(2024.2.17)

 

 

⇒以前、つぎのように報じられていました。
○米副大統領、日本国憲法「私たちが書いた」「核保有国になり得ぬ」(平成28年8月16日)日本経済新聞(抜粋要約)
 バイデン米副大統領は、民主党のヒラリー大統領候補の集会で演説し、日本国憲法を「私たちが書いた」と明言した。
 共和党の大統領候補ドナルド・トランプ氏の、日韓の核武装容認論を批判する場面で飛び出た。
「私たちが(日本が)核保有国になり得ないとうたった日本の憲法を書いた。彼は学校で習わなかったのか」とトランプ氏を攻撃。

⇒それに対して、つぎの国会議事録があります。
○第192回国会 参議院 憲法審査会(平成28年11月16日)より抜粋要約
▽委員
 日本国憲法は、主権が回復されていない時期に連合国軍総司令部、GHQと極東委員会、FECという外部勢力の関与と圧力の下で制定された憲法であるということです。総司令部によって原案が作成され、その後の審議においても逐一連合国総司令部の同意が必要とされ、また極東委員会の厳しい監視下に置かれていたことが明らかになっています。今年の8月15日には、米国のバイデン副大統領が「日本国憲法は我々が書いた」と明言なさいました。

⇒一方で、バイデン副大統領の発言を「撤回をさせていただかなければいけない」との意見があります。
○第196回国会 参議院 憲法審査会(平成30年2月21日)より抜粋要約
▽委員
 米国の副大統領が、日本の憲法は米国が作ったと公言をしています。一昨年、米国オバマ政権のときのバイデン副大統領が当時のヒラリー大統領候補の演説会において応援演説をしたときに、日本の憲法は米国が作った、こんなこともトランプ候補は知らないのかという文脈において語られています。
▽委員
 憲法の制定過程についてもいろんな見解があることではございますけれども、先ほどの先生がおっしゃられましたバイデン副大統領の発言、私も大変遺憾に、残念に思います。であるならば、外交権を持っております安倍内閣がちゃんとこの発言を撤回をさせていただかなければいけないと思います。
 日本国憲法は、自由選挙によって選ばれた国会の議論において正当に成立をした憲法であり、生存権の規定、そして教育を受ける権利、男女の平等権の明文規定、アメリカ合衆国憲法をはるかに凌駕する今なお世界でも有数の人権法典であるというふうに考えているところでございます。

⇒なお実際には、日本では、政府が憲法を「解釈」しています。
○核兵器廃絶に関する質問に対する答弁書(平成5年12月3日)より抜粋要約
 内閣総理大臣 細川 護熙
 我が国には固有の自衛権があり、自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法第九条第二項によっても禁止されているわけではない。したがって、核兵器であっても、仮にそのような限度にとどまるものがあるとすれば、それを保有することは、必ずしも憲法の禁止するところではない。他方、右の限度を超える核兵器の保有は、憲法上許されないものである。政府は、憲法の問題としては、従来からこのように解釈しており、この解釈は、現在でも変わっていない。
 なお、憲法と核兵器の保有との関係は右に述べたとおりであるが、我が国は、いわゆる非核三原則により、憲法上は「保有することを禁ぜられていないもの」を含めて政策上の方針として一切の核兵器を保有しないという原則を堅持し、また、原子力基本法及びNPTにより一切の核兵器を保有し得ないこととしているところである。

 

○第189回国会 衆議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会(平成27年6月26日)
▽安倍内閣総理大臣
 平和安全法制について、憲法との関係では、昭和47年の政府見解で示した憲法解釈の基本的論理は変わっていないわけであります。これは、砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にするものであります。


⇒「昭和47年の政府見解」および「砂川事件に関する最高裁判決」とは?
⇒まず「昭和47年の政府見解」についてはつぎのとおりです。
○参議院決算委員会提出資料(昭和47年10月14日)内閣法制局(抜粋要約)
▽集団的自衛権と憲法との関係
 国際法上、国家は、いわゆる集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにかかわらず、実力をもつて阻止することが正当化されるという地位を有しているものとされており、…わが国が国際法上右の集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上、当然といわなければならない。
 ところで、政府は、従来から一貫して、わが国は国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界をこえるものであつて許されないとの立場にたつているが、これは次のような考え方に基づくものである。
 憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が…平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、また、第13条において「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、…国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることからも、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであつて、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。しかしながら、だからといつて、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであつて、それは、あくまで外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであつて、したがつて、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。

