(2023.12.30)

 

(1/2)に続く内容です。(同時に投稿しています。)

 

○知的財産推進計画2021(令和3年7月13日)知的財産戦略本部

 社会のデジタル化に伴いデータは智恵・価値・競争力の源泉となり、欧州や米国を始め諸外国はデジタル社会においてデータが国の豊かさや国際競争力の基盤であると捉え、新たにデータ戦略を策定しこれを強力に推進している。

 一方で日本は十分な活用が進まず迅速かつ的確な対応ができていない。

 このような状況下で、21世紀の最重要知財となったデータは、流通し、利活用されて初めて情報財として価値を発揮し、財産価値を高めるものであるため、データ流通・利活用を推進するための環境整備は、知財戦略としても喫緊の課題である。

 データの流通・活用促進環境を整えることで、知財としての価値あるデータ/情報財の形成に向けた投資が起爆し、新たな価値・収益を生みうる知財たるデータ資本が蓄積されるようにすることが重要である。

 

○第205回国会 衆議院 本会議(令和3年10月11日)

▽内閣総理大臣(岸田文雄君)

 国民の信頼と共感を最優先する政治姿勢を堅持し、丁寧な対話を積み重ねることで、真に国民が必要とする政策に取り組んでいく、こうしたことによってのみ民主主義の危機を乗り越えていけるものと信じております。

 

○第208回国会 参議院 予算委員会(令和4年6月3日)
▽委員
 敵基地攻撃能力を反撃能力に、日本政府は言い方を変えたんですか。
▽内閣総理大臣(岸田文雄君)

 用語の使い方でありますが、従来からいわゆる敵基地攻撃ということで世の中で言われ、使われている言葉として引用させていただきました。反撃能力という言葉については自民党の提言の中にも出てくるなど、昨今使われております。そして、同じことを指して使っているということも承知しています。

 

○民主主義国ではあり得ない形骸化国会(令和4年9月20日)朝日新聞デジタル

 法案が国会提出される前に、細かく各省庁と自民党が調整し、細部まで法案を固めます。ほとんどの場合、その法案が最終的には修正されずに多数決で可決、成立します。

 

○第210回国会 衆議院 予算委員会(令和4年10月18日)

▽岸田内閣総理大臣

 国民の皆様にマイナンバーカードで受診していただくことで、健康、医療に関する多くのデータに基づいたよりよい医療を受けていただくことが可能になるなど、カードと健康保険証の一体化には様々なメリットがあると思っております。そして、こうしたメリットをより多くの国民、関係者の皆様に早くお届けできるよう、カードと健康保険証の一体化を進めるため、令和6年秋の健康保険証の廃止を目指すことといたしました。

 

○(令和4年12月10日)第210回国会(臨時会)会期終了

○(令和4年12月16日)政府は「国家安全保障戦略」等を閣議決定

 

○自公政権10年政治主導はき違えるな(令和4年12月29日)山陰中央新報デジタル論説

 自公は2012年12月の衆院選で、3年余り続いた民主党政権を倒し、自民党総裁の安倍晋三氏が首相に再登板。初閣議で「真の政治主導によって新しい日本の国づくりを進めるための大胆な政策を果敢に打ち出す」との首相談話を決定した。

 しかし忘れてならないのは、政治主導で方針決定する前に、国民の理解を得ようとする努力である。

 安倍政権は、憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使容認に踏み切り、安全保障関連法を成立させた。日本が戦争に巻き込まれる危険性を高めると批判されたが、与党の圧倒的多数を背景に、反対意見を押し切る形になった。

 選挙で勝利を重ねても、決して有権者の白紙委任ではなく、異論を封じ込めてまでの政治主導は許されない。

 そして「聞く力」を売り物にした岸田文雄首相は、安倍氏らの政治手法とは一線を画すと思われたが、政権発足後1年余りが過ぎて怪しくなってきた。

 他国のミサイル発射拠点を攻撃できる反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有や、増税を含む防衛費の大幅増額の「決定過程」がそうだ。

