(2023.4.14)

 

 

⇒つぎのように報じられていました。

○旧優生保護法訴訟1審判決と逆に 国に賠償命じる判決 大阪高裁(2023年3月23日)NHK(抜粋要約)

 旧優生保護法のもとで不妊手術を強制されたとして、兵庫県の5人が国に賠償を求めた裁判で、2審の大阪高等裁判所は、訴えを退けた1審判決とは逆に、国に賠償を命じました。一連の裁判で国の賠償責任を認めた判決は、7件目です。

 いずれも聴覚障害のある2組の夫婦と、先天性の脳性まひが原因で体に障害のある女性1人の合わせて5人は、昭和30年代から40年代にかけて旧優生保護法に基づく不妊手術を強制され、子どもを産み育てる権利を奪われたなどとして、国に賠償を求める訴えを起こしました。

 おととし、1審の神戸地方裁判所は、旧優生保護法を憲法違反としつつも、不妊手術から20年を過ぎての提訴に「賠償請求できる権利は消滅している」として訴えを退け、原告が控訴していました。

 23日の2審の判決で、大阪高等裁判所の裁判長は、旧優生保護法について「特定の障害や疾患のある人を『不良』とみなし、生殖機能を回復不可能にする手術によって子どもを産み育てる意思決定の機会を奪うもので、極めて非人道的だ」として、明らかに憲法違反だと指摘しました。

 そのうえで、国が差別や偏見を助長したなどとして「賠償を求める権利が消滅する『除斥期間』の適用は制限すべきだ」とする判断を示して、1審とは逆に夫婦2組と女性1人に、それぞれ1650万円、合わせて4950万円を支払うよう国に命じました。

 原告弁護団の団長を務める弁護士は「被害は手術を受けた人だけではない。国は障害を持った人が負い目を持って生きる社会をつくってきた。優生保護の問題は終わっていない」と訴えていました。

 去年2月、大阪高裁が、旧優生保護法を憲法に違反すると判断した上で、国に賠償を命じる初めての判決を言い渡しました。

 判決では、「国が障害者に対する差別・偏見を正当化し、助長してきたとみられる」と指摘し、原告たちが長年、裁判を起こすのが困難な環境に置かれていたとして「除斥期間の適用をそのまま認めることは著しく正義・公平の理念に反する」と判断しました。

 これ以降、国に賠償を命じる司法判断が、今月16日の札幌高裁など全国で相次ぎ今回で7件目となり、2審の高裁段階ではすべて訴えを認めています。

 いずれの判決も国の救済策の手術を受けた人に対して支給される一時金320万円を大きく上回る額の賠償を命じていて、救済制度の見直しを求める声が高まることも予想されます。

 

 

⇒「優生保護法」について、つぎの国会議事録があります。

○第198回国会 衆議院 文部科学委員会(令和元年5月31日)より抜粋要約

▽委員

 5月28日に憲法違反だと仙台地裁に認定をされた旧優生保護法、これは議員立法として成立をしているんです。全会一致で成立している、誰も異論を唱えなかった。

 時代の空気というのは恐ろしいなと思うのは、この議員立法を主導したお二人が「優生保護法解説」というコンメンタールを書いていらっしゃって、この中で、「従来唱えられた産児制限は、優秀者の家庭に於ては容易に理解実行せらるるも、子孫の教養等については凡そ無関心な劣悪者即ち低脳者低格者のそれに於てはこれを用いることをしないから、その結果は、前者の子孫が逓減するに反して、後者のそれは益々増加の一途を辿り、恰も放置された田畑に於ける作物雑草との関係の如くなり、国民全体として観るときは、素質の低下即ち民族の逆淘汰を来すこと火を睹るより明らかである。」、国民を優秀者と劣悪者に分けるという恐るべき差別と偏見の思想がこのコンメンタールの中にいっぱい書いてあるんですよ。

 

 