⇒「砂川事件に関する最高裁判決」についてはつぎのとおりです。
○砂川事件判決判旨(昭和34年12月16日)安全保障に関する資料(令和4年5月)衆議院憲法審査会事務局より抜粋要約
<理由>
▽憲法9条2項の意義(「戦力」には外国軍隊が含まれるか
 そもそも憲法九条は、日本国民が過去におけるわが国の誤つて犯すに至つた軍国主義的行動を反省し、制定したものであつて、同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。すなわち、われら日本国民は、憲法九条二項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによつて生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによつて補ない、もつてわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであつて、憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。
 憲法九条の趣旨に即して同条二項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条一項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従つて同条二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。
▽日米安全保障条約に対する司法審査
 日米安全保障条約の目的とするところは、その前文によれば、平和条約の発効時において、わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状に鑑み、無責任な軍国主義の危険に対処する必要上、平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基き、わが国の防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため、わが国はアメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにあることは明瞭である。
 本件安全保障条約は、前述のごとく、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであつて、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従つて、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであつて、それは第一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねらるべきものであると解するを相当とする。そして、このことは、本件安全保障条約またはこれに基く政府の行為の違憲なりや否やが、本件のように前提問題となつている場合であると否とにかかわらないのである。
 よつて、進んで本件アメリカ合衆国軍隊の駐留に関する安全保障条約およびその三条に基く行政協定の規定の示すところをみると、右駐留軍隊は外国軍隊であつて、わが国自体の戦力でないことはもちろん、わが国がその主体となつてあだかも自国の軍隊に対すると同様の指揮権、管理権を有するものでないことが明らかである。またこの軍隊の目的は、専らわが国およびわが国を含めた極東の平和と安全を維持し、再び戦争の惨禍が起らないようにすることに存し、わが国がその駐留を許容したのは、わが国の防衛力の不足を、平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼して補なおうとしたものに外ならないことが窺えるのである。
 果してしからば、かようなアメリカ合衆国軍隊の駐留は、憲法九条、九八条二項および前文の趣旨に適合こそすれ、これらの条章に反して違憲無効であることが一見極めて明白であるとは、到底認められない
<結論>
 しからば、原判決が、アメリカ合衆国軍隊の駐留が憲法九条二項前段に違反し許すべからざるものと判断したのは、裁判所の司法審査権の範囲を逸脱し同条項および憲法前文の解釈を誤つたものであり、従つて、これを前提として本件刑事特別法二条を違憲無効としたことも失当であつて破棄を免かれない。


⇒そして現在、岸田政権においては、つぎの答弁(抜粋要約)があります。
○第208回国会 参議院 予算委員会(令和4年3月7日)
▽内閣総理大臣(岸田文雄君)
 まず憲法と核の関係で申し上げるならば、この純法理的な問題として、我が国には固有の自衛権があり、自衛のための必要最小限の実力を保持することは憲法第九条第二項によっても禁止されているわけではありません。したがって、核兵器であっても仮にそのような限度にとどまるものがあるとすれば、それを保有することは必ずしも憲法の禁止するところではない、これが従来の「政府の見解」であります。
 しかし、我が国としては、非核三原則、これは国是であると考えており、この核共有等については政府としては考えないということを申し上げている次第であります。

○第211回国会 衆議院 内閣委員会(令和5年2月10日)
▽政府参考人
 いわゆる反撃能力のところについて申し上げますと、これまで、いわゆる敵基地攻撃につきましては、日米の役割分担の中で米国の打撃力に依存していると説明してきたところでございます。その上で、今後、我が国が反撃能力を保有することに伴いまして、これまでのように米国の打撃力に完全に依存するということではなくなるというところは、そのとおりでございます。

○第211回国会 衆議院 本会議(令和5年4月6日)
▽内閣総理大臣(岸田文雄君)
 反撃能力は、我が国に対する武力攻撃の発生又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生した場合など、武力行使の三要件を満たす場合に行使し得るものです。


⇒上記を踏まえて、以下はこれまでの経緯など(抜粋要約、時系列)についての内容です。
○第70回国会 衆議院 本会議(昭和47年10月31日)
▽内閣総理大臣(田中角榮君)
 専守防衛ないし専守防御というのは、防衛上の必要からも相手の基地を攻撃することなく、もっぱらわが国土及びその周辺において防衛を行なうということでございまして、これはわが国防衛の基本的な方針であり、この考え方を変えるということは全くありません。

○(平成26年7月1日)閣議決定「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」
▽憲法第9条の下で許容される自衛の措置
 これまで政府は、この基本的な論理の下、「武力の行使」が許容されるのは、我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られると考えてきたしかし、冒頭で述べたように、パワーバランスの変化や技術革新の急速な進展、大量破壊兵器などの脅威等により我が国を取り巻く安全保障環境が根本的に変容し、変化し続けている状況を踏まえれば、今後他国に対して発生する武力攻撃であったとしても、その目的、規模、態様等によっては、我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得る。…こうした問題意識の下に、現在の安全保障環境に照らして慎重に検討した結果我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った

○第189回国会 衆議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会(平成27年6月1日)
▽委員
 安倍総理も同じ考えでしょうかね。武力行使の新三要件に該当するならば、他国の領域での敵基地攻撃も可能ということなんだけれども、安倍総理も同じ認識でございますか
▽安倍内閣総理大臣
 敵基地攻撃でございますが、従来の考え方は、法理上、つまり、これは法的な理屈の上ですね、法的な、純粋に理屈の上においては、新三要件のもとでも変わりはないわけでございます。
 ただ、我が国は、敵基地攻撃を目的とした装備体系は保有をしていない個別的自衛権の行使としても敵基地を攻撃することは想定しない、していないということはまずはっきりと申し上げておきたい。
 ましてや、個別的自衛権においてもその想定をしていないんですから、集団的自衛権の行使として敵基地を攻撃することはそもそも想定していないということは申し上げておきたいと思います。

○昭和47年政府見解における「外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされる」との文言の意味に関する質問に対する答弁書(平成27年6月2日)
 内閣総理大臣 安倍 晋三
「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」(平成26年7月1日閣議決定)において示された憲法解釈は、憲法第9条の下でも例外的に武力の行使が許容される場合があるという御指摘の「昭和47年政府見解」において示されたものを含む従来の政府見解における同条の解釈基本的な論理を維持し、その枠内で、「武力の行使」が許容される場合として、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみがこれに当てはまると考えてきたこれまでの認識を改め、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合も、これに当てはまるとしたものである。

