人の尊厳と人格の尊重の精神に著しく反するものといわざるを得ない。

 憲法13条は、人格的生存に関わる重要な権利として、自己の意思に反して身体への侵襲を受けない自由を保障している。正当な理由に基づかずに不妊手術を受けることを強制することは、同条に反し許されないというべきである。

 専ら優生上の見地から特定の個人に重大な犠牲を払わせようとする規定により行われる不妊手術について、本人に同意を求めるということ自体が、個人の尊厳と人格の尊重の精神に反し許されない

 また、憲法14条1項は、法の下の平等を定めており、本件規定により行われる不妊手術の対象者と定めて、それ以外の者と区別することは、合理的な根拠に基づかない差別的取扱いに当たるものといわざるを得ない。

 以上によれば、本件規定は、憲法13条及び14条1項に違反するものであったというべきである。

 そして、本件規定の内容は、国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白であったというべきであるから、本件規定に係る国会議員の立法行為は、国家賠償法1条1項の適用上、違法の評価を受けると解するのが相当である。

 本件規定の問題性が認識されて平成8年に本件規定が削除された後、上告人は、その後も長期間にわたって、本件規定により行われた不妊手術は適法であり、補償はしないという立場をとり続けてきたものである。

 以上の諸事情に照らすと、本件訴えが除斥期間の経過後に提起されたということの一事をもって、本件請求権が消滅したものとして上告人が損害賠償責任を免れることは、著しく正義・公平の理念に反し到底容認することができないというべきである。

 本件における上告人の除斥期間の主張は、信義則に反し、権利の濫用として許されないというべきである。

▽裁判官の補足意見

 本件は、立法府が、非人道的かつ差別的で、明らかに憲法に違反する立法を行い、これに基づいて、長年に及ぶ行政府の施策の推進により、全国的かつ組織的に、極めて多数の個人の尊厳を否定し憲法上の権利を侵害するに至った被害の回復に関する事案である。

 本件において注目すべきことは、本件規定の違憲性は明白であるにもかかわらず、本件規定を含む優生保護法が衆・参両院ともに全会一致の決議によって成立しているという事実である。これは立憲国家たる我が国にとって由々しき事態であると言わねばならない。なぜならば、立憲国家の為政者が構想すべき善き国家とは常に憲法に適合した国家でなければならないにもかかわらず、上記の事実は、違憲であることが明白な国家の行為であっても、異なる時代や環境の下では誰もが合憲と信じて疑わないことがあることを示唆しているからである。

 

⇒最高裁判所大法廷判決を受けて、つぎの声明があります。

○(令和6年7月3日)旧優生保護法国賠訴訟の最高裁判所大法廷判決を受けて、被害の全面的回復及び一時金支給法の改正を求める会長声明(抜粋要約)

 日本弁護士連合会会長

 旧優生保護法は、多数の障害のある人に取り返しのつかない被害を与えただけでなく、優生思想に基づく差別・偏見を社会に深く根づかせ、障害のある人の尊厳を傷つけた。

 今もなお、障害のある人は、結婚、妊娠及び出産、子育て等の家族形成に限らず、日常のあらゆる場面で周囲からの差別・偏見に苦しんでいる

 

 

 最後に。

 タイトルの~「公益」の名のもとに~については、つぎのとおり(抜粋要約)です。

○(平成30年3月19日)不妊手術、強制手段を容認1949年に法務当局と厚生省(日本経済新聞)

 愛知県が開示したのは「強制優生手術実施の手段について」とのタイトルで、法務府が局長名で昭和24年に厚生省公衆衛生局長に宛てた資料。

 解釈について法務府は「基本的人権の制限を伴う」と認めながらも、旧法には「不良な子孫の出生を防止する」という「公益上の目的」があるとした上で、「意思に反して実施することも、なんら憲法の保障を裏切るものということはできない」と回答した。

○(令和6年7月5日)「優生保護法は不良な子孫の出生を防止するという公益を目的としたもので…(毎日新聞)
「優生保護法は不良な子孫の出生を防止するという公益を目的としたもので、意思に反し手術を実施しても憲法に違反しない」。