「安保政策の大転換」にもかかわらず、国民的議論に付す姿勢が首相には感じられなかった。

 岸田首相が自民党総裁選時、「安倍・菅政治」を念頭に指摘した「民主主義の危機」を自ら招いているといえよう。

 自民、公明両党が政権復帰して26日で10年になった。この間、日本のありようを大きく変える政策決定がなされてきた。

 国内外の情勢変化に適応するためだとしても、「政治主導をはき違えた独善的な手法」が取られたことも否定できまい。

 政府、与党には民意を踏まえた謙虚な政権運営を改めて求めたい。

 

○第211回国会 衆議院 本会議(令和5年1月25日)

▽内閣総理大臣(岸田文雄君)

 バイデン米国大統領との会談においては、我が国の新たな国家安全保障戦略等に関し、反撃能力の保有防衛費の増額等を含め、私から説明をし、全面的な支持を得ました。

 

○第211回国会 参議院 本会議(令和5年1月27日)

▽議員

 敵基地攻撃能力を幾ら抑止力、反撃能力に言い換えても、相手からすれば軍事的な脅威であり、威嚇です。専守防衛から逸脱する事実上の改憲です。これほどの転換にもかかわらず、安保三文書を昨年の臨時国会が閉会した後に改定してしまいました。

 

○第211回国会 衆議院 内閣委員会(令和5年2月10日)

▽政府参考人

 いわゆる反撃能力のところについて申し上げますと、これまで、いわゆる敵基地攻撃につきましては、日米の役割分担の中で米国の打撃力に依存していると説明してきたところでございます。その上で、今後、我が国が反撃能力を保有することに伴いまして、これまでのように米国の打撃力に完全に依存するということではなくなるというところは、そのとおりでございます。

 

○安保3文書の改定閣議決定に反対する会長声明(令和5年2月22日)広島弁護士会会長

 安保3文書の改定の閣議決定は、先の国会が終了した後になされたものである。

 国民的議論は言うまでもなく、国民の代表者による国会ですら、具体的議論はなされていない。

 このような国家防衛戦略の大転換が国会審議もなく、閣議により決定されたことは、憲法原理の一つである立憲主義、民主主義、国民主権の原理にも反するものである。

 

○「反撃能力(敵基地攻撃能力)」の保有と行使の準備に強く反対する決議(令和5年2月25日)仙台弁護士会会長

 相手の領域内にある基地ないし指揮統制機能などを直接攻撃可能な能力を保有した場合は、相手の軍備増強を招き、際限なき軍備拡張競争につながる危険性がある。さらに、反撃能力(敵基地攻撃能力)がひとたび行使されれば、当然に相手の報復を招き、武力行使の応酬の結果、国民の多大な犠牲広範な国土の荒廃をもたらしかねない。

 政府が、このような憲法に反する反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有・行使を、国会での議論すら経ずに強行しようとしていることは、立憲主義、法の支配及び民主主義を破壊する行為と言わざるを得ない。

 

○第211回国会 衆議院 憲法審査会(令和5年3月2日)

▽委員

 岸田総理は、今回の安保関連三文書の改定について、戦後政策の大転換と繰り返し発信をしています。それほど重大な政策判断を下したにもかかわらず、事前に国会で説明することすらなく、臨時国会閉会後に閣議決定し、通常国会での議論を待たずにアメリカのバイデン大統領と約束をし、既成事実化してしまいました。

 このプロセスについて、河野元自民党総裁は、共同通信の記事、インタビューの中で、戦後日本の国柄を変えるほどの重大な政策転換なのに、国民に諮ったことは一度もないと批判をしています。その上で河野氏は、驚いたのは、閣議決定後に国会に示し、議論するかと思ったら、岸田文雄首相はワシントンに飛んでバイデン大統領に報告をし、米国は大変喜んでくれたと言って帰ってきたことだ、とも批判をしております。

 戦後政策の大転換を決めることができるのは、総理大臣や内閣ではありません。日本国憲法では、国の在り方は、最終的に決める権力は主権者である国民にあります。岸田政権の今回のやり方は、到底民主主義国家では認められません。