○第189回国会 衆議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会(平成27年6月26日)
▽安倍内閣総理大臣
 平和安全法制について、憲法との関係では、昭和47年の政府見解で示した憲法解釈基本的論理は変わっていないわけであります。これは、砂川事件に関する最高裁判決の考え方と軌を一にするものであります。
 そこで、砂川判決とは何かということであります。この砂川判決とは、我が国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとり得ることは国家固有の権能の行使として当然のことと言わなければならない、つまり、明確に、必要な自衛の措置、自衛権について、これは合憲であるということを認めた、いわば憲法の番人としての最高裁の判断であります。
 そして、その中における必要な自衛の措置とは何か。これはまさに、その時々の世界の情勢、安全保障環境を十分に分析しながら、国民を守るために何が必要最小限度の中に入るのか、何が必要なのかということを我々は常に考え続けなければならないわけであります。そして、その中におきまして、昭和47年におきましてはあの政府の解釈があったわけでございます。
 今回集団的自衛権を限定容認はいたしましたが、それはまさに砂川判決の言う自衛の措置に限られるわけであります。国民の命と平和な暮らしを守ることが目的であり、専ら他国の防衛を目的とするものではないわけでありまして、それは新たに決めた新三要件を読めば直ちにわかることであります。
 我が国の存立が脅かされ、これは我が国でありまして、米国でもなければ他のどの国でもないんです。我が国の存立が脅かされ、国民、これは日本国民です、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合であり、しかも、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに限られるわけであります。それはつまり、外交手段をまずは当然とり、その外交的な努力を重ね重ねてもこれはもう防ぐことができないという段階になって初めて必要最小限度の武力の行使をする。
 今の文脈でもおわかりのとおり、まさに我が国自身の存立が危うくなっているときに、そのときこそ我々はまさに自衛の措置をとる。これは、最初に申し上げました砂川判決に書かれている国家固有の権能の行使である。国の存立が脅かされているというわけでありますから、まさに私は、憲法のこの基本的な解釈、憲法の基本的な論理、砂川判決の基本的な論理の中において我々は現在の安全保障状況を見ながら当てはめをした、常にこうしたことを、我々は常に努力を行うべきであって、考え抜かなければならない、こう思うわけであります。そして、繰り返しになりますが、行使する場合も、必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと、こうあるわけであります。
 このように、平和安全法制の考え方は砂川事件判決の考え方に沿ったものであり、判決の範囲内のものであります。この意味で、砂川事件の最高裁判決は、集団的自衛権の限定容認が合憲である根拠たり得るものであると考えているところでございます。
 そして、憲法の解釈を最終的に確定する権能を有する唯一の機関は最高裁判所であり、平和安全法制は、その考え方に沿った判決の範囲内のものであると考えております。

○第189回国会 衆議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会(平成27年7月15日)
▽委員
(安保法制について)私は、最大の問題は、総理がアメリカの議会で、夏までにこの法案を成立させる、こういうふうに明言をされたことから始まっているんじゃないかと思うんです。海外でそういう公約的なことをおっしゃって、夏までに成立させるというのがそこで決まってしまって、そこに突っ走っている。これは今、日本の国会ですよ。日本の国民の皆さんをないがしろにして、何でアメリカ議会、そこで公約しちゃうんですか。そこから話がおかしくなっているんじゃないのか。

○第189回国会 衆議院 本会議(平成27年7月16日)
 政府の安全保障関連法案には、その内容以前に、大きな問題があります。
 第一に、法案の前提となっている昨年7月の閣議決定です。私は昨年の予算委員会で、集団的自衛権の問題を何度も取り上げました。しかし、安倍総理は、有識者懇談会や与党協議を理由に答弁を拒みました。そして、国会閉会後の7月1日、与党協議がまとまったその日に閣議決定したのです。
 そもそも、歴代内閣が否定してきた集団的自衛権の行使を認めるという、憲法改正に匹敵するような憲法解釈の変更です。本来であれば、国民の過半数の賛成を得て憲法改正すべきものです。国会での議論国民の理解もなく、戦後70年間、歴代内閣と国会が積み上げてきた憲法解釈を、一内閣の独断で変更してしまったことは、大きな間違いです。
 第二に、米国議会で法案の成立を約束したことです。本来、国会に法案の審議と成立をお願いする立場の総理が、この夏までに成就させると期限を切って断言するなど、日本の国会での発言であったとしても大問題になる話です。それを米国議会で約束するなど前代未聞、国民無視、国会軽視ここにきわまれりです。

○安保関連法案の衆議院強行採決に抗議する会長声明(平成27年7月16日)第二東京弁護士会会長
 本年6月4日には、衆議院憲法審査会で与党推薦を含む3名のすべての憲法学者が安保関連法案について「憲法違反」と断じ、その後も圧倒的多数の憲法学者が憲法違反ないしその疑いがあると評価した。このような問題のある法案は本来廃案にすべきであり、本国会での成立は審議が不十分であるとして、少なくとも慎重審議をすべきであるとの世論が多数であった。
 しかるに、政府は世論を無視し、設定した審議時間の基準を超えたことを理由に、7月15日、16日の両日、上記の違憲の疑いの極めて強い安保関連法案の採決を強行した。
 十分な審議もなく時間の経過を理由とし、議員の数を利用して採決を強行することは、国政を議会での審議に付託した国民主権原理に悖るといわざるを得ない。
 また、憲法に反する法律は、いかに国会で採決されようとも憲法違反であるとの瑕疵が治癒されることはない。憲法違反の法案を、時間制限と数の理屈で通過させたことは、憲法の最高法規性を無視し、立憲主義に悖るといわざるを得ない。
 近代立憲主義は、権力者の限定なき法適用による権力行使を憲法によって制約することが人々の権利や自由を護るとして、最高規範としての憲法を厳格に解釈してきた。国際情勢の変化を強調しようとも、立憲主義違反の憲法解釈は、許されない。