⇒「優生保護法」について、つぎの判例(抜粋要約)があります。

○大阪高等裁判所(令和4年2月22日)損害賠償請求控訴事件

▽当裁判所の判断

 旧優生保護法4条ないし13条の立法目的は、専ら優生上の見地から不良の子孫の出生を防止するというもの(同法1条)であるが、これは特定の障害ないし疾患を有する者を一律に「不良」であると断定するものであり、それ自体非人道的かつ差別的であって、個人の尊重という日本国憲法の基本理念に照らし是認できないものといわざるを得ない。本件各規定は、このように立法目的の合理性を欠いている上、手段の合理性をも欠いており、特定の障害等を有する者に対して優生手術を受けることを強制するもので、子を産み育てるか否かについて意思決定をする自由及び意思に反して身体への侵襲を受けない自由を明らかに侵害するとともに、特定の障害等を有する者に対して合理的な根拠のない差別的取扱いをするものであるから、公共の福祉による制約として正当化できるものではなく、明らかに憲法13条、14条1項に反して違憲である。

 

 

○大阪地方裁判所(令和4年9月22日)損害賠償請求事件(抜粋要約)

▽当裁判所の判断

<認定事実>

 旧優生保護法は、昭和23年7月13日、成立した。

 旧優生保護法は、戦後の食糧不足の状況の中、国会に提出されて審議された法案で、立案者の一人が、提案の理由について、「対策として考えらるることは産児制限問題であります。併しこれは余程注意せんと、子供の将来を考えるような比較的優秀な階級の人々が普通産児制限を行い、無自覚者や低脳者などはこれを行わんために、国民素質の低下すなわち民族の逆淘汰が現れてくるおそれがあります。」、「先天性の遺伝病者の出生を抑制することが、国民の急速なる増加を防ぐ上からも、また民族の逆淘汰を防止する点からいっても、極めて必要であると思いますので、ここに優生保護法案を提出した次第であります。」などと説明していた。

 昭和45年当時の高等学校用の保健体育の教科書には、国民優生の意義について説明する部分があり、その中で、「劣悪な遺伝素質をもっている人びとに対しては、できるかぎり受胎調節をすすめ、必要な場合は、優生保護法により、受胎・出産を制限することができる。また、国民優生思想の普及により、人びとがすすんで国民優生政策に協力し、劣悪な遺伝病を防ぐことがのぞましい。」との記載がされている。

 昭和47年当時の高等学校用の保健体育の教科書にも、国民優生の意義についての説明の中で、「劣悪な遺伝は社会生活を乱し、国民の健康の水準を低下させる。」、「劣悪な遺伝を除去し、健全な社会を築くために優生保護法があり」、「国民優生の目標は、国民の資質向上を図ることで、母体の健康および経済的保護と、不良な子孫の出生を予防するという二つの目的が含まれる。第1の目的は、家族計画により達成される。第2の目的は、国民優生本来のもので、精神分裂症、躁鬱病、先天性白内障、全色盲、血友病、遺伝性奇形などの悪質な遺伝性疾病が子孫にあらわれるのを予防するために、優生保護法により、優生手術や人工妊娠中絶を行ないうることとなった」、「すぐれた才能の人が正しい結婚によって優秀な子孫をもうけた例は少なくない。逆に、悪質の遺伝によって精神病者や犯罪者を出した例もある。」、「国民優生においては、とくに悪質な遺伝性疾患が伝えられることを防止することが重要とされている。遺伝性疾患のなかでも、精神分裂症や躁うつ病などの精神病・精神病質・精神薄弱などはその影響が大きい。遺伝性の身体疾患としては、色盲・血友病・先天性ろうあ・多指症・小頭症などがある。アルコール中毒も劣悪な子供を出生させるのでとくに注意しなければならない。」、「優生結婚の立場からは自らの家系の遺伝病患者の有無を確かめるとともに、相手の家系についてもこのことをよく確かめることが先決問題である。」などの記載がされている。

 知的障害者の支援団体の当時の機関紙「手をつなぐ」においても、昭和31年から昭和46年にかけて、複数回にわたり、知的障害者の出産を認めず、知的障害者同士の結婚について不妊手術を条件とする学識者による記事や「不幸な子どもを産まない運動」を肯定的に取り上げた当時の厚生省の技官による記事等が掲載されていた。