 

○敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有及びその行使のための準備を進めることに強く反対する会長声明(令和5年3月18日)東北弁護士会連合会会長

 令和5年1月14日の日米首脳会談では、岸田首相が、国会での議論も始まらないのに、敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有など新たな安全保障戦略を説明し、バイデン米大統領が日本の防衛力強化を歓迎したと報じられている。

 敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有・行使と憲法9条との関係について、主権者たる国民を代表し、国権の最高機関である国会での議論すら経ないままに、単なる一内閣の閣議決定によって敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有・行使を容認し、対外的な約束までして強行しようとしていることは、立憲主義・法の支配及び民主主義を著しく破壊する行為と言わざるを得ず、到底許されないものである。

 

○論説 最終盤の国会 形骸化が進むだけだ(令和5年6月15日)山陰中央新報デジタル

 今国会の審議では、安全保障や原発、人権といった重要課題への対応が問われ続けた。

 首相には、世論も賛同していない増税までして強化する防衛力の在り方について、議論を深める姿勢こそ求められよう。

 首相と与党が率先して実行しなければ、国会の存在意義は低下し、政治の信頼回復はおぼつかない。

 国会対応を含め、民意を踏まえた誠実で謙虚な政権運営を行っているかどうか。

 国民の不安や疑念に、岸田文雄首相が国会論戦を通じて真摯に向き合ったとは言いがたい。

 政府、与党が既定方針に固執したままでは、国会の形骸化が進み、政治不信は払拭されないだろう。

 

○第211回国会 参議院 内閣委員会(令和5年5月16日)

▽委員

 いわゆる次世代医療基盤法改正案について質問に入らせていただきます。

▽政府参考人

 制度の見直しに向けたワーキンググループにおきましては、現行の匿名加工医療情報では、薬事申請のためのデータとしての活用等が難しいとの課題が指摘されたところでございます。

 今回の改正におきましては、ほかの情報と照合しない限り個人を特定できないように加工いたしました仮名加工医療情報を利用できる仕組みを創設することとしております。

▽委員

 情報をより生の形で提供することができるので、使い勝手が良いということだと思いますが、新たな制度創設の趣旨をいま一度お聞かせ願います。

▽政府参考人

 仮名加工医療情報につきましては、ほかの情報と照合することによりまして個人を特定することが可能な場合があるということで、悪意のある利用者がほかの情報と照合することで本人を特定し、権利利益の侵害を行うおそれがあることが否定できません。

 こういうことで、改正案におきましては、仮名加工医療情報を利用する事業者につきましても、主務大臣が安全管理措置等を審査し、認定を行うとともに、本人を特定しようとする行為を禁止し、それから不正な行為を行った際の罰則を設ける、こういったことによりまして患者本人の権利利益が適切に図られる仕組みを構築したものでございます。

▽委員

 昨年、本人に通知されていない約9万5000名の方の医療情報が、自分が知らないうちに匿名加工されて第三者に提供される事態がありました。しかも、当該事業者は6月に事態発生の可能性を認識していたにもかかわらず、政府への報告は9月と大幅に遅れたと。

 この法律は医療分野の研究開発に資するために医療情報等の利活用の枠組みを定めるものですが、利活用の大前提となる国民の個人情報、医療情報についての安心、安全が確保されていない中で、いたずらに医療情報等について利活用を推進しようとすべきではないということを指摘して終わります。

▽委員 

 医療分野の研究開発によって国民の健康増進が図られ、難病の治療法確立などの技術進歩がもたらされる可能性を否定はいたしません。ただ、そのために、生命、身体に関する極めて機微な個人情報である医療情報が保護されないリスクを放置することは許されません。

 国が医療情報を守り抜いてくれるという信頼感が醸成できていない中で、医療ビジネスの発展のみに焦点を当て、利益追求を優先する本法律案には反対します。

 