○第189回国会 参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会(平成27年8月19日)
▽委員
 このパネル、政府・与党が今回の集団的自衛権容認の根拠にした砂川事件の最高裁判決そのものが、実はアメリカのリクエスト、指示によるものだったということを表す資料でございます。これは、早稲田大学教授の許可を得、引用した資料でございます。
 この砂川判決、1959年、昭和34年3月30日に東京地方裁判所で米軍駐留の違憲判決が出て、ちょうど日米で交渉中だった新安保条約に政治的に悪影響を与えないように、東京高裁をすっ飛ばして、最高裁に直接上告した。この跳躍上告、かなり珍しいことで、その中でもなお珍しい、戦後、砂川事件も含めて3件しかない検察官による跳躍上告を行った事件だったそうです。それもアメリカのリクエストだったと。
 1959年、昭和34年3月30日、東京地裁で駐留米軍は憲法違反の判決が出た翌日、朝8時に、アメリカのマッカーサー駐日大使が当時の藤山愛一郎外務大臣に面会をして、日本政府が迅速な行動を取り、東京地裁判決を正すことの重要性を強調し、日本政府が直接最高裁に上告することが非常に重要だと言ったそうです。それに対しまして藤山外務大臣は、直後の、今朝9時に開催される閣議でこの行動を承認するように勧めたいと語ったそうです。そして3日後、4月3日、検察官が跳躍上告をしたと。そして、それから3週間後、4月24日、当時の田中耕太郎最高裁判所長官がマッカーサー大使に、日本の手続では審理が始まった後、判決に到達するまでに少なくとも数か月掛かるとわざわざ語ったというんです。
 これだけでも日本の最高裁って一体何なんだよという話ですよね。わざわざそんなことを報告しに行くのかって、おかしな話だよなと思いますよね。でも、本格的にびっくりするのは次のお話なんです。
 ちょっとお伺いしたいんですけれども、この文書の存在というのは御存じでしたか。外務大臣からお聞きしてもよろしいですか。済みません、これ、いきなりなんですけれども、申し訳ないです。
▽国務大臣(岸田文雄)
 米国において様々な公文書、公開されております。公開された文書については米国も一般にコメントを行わない、このようにしていると承知をしております。日本国政府として、この公開された文書について一々コメントすることは適当でないと考えます。
▽委員
 知っていたということでよろしいんですかね、この文書の存在は。
▽国務大臣(岸田文雄)
 御指摘のこの文書も含めて、砂川事件に関しまして審理過程で日米間で交渉したのではないか、こういった指摘があります。これにつきましては、日米間で交渉したという事実はないと考えます。砂川事件の際の最高裁判所への跳躍上告が米国の要望によるものであるというような御指摘は当たらないと考えております。
 そして、御指摘の中で、3月31日のこの文書については衆議院の委員会におきましても指摘がありました。この文書についても外務省として改めて確認作業を行いましたが、日本側にこれに該当するような文書は存在しないということを報告させていただいております。
▽委員
 日米間でのやり取りはなかった、別にそれはアメリカ側が跳躍上告させたわけじゃないんだ、というような話だったと思うんですけれども、でも、日本側にはその文書も残っていないって、それは破棄しただけじゃないのという話ですよね。だって、アメリカの公文書館から出てきているんですもの。当時のアメリカ大使から国務長官宛ての公電で、首席公使が田中長官と話し合ったことをここに書いてきているわけですよね。
 その内容、どんな内容なのということなんですけれども、このような内容でした。
 田中耕太郎最高裁長官はアメリカ大使館の首席公使レンハートさんという人に、砂川事件の判決が恐らく12月に出るであろうと今は考えている、争点を事実問題ではなく法的問題に限定する決心を固めている、口頭弁論は9月初旬に始まる週の1週につき2回、いずれも午前と午後に開廷すればおよそ3週間で終えることができると信じている、最高裁の合議が判決の実質的な全員一致を生み出し、世論をかき乱しかねない少数意見を避ける仕方で進められるよう願っていると語ったというんですね。
 ざっくり言うと、普通の外交ルートでは知り得ない最高裁の内部情報、しかも、かなり精度の高い情報を最高裁長官自らがぺらぺらとアメリカ側に横流しをした、自分の立場を最大限に生かして、手心を加えまくって根回しをして、日米安保を成立させるために都合のいい判決を出すのを急いだという話なんですよね。
 アメリカの政治工作のとおり、日本の最高裁はシナリオどおりの判決を出したという、忠犬ハチ公もびっくりのお話。これ、アメリカの公文書館から出てきているものですよ。そこに書かれているんですよ。それをとぼけるってすごくないですか、知らないって。そんな事実はないというような雰囲気で先ほどお答えをいただいたと思うんですけれども。
 そして、その田中長官のお言葉どおり、1959年、昭和34年12月16日、最高裁大法廷で裁判官15名の全員一致で田中長官本人の口から米軍の駐留は合憲という砂川判決が言い渡されたと。これで、米軍の駐留は違憲とされた東京地裁判決、いわゆる伊達判決は破棄されましたというお話です。
 少し前にノーベル物理学賞ですか、受賞された教授が日本の司法は腐っているとおっしゃっていたんですけれども、最高裁長官が自ら動いて、超スピードでアメリカに言われたとおりの判決を出すなんて、日本の司法は随分前から腐り続けていたんだなという話だと思うんです。砂川判決は、司法の独立などほとんどが夢の話で、自己保身に必死な者たちによる腐った判決だったと私は言えると思います。
 岸田外務大臣、この砂川判決、先ほどもお答えいただいたんですよね、先回りをして。もう一度お聞きしたいな。該当する部分だけお聞きしたいと思うんですけれども、この砂川判決、跳躍上告がアメリカのリクエストだったということを御存じでしたかという話だったんですけれども。
▽国務大臣(岸田文雄)
 まず、この砂川判決につきまして、米国の関与につきまして裏付ける文書は確認できていないと考えます。
 そして、あわせて、最高裁と在京米国大使館とのやり取りについて御指摘がありました。最高裁と在京米国大使館とのやり取りですので、私の立場で申し上げるのは適切かどうか分かりませんが、私の知る限り、平成25年ですが、5月9日の参議院法務委員会において、最高裁内部において御指摘のやり取りを裏付けるような資料はない、こうした答弁があったと承知をしております。
▽委員
 この国の真実は、もう海外からの情報公開に頼るしかないというような状況になってしまっているということですよね、本当に。
 政府・与党が集団的自衛権行使容認の根拠とする最高裁の砂川判決、この判決には集団的自衛権の容認などどこにも書いていませんよね。政府・与党の議論はおかしいし、信用できませんし、何を言っているのか分からないレベルですよ。その砂川判決、砂川判決そのもの、アメリカのリクエスト、要求、指示によって跳躍上告され、要求どおりに作られた全く信用できない代物だということですよね。こんな腐った砂川判決を根拠にして、しかも、その判決文には全く書かれていないのに集団的自衛権の行使が合憲だと言われても、説得力全くありませんよねという話です。
 こんな砂川判決、信用できるのかと。アメリカのロックフェラー財団が田中長官と密接な関係を持ち、アメリカに招待し、人的な関係を築いていたそうです。こんな砂川判決、信用できるはずありませんよね。
 そして、政府自ら認めているように、これまで憲法違反であった弾薬の提供、輸送や戦闘作戦行動のために発進準備中の航空機への給油、整備も、武力行使と一体化した後方支援ではないから憲法違反でないと、今回勝手に憲法解釈を変更したのもアメリカからのニーズ、リクエストなんですよね。何でもニーズには飛び付くんだなって。国内のこの国に生きる人々のニーズには耳を傾けずに、けど、アメリカ様やアメリカ軍の言うこと、そして多国籍企業の言うことはいろんな手を使っても推し進めるんだな。