 昭和24年、当時の法務府が示した見解だ。

 

○(令和4年2月5日)旧優生保護法下における強制不妊手術問題に対する見解(全日本民主医療機関連合会)

 強制不妊手術は「社会公共の立場」から「公益上の理由」で行われるものであり、憲法に反するものではないとされた。

 旧優生保護法は、基本的人権を謳った現行憲法のもとで制定された。旧優生保護法を合憲とする根拠として用いられたのが「公益」という考え方である。

 憲法に書かれている「公共の福祉」を「公益」と読み替えることで、基本的人権の侵害が正当化された。「公共の福祉」とは、人権擁護を目的に人権と人権の衝突を調整するための原理である。「公共の福祉」は、他人の人権を侵さないという調整であり、それはあくまで憲法で保障された基本的人権を充足するためにある。他者の人権と衝突が生じる場合に権利が制限されたとしても、その中での基本的人権は最大限の尊重を必要とする

「公益」や「国益」という概念が、憲法違反の行為を合理化する論理として使われてきた歴史を思い起こす必要がある。旧優生保護法による強制不妊手術を「公益」を理由に実施し、特定の障害者や病者を差別、排除してきた論理は、「公共の福祉」をめぐるこうした流れと共通するものといえる。

 旧優生保護法下では、誰もが例外なく憲法の基本的人権を保障されるはずのところ、国から一方的に「特定」された人々が、あろうことか「公益」の名の下にその憲法の外側に置かれた。

 基本的人権を抑圧するところに「公共の福祉」の実現はあり得ないこと、これが国家活動を正当化するために使われるのは誤りであることをここで確認する。

 平成24年4月に発表された自民党憲法改正草案では、「公共の福祉」の文言が「公益」「公の秩序」に置き換えられている。こうした改憲を許せば「第2の優生保護法」が生まれかねない。

 

○(令和4年11月30日)全日本民医連が旧優生保護法で見解

 旧優生保護法の本質は「公益」の名のもとに、国家がいのちの価値を序列化し選別したことにあります。明白な憲法違反であり、国が責任を認めて謝罪・検証することが必要です。

 旧法は改正されましたが、「公益」(国益)で人権が抑圧されたり、いのちが選別されるような事態はなくなったと言えるでしょうか

 

 

 以上です。

 

 

<備考>

○立憲主義の堅持と日本国憲法の基本原理の尊重を求める宣言(平成17年11月11日)日本弁護士連合会(抜粋要約)

 日本国憲法は、「個人の尊重」と「法の支配」を中核とする「立憲主義」に基づくものであり、すなわち、すべての人々が個人として尊重されるために、最高法規として国家権力を制限し、人権保障などをはかるという理念を基盤とした憲法である。

個人の尊重」とは、人間社会における価値の根源が個人にあるとし、何にも勝って個人を尊重しようとするものである。一方では利己主義を否定し、他方では全体主義を否定することで、すべての人間を自由・平等な人格として尊重しようとするものであり、個人主義とも言われる。そして、憲法の基本原理である国民主権と基本的人権の尊重も、ともにこの「個人の尊重」に由来している。

法の支配」とは、専断的な国家権力の支配(人による支配)を排斥し、権力を法で拘束することによって、国民の基本的人権を擁護することを目的とするものである。

国民主権」とは、国政についての最高決定権が国民にあり、国の政治のあり方を最終的に決定するのは国民である、とする考え方である。日本国憲法は、前文において「国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」として国民主権とそれに基づく代表民主制の原理を宣言している。

 改憲論の中には、憲法の「公共の福祉」概念が人権相互の調整原理と解されることを批判し、「公益や公の秩序」、「国民の責務」などの概念を導入して、国家的利益や全体的利益を優先させ、人権を制限しようとするものがある。しかし、「公益及び公の秩序」、「国民の責務」などの個々の基本的人権を超越した抽象的な概念を人権の制約根拠とすることを認めれば、基本的人権の制約は容易となり、人権制約の合憲性についての司法審査もその機能を著しく低下させることとなる。