○(令和5年5月17日)次世代医療基盤法の一部を改正する法律が成立。

 

医療DXの推進に関する工程表(令和5年6月2日)医療DX推進本部決定

 民間事業者との連携も図りつつ、保健医療データの二次利用により、創薬、治験等の医薬産業やヘルスケア産業の振興に資することが可能となり、結果として、国民の健康寿命の延伸に貢献する。

 マイナンバーカードと健康保険証の一体化を加速し、2024年秋に健康保険証を廃止する。こうした取組を通じて、医療等の情報を共有する全国的な基盤を構築する。

 マイナンバーカードを健康保険証として利用するオンライン資格確認は、医療DXの基盤である。

 誕生から現在までの生涯にわたる保健・医療・介護の情報をPHRとして自分自身で一元的に把握可能となり、個人の健康増進に寄与する。またその際に、ライフログデータ(個人の生活や活動をデジタル記録したデータ)の標準化等の環境整備が進むことにより、こうしたライフログデータ等の活用が可能になれば、疾病の予防などにもつながる。

 全国医療情報プラットフォームにおいて共有される医療情報の二次利用については、そのデータ提供の方針、信頼性の確保のあり方、連結の方法、審査の体制、法制上ありうる課題その他医療情報の二次活用にあたり必要となる論点について整理し、幅広く検討するため、2023年度中に検討体制を構築する。

 

○通常国会閉会 形骸化した審議を省みよ(令和5年6月22日)西日本新聞社説

 説明も議論も尽くされないまま、通常国会が閉会した。

 国会閉会中に防衛費を倍増する大きな政策転換を決めながら国会への説明がなおざりな岸田文雄首相の姿勢はついに変わらなかった。

 マイナンバーカードのトラブルが噴出したのは、用途を拡大する法案の審議が参院に移ってからだった。新たに決まった現行保険証の廃止に対し、世論調査では7割超が延期や撤回を求めている。採決は拙速だったと断じざるを得ない。

 いくら問題になっても一定の審議時間が過ぎれば採決するのは、政府提出法案の成否は与党の事前審査で事実上決まる現実があるからだ。国会審議の形骸化に他ならない。

 国会が有権者の負託に応えているかを全ての議員に自問してもらいたい。

 

○通常国会閉会 審議の形骸化 危機的だ(令和5年6月22日)沖縄タイムスプラス社説

 通常国会が閉会した。 国の在り方を変えかねない重要な法律が、まともな審議もなく次々と成立した。

 国会の形骸化が一層浮き彫りになっている。最大の焦点は、政府が昨年末決定した反撃能力(敵基地攻撃能力)を含む歴史的な防衛力強化だった。

 

○広報誌「経済同友」(令和5年7月号)京都大学法学部教授

 1980年代、従来の政策決定のあり方には限界があるという認識が広がり、「政治改革」の考えが生まれた。

 弱い党首権力を変革するために、中選挙区制から小選挙区制中心の選挙制度への改革が行われ、大政党は党首の下でまとまって戦わざるを得ないため、党首権力が大幅に強化された。

 首相権力については、各省庁に対して直接的な指揮命令ができることが明確化され、名実ともに内閣の首班となった。

 従来は難しいと考えられていた政策課題の方向転換が、官邸主導により比較的短期間に容易に行えるようになり、安全保障政策や外交政策でも大きな方向転換が行われた

 

○「マイナンバー制度の問題点と解決策」に関する提言(令和5年10月10日)一般社団法人情報システム学会

 本提言書で問題点として指摘しているのは、「マイナンバー法に書かれた目的実現のために必要となるマイナンバー制度の制度設計の内容に、根本的な不良があること」である。そして、「その設計不良のままデジタル化を推進してしまうと、目的を実現するのに遠回り(情報システム開発の費用と時間が膨大にかかるなど)だっだり、設計不良が別の大きな社会問題を誘引してしまう」ことである。

 言い換えると、制度目的は正しいが、制度の実装方法(情報システムの設計・開発と運用)に不良があることにより、現在の設計のまま推進してしまうと、国民にとって不利益の方が大きくなってしまうという懸念である。