○第189回国会 参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会(平成27年8月25日)
▽委員
 昭和47年の政府見解でございますけれども、「したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」、このように書かれているわけでございます。
 そこで、まず安倍総理にお伺いしたいんですけれども、この限定的な集団的自衛権の行使というものが、いわゆる集団的自衛権を真っ向から否定しているこの昭和47年政府見解に基づき、いかなる理由、根拠で法的安定性が保たれて合憲であるという真逆の結論が導き出すことができるのか、簡潔に御答弁をいただきたいと思います。
▽内閣総理大臣(安倍晋三君)
 昭和47年の政府見解については、「憲法は、第九条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が…平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、また、第十三条において「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、…国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることからも、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。」というまず第一の論理であります。
「しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。」、これが第二の論理であります。
 まさにこの第一の論理、第二の論理、これは基本論理でございますが、この基本論理を我々はそのまま受け継いでいるわけでありまして、しかし、この基本論理の中での当てはめとして、「わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、」の後でありますが、「他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。」と、こう書いてあるわけであります。
 しかし、当時の安全保障環境は大きく変わったわけでありまして、まさにこの基本的論理で言うところの、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするため、そして国民の生命、自由及び幸福追求の権限が根底から覆されるという、こういう状況での集団的自衛権の行使もあり得ると考えたわけでありまして、最初申し上げましたように、第一番目の論理と第二番目の論理から、安全保障環境の変化の中において、まさに当てはめとして、一部、今申し上げましたような、国の存立が危うくなり、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があり得るときの集団的自衛権の行使は認定され得ると、このように解釈を変更したわけでございます。