 婦人生活社が昭和47年2月に発行した大衆雑誌「婦人生活」に掲載された国立遺伝研究所人類遺伝部長による「結婚生活と遺伝」と題する記事中には、「一人の異常児はその子や家族の不幸だけでなく、社会全体の負担になることも考えれば、私たちは良識をもって、少しでもこの不幸を少なくする義務があります」、「悪性遺伝を防ぐためには、配偶者を選ぶ段階で充分に注意してほしいのです」等の記述がある。

 優生保護法の一部を改正する法律は、平成8年6月18日に成立した。

 上記改正法の法案審議に際しては、立案者の一人が「本案は、現行の優生保護法の目的その他の規定のうち不良な子孫の出生を防止するという優生思想に基づく部分が障害者に対する差別となっていること等にかんがみ、所要の規定を整備しようとするもの」などと説明した。

<争点>

(旧優生保護法4条ないし13条の違憲性について)

 子を産み育てるか否かは、個人の生き方や身体の健康、家族としての在り方のみならず、生命の根源にも関わる個人の尊厳に直結する事項である。したがって、子を産み育てるか否かについて意思決定をする自由は、個人の人格的な生存に不可欠なものとして、私生活上の自由の中でも特に保障される権利の一つというべきであり、幸福追求権ないし人格権の一内容を構成する権利として憲法13条に基づいて保障されるというべきである。

 また、人がその意思に反して身体への侵襲を受けない自由もまた個人の人格的生存に不可欠な利益であることは明らかであり、人格権の一内容を構成する権利として憲法13条によって保障されているというべきである。

(立法不作為の違法性について)

 日本国憲法は、個人の尊重を基本理念として、特定の障害ないし疾患を有する者も人は平等に取り扱われることを明らかにしているものであり、被告は、その趣旨を踏まえた施策を推進していくべき地位にあったにもかかわらず、前記認定事実のとおり、非人道的な優生手術を制度化して、優生思想に基づく優生政策を積極的に推進し、これによって、高等学校で用いられる教科書や大衆雑誌にも優生思想や優生政策を推奨する記事が掲載されるなど、広く優生思想及び優生政策の正当性を国民に認識させる状況を作出したことが認められる。

 そうすると、国家によるこのような立法及びこれに基づく施策が、広く国民に対し、旧優生保護法の規定の法的効果をも超えた社会的・心理的影響を与え、同法の優生手術の対象となった障害ないし疾患につき、かねてからあった差別・偏見を正当化・固定化した上、これを相当に助長してきたものとみるのが相当である。

 

 

○静岡地方裁判所(令和5年2月24日)旧優生保護法被害損害賠償請求事件(抜粋要約)

▽当裁判所の判断

<認定事実>

(優生保護法4条に基づく優生手術の実施が推進されていたこと)

 厚生事務次官は、昭和28年6月12日付け厚生省発衛第150号において、優生保護法4条に基づく優生手術について、「本人の意見に反してもこれを行うことができる」、「許される強制の方法は、手術に当って必要な最小限度のものでなければならないので、なるべく有形力の行使はつつしまなければならないが、それぞれの具体的な場合に応じては、真にやむを得ない限度において身体の拘束麻酔薬施用又は欺罔(欺くこと、騙すこと)等の手段を用いることも許される場合があると解しても差し支えない」という内容を含む通知を発出した。

 厚生省は、昭和32年4月、各都道府県に対し、優生保護法に基づく優生手術の実施件数を増やすように求める通知を発出した。

(優生保護法の改正及びその後の動向について)

 優生保護法について、平成8年6月18日、同法の一部を改正する法律が成立し、優生保護法1条などの「不良な子孫の出生を防止する」といういわゆる優生思想に基づく部分が障害者に対する差別となっていること等に鑑み、法律の題名につき「優生保護法」を「母体保護法」、法律中の「優生手術」を「不妊手術」に改め、遺伝性疾患等の防止の優生手術及び精神病者等に対する本人の同意によらない優生手術に関する規定を削除するなどの改正がされた。