 現在のマイナンバー制度では、マイナンバーカードは最高保証レベルの当人確認用の所有物として使用することを前提に設計されている。言い換えると「マイナンバーカード+暗証番号」を使用すれば、様々なことが何でもできるという設計なのである。しかし、裏を返せば「マイナンバーカード+暗証番号」が悪用された時も、何でもできてしまうということでもある。

 一方で、マイナンバーカードは身元証明書として常時携行する設計にもなっている。現実世界に例えると、実印を常時携行しなさいという制度設計に近い。その際のセキュリティが4桁暗証番号だけというのは、余りに脆弱であると言わざるを得ない。

 当然、マイナンバーカードを常時携行すれば、盗難被害に遭う人が増えてしまう。マイナンバーカードは最高保証レベルの当人確認の所有物であるので、犯罪ターゲットになりやすく、マイナンバーカードを使用して利用できる情報システムが増えれば増えるほど、マイナンバーカードに関わる犯罪が増えることになるだろう。

 これは、現在のマイナンバー制度の設計者に、情報システムの運用視点と、ユーザーがどのようにしてマイナンバーカードを使用するかというユーザー視点が欠如していることから発生する問題である。

 

○第212回国会 衆議院 本会議(令和5年10月20日)

▽議長

 私たちは、国民の厳粛な信託に応え、この難局を乗り越えていかなければならず、憲法に国権の最高機関と定められる国会が果たすべき役割は、かつてなく大きなものがあります。

 

○岸田内閣総理大臣所信表明演説(令和5年10月23日)

「経済、経済、経済」、私は、何よりも経済に重点を置いていきます。

 

○マイナンバー情報総点検本部(第5回)議事概要(令和5年12月12日)

▽岸田内閣総理大臣発言

 法令に基づき、予定通り、現行の健康保険証の発行を来年秋に終了し、マイナ保険証を基本とする仕組みに移行することといたします。

 マイナンバーカードは、デジタル社会における公的基盤です。医療分野においても、マイナ保険証は、患者本人の薬剤や診療のデータに基づくより良い医療、なりすまし防止など、患者・医療現場にとって多くのメリットがあり、さらに、電子処方箋や電子カルテの普及・活用にとっても核となる、我が国の医療DXを進める上での基盤です。

 

○医療現場のトラブルは未解決のまま、健康保険証の「廃止」強行宣言に抗議する(令和5年12月12日)全国保険医団体連合会 会長声明

 岸田文雄首相は12月12日の「マイナンバー情報総点検本部」において、現行の健康保険証を廃止してマイナンバーカードと一体化する「マイナ保険証」への移行について、当初の予定通り2024年秋に健康保険証の廃止を強行することを表明した。

 少なくとも医療保険に係る「総点検」では現場のトラブルはなんら解決しておらず、「問題が無い」と判断できる状況にはない。このような状況で現行の健康保険証の廃止を強行するとの表明は言語道断であり、強く抗議する。

 医療現場の「マイナ保険証」利用率は5%を切る状況が続いている。こうした政府の無責任な対応も背景に、内閣支持率も下落している。

 国民の受療権を保障するため、改めて現行の健康保険証の存続を強く求める。

 

○(令和5年12月25日)集英社オンライン

 NHKの12月世論調査では、岸田政権は支持率をさらに下げて23%と過去最低を更新した。同じく12月に実施された報道各社の世論調査では、時事通信が17.1%、毎日新聞が16%と2割を切っているものもある。

 

○(令和5年12月27日)共同通信社

 厚生労働省は「マイナ保険証」の11月の利用率は4.33%だったと公表。

 7カ月連続の低下。利用率は依然低迷している。

 マイナンバーを巡って情報のひも付け誤りなどトラブルが相次ぎ、マイナ保険証に不安を覚える国民がいまだに多いことが浮き彫りとなった。


 

 時系列の内容は以上です。

 

 