○横浜地方公聴会速記録(平成27年9月16日)
▽公述人
 安全保障関連法案に反対する学者の会は、現在、学者の賛同者は1万3988名となっています。また現在、全国の137大学において法案反対の有志の会が結成されています。
 ふだん政治的な活動になじみのない学者の運動がこのように広がっているのは、かつてないことです。しかし、このかつてないことは、学者だけではなく、高校生にも、大学生にも、ママさんたちにも、中年の世代にも、そして高齢者の間でも、また労働者、医師、宗教者、芸術家、弁護士など社会各分野にも生まれていて、法案反対の運動は、文字どおり国民の全階層に大きく広がっています。
 その理由は言うまでもありません。今、日本の国民の多くが、戦後70年の間、日本国憲法の下でつくられてきた日本の国家社会の柱である平和主義、民主主義、そして立憲主義が危機にあることを認識し、安保関連法案が成立するようなことがあれば日本の国の形が根本的に覆されてしまうと考えているからです。
 安倍政権は、法案の合憲性を言い続け、集団的自衛権の根拠に最高裁の砂川判決を援用しています。しかし、こうした援用はまさに曲解であり、この問題に関わって発言しているほとんど全ての法律家が、すなわち憲法学者たち、弁護士の団体である日本弁護士連合会、歴代の内閣法制局長官、最高裁の元裁判官たち、そしてついには元最高裁判所長官まで法案の違憲性を断じるに至りました。
 法案の内容と並んで問題なのは、その進め方が民主主義と立憲主義に対する挑戦だということです。
 安倍首相は、決めるべきときに決めるのが民主主義だと言い、この四月にアメリカに約束した手前もあり、今国会で安保法案をどうしても成立させるつもりのようです。しかし、現在の深刻な問題は、国会の多数派と国民の多数派のねじれです。国会の多数派は選挙の投票における国民の主権行使によって成立した多数派ですが、しかし、主権者国民は、その多数派に全くの白紙委任状を与えたわけではありません。ましてや、安保法案は憲法の平和主義を変えようとする重大な内容を持つものです。主権者国民を選挙のときだけの主権者に押し縮めることは民主主義を形骸化させます。
 また、安保法案は審議が進むほど重大な問題点が続出し、国会が議論を尽くしたとは大多数の国民が考えていません。現在の民意に耳を傾けることこそ政治家の責務であり、安保法案の強行は、民意を無視し、民主主義、国民主権に背くものです。
 元々、安倍政権は日本国憲法の全面改正を目指しています。安倍首相は、憲法九十六条が規定する憲法改正手続のハードルを下げるために、九十六条を先行して改正することをもくろみました。しかし、これに対する国民の反発は大きく、また憲法全面改正も当面困難だという状況の下で、集団的自衛権を認め、憲法九条を骨抜きにする解釈改憲を図ったというのが7月の閣議決定でした。政府の権力をチェックする憲法を、チェックされる政府が自分の政策に都合のよいように変更したというのが事態の本質です。
 違憲の法案を国民の過半数の意思を無視して成立させることにいかなる道理もありません。二院制の下、参議院の独自性と良識に基づいて、全ての議員の皆様が国民の代表として、党議の拘束から離れて、国民の反対と不安を自分の目と耳でしっかりと認識し、法案の違憲性を判断して、法案を廃案にするために行動していただくことを心から希望いたします。
▽公述人
 国会は立法をするところです。政府に白紙委任を与える場所ではありません。ここまで重要な問題が審議において明確になり、今の法案が政府自身の説明とも重大な乖離がある状態でこの法案を通してしまう場合は、もはや国会に存在意義などありません。これは、単なる多数決主義であって民主主義ではありません。
▽公述人
 国会の審議が進めば進むほど反対が大きくなっているというのが私の実感です。国会の前に多くの人が集まって、法案反対のデモンストレーションをしております。
 国会の審議の中で、事柄が明確になっていくのではなくて、ますます大きな問題点が国民の前に明らかになっていく。したがって、この法案が問題法案であるということを国会が確認をして、廃案にし、もし本当に本当に必要ならば、もっとちゃんとした法案を出すというのが国会のあるべき態度ではないかと。多くの国民もそれを求めていると思います。
 最近の世論調査でも、今国会で法案を成立させる必要はないというのが7割くらいになっているわけですね。さっき申し上げたように、国会の多数は確かに多数であって、最後には多数決で決めなければならないというのが民主主義のルールですけれども、これは、公述人がおっしゃったように、多数決主義ではなくて民主主義だという観点に立って今回の法案の審議の全体の経過を見渡すとすれば、まさに国民の多数を国会の多数がどう受け止めるかという問題になっていると思います。
 ですから、現在の国民の世論に耳を傾けることが国会の多数派の政治家としての責務だと、私は強く思います。
 審議は十分に尽くされたか、8割に近い国民がそうではないと言っているではありませんか。どうしてこういう国民の声を無視してこういう法案が強行されるのか、私にはほとんど理解できない。
 今回の法案は、これはどう考えても憲法九条に違反している。憲法に違反した法案をどうして国会が通すことができるのか。
 本当に、もっとしっかりした安全保障体制を考えようということであれば、憲法改正まで含めて正面から議論を立てたらどうなんでしょうか。それを抜きにして、私は、安倍総理の国会での答弁は国民をごまかしているのではないかと。誠実な答弁になっていないのではないかということを多くの国民は感じているわけです。
 ですから、法案を廃案にして最初からやり直す。憲法の改正が必要ならば、憲法の改正を正面から打ち出して理を尽くして国民に説明をする。最後は国民が決めるわけです。今回はその国民の過半数が反対しているわけです。どうしてこれを国会が通すことをできるのかということを皆さん言っています。
 今回の違憲の法案は絶対に通すべきではありません。

○第189回国会 衆議院 本会議(平成27年9月18日)
▽議員
 安倍政権は、集団的自衛権に関し、これまで政府の姿勢の基礎とされてきた昭和47年見解、これは、参議院決算委員会に提出された、昭和47年10月14日、集団的自衛権と憲法との関係に関する政府資料でありますが、これについて、その一部のみを便宜的に切り取って基本的論理とした上で、それに今日の安全保障環境の変容を当てはめれば集団的自衛権行使は可能と主張をしておられます。
 しかし、この47年見解、しっかりと読めば、そんな奇想天外な話は出てくるはずがありません。
 47年見解はこう述べています。
 政府は、従来から一貫して、わが国は国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界をこえるものであつて許されないとの立場にたつているが、これは「次のような考え方に基づくものである。」
 いいですか。つまり、この後申し述べる部分は、集団的自衛権を行使できないということの理由を説明する部分です。
 その中で、
 憲法は…(省略)いわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。
 この部分全体が、「次のような考え方に基づくものである。」という言葉のもとに置かれている文章であり、その集団的自衛権の行使は、憲法上容認する自衛の措置の限界を超えるものであるの理由として、今の部分が述べられているんです。
 この中から部分的に取り出して、集団的自衛権行使容認の根拠にするだなんというものは、無から生み出すんじゃなくて、マイナスから生み出すようなものです。到底、論理的に成り立ちません
 政府は、安全保障環境が変わったから憲法解釈を変更できると強弁をしています。これを無条件に認めたのでは、時の政権の判断で憲法を勝手に解釈することになり、憲法の意味がなくなります。
 大体、砂川判決の後も、昭和47年見解の後も、歴代自民党政権は、集団的自衛権は憲法違反とずっと言い続けてきたのではないですか。状況が変われば認める余地があり得るだなんという話を私は聞いたことがありませんし、今回の議論でもそうした説明は一度も聞かされておりません。
 集団的自衛権の行使を容認することは、憲法改正に匹敵するような、まさに憲法解釈の重大な変更です。これが本当に必要なことで、国民の理解を得られるのであるならば、憲法改正を言わなければいけないじゃないですか。国民の過半数の賛成を得て実施する憲法改正の手続をなぜ訴えなかったんですか。こうしたことを無視して一内閣の独断で解釈を変更している、これは立憲主義に反する暴挙であります。