 平成8年改正では、優生保護法に基づく優生手術が違憲であることについて言及はなく、優生手術による被害の実態調査や被害者に対する通知など被害救済に関する措置は行われていない。

 一時金支給法は、平成31年4月24日、議員立法により成立し、同日、公布、施行された。

 一時金支給法は、昭和23年9月11日から平成8年9月25日までの間に施行された優生保護法について、前文において、同法に基づき、あるいは同法の存在を背景として、多くの人々が優生手術等を強いられ、心身に多大な苦痛を受けたことについて、真摯に反省し、心から深くおわびをして、国がこの問題に誠実に対応していく立場にあることを深く自覚し、一時金支給法を制定したことをうたい、優生保護法に基づく優生手術等を受けた者等の請求に基づき一時金の支給をすること、同請求は、施行日(平成31年4月24日)から起算して5年を経過したときはすることができないこと、国は、優生保護法に基づく優生手術等に関する調査その他の措置を講じ、また、国は、一時金支給法の趣旨及び内容について、広報活動等を通じて国民に周知を図り、その理解を得るよう努めることなどを規定している。

 

 

⇒「優生保護法」について、つぎの日本弁護士連合会の決議提案理由(抜粋要約)があります。

○旧優生保護法下において実施された優生手術等に関する全面的な被害回復の措置を求める決議(2022年9月30日)日本弁護士連合会

▽提案理由

 旧優生保護法では、遺伝性疾患、ハンセン病、精神障害がある人等に対して、手術を受ける本人の同意がなくとも、審査によって強制的に優生手術等を実施することができると規定されていた。さらには、優生手術等の実施に当たり、必要があれば、身体の拘束麻酔薬の使用欺罔等の手段を用いることも許容されていた。

 旧優生保護法では、本人を麻酔で眠らせたり、病気で手術を行うのだと騙したりして、優生手術等を行うことが可能であったため、多くの被害者に対して、十分な説明がされることなく優生手術等が実施された。

 厚生労働省の把握する統計によれば、優生手術の被害者は約2万5000人、人工妊娠中絶の被害者は約5万9000人であり、合計約8万4000人の被害者がいるとされている。

 旧優生保護法は、制定から改正までの48年の間に、多数の被害者を生んだだけでなく、優生政策の推進により、教科書等に「劣悪な遺伝を除去し、健全な社会を築くために優生保護法がある」等の旧優生保護法を肯定する内容の記載がなされ、学校教育の現場にも優生思想を広めた。

 旧優生保護法によってもたらされた優生思想に基づく差別・偏見は、同法が改正された後も、社会に深く根を張っている

 今もなお、障害のある人等に対して、障害を理由として結婚を認めない、周囲からの圧力により出産を妨げる、人工妊娠中絶の勧奨ないし強要(医師からの勧奨を含む。)を行うなどの事例が報告されている。

 

 

⇒ここから、「産児制限」と少子化について。

〇国立社会保障・人口問題研究所HPより抜粋要約

1.過剰人口問題から静止人口論へ

 戦後まもないわが国では、第1次ベビーブームにともない出生数が急増した。これは人口収容能力を超える過剰人口問題として認識され、産児制限と海外移住の両面から政策的対応が行われた。産児制限についてその後の経過を記すと、1948年には優生保護法が成立・施行され、翌1949年には「経済的理由」による中絶を容認する規定が追加された。これを受けて避妊方法の普及を含む受胎調整運動が強力に推進されると、1950年代には合計特殊出生率(1人の女性が生涯に平均して産む子ども数の推計値)が4人台から2人台へと急落した。

2.出生力の低下と少子化対策論

 出生力低下によって21世紀において人口減少社会が到来することが予測されると、人口問題は産業および社会保障制度の持続可能性との関連で論じられるとともに、出生力の回復を促す方向での本格的な政策的対応が要請されるようになった。