 最後に。

 つぎのような意見がありました。

「国会の多数派は、選挙の投票における国民の主権行使によって成立した多数派、しかし、主権者国民は、その多数派に全くの白紙委任状を与えたわけではない」「主権者国民を選挙の時だけの主権者に押し縮めることは、民主主義を形骸化させる」「多数決主義ではなく、民主主義だという観点に立つとすれば、国民の多数を、国会の多数がどう受け止めるかという問題」

 

 強化された内閣、形骸化している国会という状況において、国会の審議、国民の理解が十分でない、あるいは国民の多くが望んでいない政策であっても、構わず決定され推し進められている現状は、「個人の尊重」それに由来する「国民主権」が軽視されているのではないかと感じています。

 国外をも含む一部の影響力のある存在が実質的に大きく占有している「全体」、その全体的利益の名のもとに、国民は“全体に埋没する個人”となされてはいないでしょうか。

 内閣の行政権が十分にコントロールされることなく国民が望まぬとも行使され得るのが現状ですが、だからこそ、国民とは何にも勝って尊重されるべき「自律的存在たる個人」の集合体であることを踏まえたうえで「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるもの」との憲法前文の意義が、今こそ問われているのではないかと感じています。

 

 以上です。

 

 

<備考>

○立憲主義の堅持と日本国憲法の基本原理の尊重を求める宣言(平成17年11月11日)日本弁護士連合会(抜粋要約)

 日本国憲法は、「個人の尊重」と「法の支配」を中核とする「立憲主義」に基づくものであり、すなわち、すべての人々が個人として尊重されるために、最高法規として国家権力を制限し、人権保障などをはかるという理念を基盤とした憲法である。

個人の尊重」とは、人間社会における価値の根源が個人にあるとし、何にも勝って個人を尊重しようとするものである。一方では利己主義を否定し、他方では全体主義を否定することで、すべての人間を自由・平等な人格として尊重しようとするものであり、個人主義とも言われる。そして、憲法の基本原理である国民主権と基本的人権の尊重も、ともにこの「個人の尊重」に由来している。

法の支配」とは、専断的な国家権力の支配(人による支配)を排斥し、権力を法で拘束することによって、国民の基本的人権を擁護することを目的とするものである。

国民主権」とは、国政についての最高決定権が国民にあり、国の政治のあり方を最終的に決定するのは国民である、とする考え方である。日本国憲法は、前文において「国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」として国民主権とそれに基づく代表民主制の原理を宣言している。

 改憲論の中には、憲法の「公共の福祉」概念が人権相互の調整原理と解されることを批判し、「公益や公の秩序」、「国民の責務」などの概念を導入して、国家的利益や全体的利益を優先させ、人権を制限しようとするものがある。しかし、「公益及び公の秩序」、「国民の責務」などの個々の基本的人権を超越した抽象的な概念を人権の制約根拠とすることを認めれば、基本的人権の制約は容易となり、人権制約の合憲性についての司法審査もその機能を著しく低下させることとなる。

 

○昭和47年政府見解の中の「外国の武力攻撃」の文言の理解に関する質問に対する答弁書(平成31年2月22日)

 内閣総理大臣 安倍 晋三

 昭和47年10月14日に参議院決算委員会に対し政府が提出した資料「集団的自衛権と憲法との関係」は、①「憲法は、第九条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が…平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、また、第一三条において「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、…国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることからも、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであつて、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない」及び②「しかしながら、だからといつて、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであつて、それは、あくまで「外国の武力攻撃」によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最少限度の範囲にとどまるべきものである」の部分において、憲法第九条の下でも例外的に自衛のための武力の行使が許される場合があるという基本的な論理を示した上で、これに当てはまる場合は我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られるという当時の認識の下で、結論として、③「そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであつて、したがつて、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない」と「わが国に対する」と明示して、①及び②の基本的な論理に当てはまる例外的な場合としては、我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られるとしたものである。このような論理の組立てからすると、「外国の武力攻撃」については、我が国に対する武力攻撃に限定されているものではないと解される。