○(平成27年9月19日)我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律が成立(通称:安保関連法, 安全保障関連法, 平和安全法制整備法, 安保法, 安保法制)

○政府が「集団的自衛権」の行使を認める中での核兵器使用の「憲法解釈」に関する質問主意書(平成28年4月7日)参議院議員
 政府は、平成26年7月1日の閣議決定において、「憲法解釈を変更」し、武力行使の要件を改め、「集団的自衛権」の限定行使を容認している。武力行使の新三要件の下、第一要件においては「我が国」に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、「我が国と密接な関係にある他国」に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合においても、「憲法上は全てのあらゆる種類の核兵器の使用がおよそ禁止されているとは考えていない」との従来の「憲法解釈」は、変更されていないということでよいか。
▽上記質問に対する答弁書(平成28年4月15日)
 内閣総理大臣 安倍 晋三
 我が国は、いわゆる非核三原則により、「憲法上は保有することを禁ぜられていないもの」を含めて「政策上の方針」として一切の核兵器を保有しないという原則を堅持している。また、原子力基本法において、原子力利用は平和の目的に限り行う旨が規定され、さらに、我が国は、核兵器の不拡散に関する条約上の非核兵器国として、核兵器等の受領、製造等を行わない義務を負っており、我が国は一切の核兵器を保有し得ないこととしているところである。
 その上で、従来から、政府は、憲法第九条と核兵器との関係についての純法理的な問題として、我が国には固有の自衛権があり、自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法第九条第二項によっても禁止されているわけではなく、したがって、「核兵器であっても」、仮にそのような限度にとどまるものがあるとすれば、それを保有することは、「必ずしも憲法の禁止するところではない」が、他方、右の限度を超える核兵器の保有は、憲法上許されないものであり、このことは核兵器の使用についても妥当すると解しているところであって、この「法理上の考え方」に変更はない。

○安保法制に反対し、立憲主義・民主主義を回復するための宣言(平成28年5月27日)日本弁護士連合会
▽提案理由
 集団的自衛権に関しては、従来の憲法解釈を変更した根拠について審議された。政府は、1972年10月14日に参議院決算委員会に提出された政府見解(昭和47年見解)の基本論理を前提に、日本を取り巻く安全保障環境の変化を理由に、昭和47年見解の最後の結論部分を変更したとの説明を繰り返した。
 しかし、昭和47年見解は、日本国憲法前文の平和的生存権や第13条を根拠に「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとること」を禁じていないとしながらも、平和主義を基本原理とする日本国憲法が自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないとした上で、自衛の措置は、あくまで「外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権限が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態」であることが前提となること、そしてそれは、我が国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、「他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」と述べている。
 すなわち、昭和47年見解は、日本国憲法の下で集団的自衛権の行使が容認できないという規範を定立するための論理を述べたものである。
 したがって、昭和47年見解と同じ論理を根拠に、集団的自衛権に基づく武力の行使を容認する結論を導き出すことは理論的に矛盾している
 昭和47年見解は、集団的自衛権に関する従来の憲法解釈を変更する根拠にはなり得ない
 また、砂川事件最高裁判決が日本国憲法の下で集団的自衛権の行使が認められる根拠となるかについて、政府関係者の発言も二転三転する中で、首相が国会答弁で根拠になると答弁をした(2015年6月26日衆議院特別委員会)。
 しかし、砂川事件では、在日米軍が日本国憲法第9条第2項の「戦力」に該当するのかが争われたものであり、また日米安全保障条約の違憲性についていわゆる統治行為論により憲法判断を回避したものであって、我が国が集団的自衛権を行使することについては問題にもなっておらず、同判決は、日本国憲法の下で集団的自衛権の行使が許される根拠にはなり得ない
 国会審議においては、集団的自衛権の行使を容認する根拠についての政府の説明は合理性を欠き、かつ変遷しており、その他の論点への説明も必ずしも十分ではなく、政府の説明は説得力に乏しいと言わざるを得ない。
 報道機関の世論調査では、政府の説明は不十分であり当該国会での成立に反対するとの意見が多数を占めていたが、2015年9月17日、参議院特別委員会は前日横浜で開催された地方公聴会の報告もされず、総括質疑も行わずに、突然質疑を打ち切り、速記には「議場騒然、聴取不能」と記載される異常な混乱の中で、採決が強行された。
 安保法制をめぐり繰り返しその違憲性が指摘されてきたが、国会審議において政府からは説得力のある説明が行われず、むしろ集団的自衛権の行使を容認したことについて政府の説明が成り立たない状況になった。また、報道機関の世論調査では当該国会での成立に反対するとの意見が多数を占めていた。さらに、多くの憲法学者、歴代の内閣法制局長官、元最高裁長官を含む最高裁判事経験者からも安保法制は憲法違反であると指摘されていた。
 それにもかかわらず、安保法制法案は、衆議院本会議に続き、参議院特別委員会においても採決が強行された上、参議院本会議で可決されるに至った。
 このように、憲法違反の安保法制が、言論の府であるべき国会において、十分な説明が尽くされないまま採決が強行されたことは、立憲主義・民主主義国家としての我が国の歴史に大きな汚点を残したものであった。