 1997年に人口問題審議会は、原理的な問題「少子化・人口減少は悪いことか?/少子化・人口減少に対して公的な施策を講じるべきか?/少子化・人口減少対策に本当に効果はあるのか?」に立ち返って、少子化の要因とその背景、少子化がもたらす人口減少社会への対応のあり方等についての様々な論点や考え方を整理し、国民の選択を促した。

 それによれば、未婚率の上昇(晩婚化の進行と生涯未婚率の上昇)が少子化の主たる要因であり、少子化は経済・社会面に概ねマイナスの影響をもたらすとした上で、少子化の影響のみならず少子化の要因にも政策的対応を行うべきであるとした。

 

⇒1997年、上記の人口問題審議会によると、少子化の主たる要因を、未婚率の上昇としています。

⇒なお、人口動態の変化の一般論としては、つぎの「人口転換理論」があります。

〇H14国土交通白書(抜粋要約)

 人口動態の変化は、経済社会の発展に伴い、多産多死から多産少死を経て、やがて少産少死に至る過程を示す。このような3段階からなる人口変動のパターンは、人口転換理論と呼ばれている。

 

〇平成16年版少子化社会白書(抜粋要約)

▽人口転換理論(コラム)

 18世紀以降の欧米諸国では、経済発展により死亡率が低下し、19世紀後半からは出生率も低下し始め、1930年代には出生率、死亡率ともに低い社会が実現した。このようなプロセスを説明する理論として「人口転換理論」が登場した。現在では、様々な研究や議論があるが、伝統的に説明されている理論を簡単にまとめると、人口増加のペースは、経済社会の発展に伴い、「多産多死」(高出生・高死亡)から「多産少死」(高出生・低死亡)を経て、やがて「少産少死」(低出生・低死亡)に至るというものである。その背景をまとめると次のようになる。

 まず、工業化が始まる前の伝統的農業社会では、飢饉、疫病、戦争等のために死亡率が高い状態にある。その一方で、農業が主体である社会であるために、労働力確保の観点から高い出生率が維持されている。このほかに、宗教や社会制度などによって高出生率が維持されることもある。その結果、近代化前の社会では死亡率と出生率が高く(多産多死)、大きな変動を保ちつつ、平均的には人口増加率は低い状態にある。

 次に、工業化・都市化が進むと、人口増加の状況は変化する。所得水準の上昇、医学や公衆衛生の発達により、乳児死亡率などが低下することで、社会全体の死亡率が低下する。しかし、出生率は依然として高水準にある。その結果、高い出生率と低い死亡率の社会(多産少死)が実現し、人口は増加する。

 その後、出生率も死亡率に追いつくように低下し、出生率、死亡率ともに低い社会(少産少死)が実現する。その背景として、出生数を減らしても家族・社会の存続が可能となること、子供の養育コストの増大、結婚・出産に対する価値観の変化、避妊など出生抑制技術の普及などを考えることができる。

「少産少死」の段階になると人口動態は安定するものと考えられていたが、最初に「少産少死」に達した欧米諸国では、人口置き換え水準よりも低くなるという一層の出生率低下がみられる。これは、「第二の人口転換」という言葉で呼ばれ、近年注目されている。この現象は、効果的な避妊法の普及、晩婚・晩産化の進展などがもたらしたものであるが、その背景には、結婚や家庭に対する個人や夫婦の価値観の変化があるとされている。わが国も、こうした「第二の人口転換」に至っている状況にある。

 

 

⇒2007年、「少子化」の原因などについて、つぎの質問主意書、答弁書(抜粋要約)があります。

〇少子化問題に関する質問主意書(平成19年2月5日)衆議院議員

四 安倍総理は「少子化」はなぜ、問題だと考えるのか。

五 安倍総理は「少子化」の原因はどこにあると考えるのか。

七 「少子化」が解決するというのはどういうことか、明らかにされたい。

 

▽上記質問に対する答弁書(平成19年2月13日)