○第196回国会 衆議院 本会議(平成30年1月25日)より抜粋要約
▽内閣総理大臣(安倍晋三君)
 いわゆる敵基地攻撃については、日米の役割分担の中で、米国の打撃力に依存しており、日米間の基本的な役割分担を変更することは考えていません。この点については、今後ともいささかの変更もありません。

○第208回国会 参議院 予算委員会(令和4年3月7日)
▽内閣総理大臣(岸田文雄君)
 まず憲法と核の関係で申し上げるならば、この純法理的な問題として、我が国には固有の自衛権があり、自衛のための必要最小限の実力を保持することは憲法第九条第二項によっても禁止されているわけではありません。したがって、「核兵器であっても」仮にそのような限度にとどまるものがあるとすれば、それを保有することは「必ずしも憲法の禁止するところではない」、これが従来の「政府の見解」であります。
 しかし、我が国としては、非核三原則、これは国是であると考えており、この核共有等については政府としては考えないということを申し上げている次第であります。

○(令和4年12月16日)政府は「国家安全保障戦略」等を閣議決定

○第211回国会 衆議院 本会議(令和5年1月25日)
▽内閣総理大臣(岸田文雄君)
 バイデン米国大統領との会談においては、我が国の新たな国家安全保障戦略等に関し、反撃能力の保有や防衛費の増額等を含め、私から説明をし、全面的な支持を得ました

○第211回国会 参議院 本会議(令和5年1月27日)
▽議員
 敵基地攻撃能力を幾ら抑止力、反撃能力に言い換えても、相手からすれば軍事的な脅威であり、威嚇です。専守防衛から逸脱する事実上の改憲です。これほどの転換にもかかわらず、安保三文書を昨年の臨時国会が閉会した後に改定してしまいました。

○第211回国会 衆議院 内閣委員会(令和5年2月10日)
▽政府参考人
 いわゆる反撃能力のところについて申し上げますと、これまで、いわゆる敵基地攻撃につきましては、日米の役割分担の中で米国の打撃力に依存していると説明してきたところでございます。その上で、今後、我が国が反撃能力を保有することに伴いまして、これまでのように米国の打撃力に完全に依存するということではなくなるというところは、そのとおりでございます。

○第211回国会 衆議院 憲法審査会(令和5年3月2日)
▽委員
 岸田総理は、今回の安保関連三文書の改定について、戦後政策の大転換と繰り返し発信をしています。それほど重大な政策判断を下したにもかかわらず、事前に国会で説明することすらなく、臨時国会閉会後に閣議決定し、通常国会での議論を待たずにアメリカのバイデン大統領と約束をし、既成事実化してしまいました。
 このプロセスについて、河野元自民党総裁は、共同通信の記事、インタビューの中で、戦後日本の国柄を変えるほどの重大な政策転換なのに、国民に諮ったことは一度もないと批判をしています。その上で河野氏は、驚いたのは、閣議決定後に国会に示し、議論するかと思ったら、岸田文雄首相はワシントンに飛んでバイデン大統領に報告をし、米国は大変喜んでくれたと言って帰ってきたことだ、とも批判をしております。
 戦後政策の大転換を決めることができるのは、総理大臣や内閣ではありません。日本国憲法では、国の在り方は、最終的に決める権力は主権者である国民にあります。岸田政権の今回のやり方は、到底民主主義国家では認められません。

○第211回国会 衆議院 安全保障委員会(令和5年4月7日)
▽政府参考人
 従来から、政府としては、武力行使の目的を持って武装した部隊を他国の領土、領海、領空へ派遣するいわゆる海外派兵は、一般に、憲法上許されませんけれども、他国の領域においての武力行動であっていわゆる自衛権発動の三要件に該当するものがあるとすれば、憲法上の理論としては、そのような行動を取ることが許されないわけではないと考えてきている、この趣旨は、1956年の衆議院の内閣委員会で示した政府の統一見解によって既に明らかにされているところでございます。
 今回保有することとした反撃能力は、この政府見解において、憲法上、誘導弾等による攻撃を防御するのに、ほかに手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能であるとしたものの、これまで政策判断として保有することとしてこなかった能力に当たるものでございます。

○第211回国会 衆議院 本会議(令和5年4月6日)
▽内閣総理大臣(岸田文雄君)
 反撃能力は、我が国に対する武力攻撃の発生又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生した場合など、武力行使の三要件を満たす場合に行使し得るものです。

○第212回国会 衆議院 本会議(令和5年10月24日)
▽内閣総理大臣(岸田文雄君)
 国民の命と我が国の領土、領海、領空を断固として守り抜くため、5年間で43兆円の防衛力整備の水準を確保し、防衛力の抜本的強化を速やかに実現いたします。
 そのための財源確保に当たっては、行財政改革の努力を最大限行った上で、それでも足りない約四分の一については、今を生きる我々の将来世代への責任として、税制措置での協力をお願いすることとしています。


 以上です。