 内閣総理大臣 安倍晋三

四について

 我が国における少子化の急速な進行は、我が国の人口構造にひずみを生じさせ、社会や経済、地域の持続可能性を基盤から揺るがす事態をもたらし、経済成長の鈍化、税や社会保障における負担の増大、地域社会における活力の低下等、21世紀の国民生活に深刻かつ多大な影響をもたらしかねない大きな問題であると考えている。

五について

 少子化の主な原因は、未婚化や晩婚化の進行夫婦が持つ子どもの数の減少であると考えている。この背景には、核家族化や都市化による家庭の養育力の低下、育児の孤立、育児の負担感が大きいこと、家庭生活との両立が困難な職場の在り方、結婚や家族に関する意識の変化、若年失業の増大など若者の社会的自立を難しくしている社会経済状況等があると考えている。

七について

 お尋ねの「「少子化」が解決する」とは、少子化社会対策基本法の前文に定められているとおり、家庭や子育てに夢を持ち、かつ、次代の社会を担う子どもを安心して生み、育てることができる環境を整備し、子どもがひとしく心身ともに健やかに育ち、子どもを生み、育てる者が真に誇りと喜びを感じることのできる社会を実現し、少子化の進展に歯止めをかけることであると考えている。

 

 

⇒2023年、「少子化」の背景などについて、つぎの質問主意書、答弁書(抜粋要約)があります。

○少子化と社会保障に関する質問主意書(令和5年3月29日)衆議院議員

 日本では、少子化が急激に進んでいる。厚生労働省が発表した2022年の日本の出生数(速報値)は79万9728人と7年連続で過去最少を記録し、同年の自然増減数(速報値)はマイナス78万2305人と、過去最大の減少となった。出生数の速報値には、日本で出産した外国人、外国で出産した日本人の数を含むため、日本で生まれた日本人だけに限れば、もっと少なく、少子化の深刻さは明らかである。

 国立社会保障・人口問題研究所の2017年の発表によると、速報値による出生数が80万人を下回るのは2033年であり、予想より10年早い。政府は、その原因をどう分析しているのか。

 

▽上記質問に対する答弁書(令和5年4月7日)

 内閣総理大臣 岸田文雄

 お尋ねの「速報値による出生数が80万人を下回るのは2033年であり、予想より10年早い。政府は、その原因をどう分析しているのか」については、令和5年3月3日の参議院予算委員会において、岸田内閣総理大臣が「少子化の背景には、経済的な不安定さ、出会いの機会の減少、男女の仕事と子育ての両立の難しさ、家事、育児の負担が依然として女性に偏っている状況、子育て中の孤立感や負担感、子育てや教育に係る費用負担の重さなど、個々人のこの結婚や出産、子育てのこの希望の実現を阻む様々な要因、これが複雑に絡み合っていると分析をしています」と答弁しているとおりである。

 

 

⇒なお現在、日本における「年少人口の割合」は、「世界的にみても小さく」なっています。

○少子化社会対策白書(令和4年版)より抜粋要約

▽世界と比較して年少人口割合が小さい日本

 世界全域の年少人口割合(国連推計)は、25.4%であるが、我が国の総人口に占める年少人口の割合は、11.9%と世界的にみても小さくなっている。

 

⇒平成17年度において、日本は先進諸国の中でも「最も早く人口減少に転じ、減少の勢いも最も大きい」と報告されていました。

〇年次経済財政報告(平成17年度)内閣府(抜粋要約)

▽「人口の波」と経済構造の変化

 先進諸国においても今後、人口の減少や人口増加率の鈍化が見込まれているものの、我が国は、その中でも最も早く人口減少に転じ、減少の勢いも最も大きい

 労働力人口が減少していくということは経済成長の源泉の一つが縮小していくということを意味する。

 戦後のベビーブームは他の先進諸国にも共通の現象であるが、我が国の場合、特にアメリカと比較して、ベビーブームに該当する期間が比較的短く、ベビーブーム後の人口が相対的に急激に減少したこと(いわばブームの「尖り度」が強いこと)に特徴がある。このため、諸外国に比べ、少子化の進行とあいまって、我が国の生産年齢人口シェアの低下および65歳以上人口のシェア上昇は相対的に早期にかつ急激に生じる。従って、労働力人口についても、我が国では高年齢層の労働力率が他の先進諸国と比べて高い水準にあるものの、団塊世代の高齢化という人口要因の大きさによって、比較的早く、大きな規模で減少していくことが予想される。

 

⇒ではなぜ日本は、「ベビーブームに該当する期間が比較的短く」なったのでしょうか?

 

 

⇒ここから、1つの見方について。

⇒まず、つぎのように報じられていました。

〇日本の少子化は「人災」だった(上)戦後ベビーブーム突如終焉(2016.2.20)産経新聞(抜粋要約)

 それにしても日本の出生数の減少ペースは速い。戦後のピークである昭和24(1949)年の約270万人と比較すると、70年弱で約3分の1に減った。しかも、その推移を追いかけると、気になる変化が見つかる。24年の翌年は出生数が一挙に36万人も減り、第1次ベビーブームが突如終わっているのだ。

 明らかに不自然である。当時の資料を調べてみたところ、意外な事実が明らかになってきた。

 戦後、占領政策を実施した連合国軍総司令部(GHQ)が、堕胎や避妊による「産児制限」を仕向けていたのだ。日本の少子化は、GHQによって引き起こされた“人災”だったともいえる。

 焼け野原からの再出発となった日本は、復員や旧植民地からの引き揚げ者が相次ぎ深刻な食糧難に直面した。一方でベビーブームが起こり、増え続ける人口への懸念が広まっていた。

 GHQは当初、無関心を装っていたが、21年5月に「食糧メーデー」が起こると態度を一変させた。労働運動の広がりによる共産化への警戒だった。

 発展途上国の人口急増が共産主義に結びつくという見方は戦前から強かったが、「人口が急増している日本も例外ではない」と認識したのである。

 懸念はもう一つあった。米国は国土面積が狭い割に多くの人口を抱える日本を戦前から注視していた。

 GHQの報告書を翻訳した『GHQ日本占領史第4巻 人口』(日本図書センター)には、日本の開戦理由を「人口を養うに必要な資源獲得のための軍事力による領土拡張を擁護し、同時に、増加する人口を養うための彼らの帝国主義的政策を宣伝した」とする分析結果が残されている。

 GHQの人口問題の専門家らは、戦後も「日本の人口増加に歯止めがかからなければ、将来、膨張主義が復活する」と警告した。

 だが、人口の多寡が「国力」を意味した戦前・戦中において、人為的に人口を減らす産児制限は“禁断の政策”であった。各国政府はこれを認めず、米国でもキリスト教団体を中心に反対論が強かった。

 占領国が人口抑制を強要した場合、国際社会から強い非難を受けることは必然だった。そこで、GHQは日本人自身の手で産児制限を普及させることにしたのである。

 目に留まったのは、戦前、産児制限の普及運動に取り組んでいた加藤シヅエ氏たちだった。

 産児制限を合法化し日本に定着させる推進役となることを期待し、女性の立候補が認められた昭和21(1946)年の戦後初の総選挙で、加藤氏らを後押ししたのである。

 GHQがこだわったのが、産児制限を認める法案を議員提出とすることだった。「日本人自身の意思で法制化した」とする必要に迫られていたのである。

 当然のことながら、占領下とはいえ日本政府は産児制限の受け入れを拒絶した。芦田均厚相は、20年12月15日の貴族院本会議で「一度出生率が減少傾向になった場合には、人口増加の傾向に回復することは困難である。人口が過剰であるからといって、すぐに政府が公然と産児制限を認めることは、慎重に考慮を要することだ」と答弁している。

 人口の多寡が「国力」を意味した戦前・戦中において、産児制限は「民族の自殺」であり、将来的な国家の滅亡につながると考えられていた。

 衆院議員に当選した加藤氏や医師出身議員らは精力的に動いた。GHQ公衆衛生福祉局のクロフォード・サムス局長が記者会見で産児制限を強く促したこともあり、23年6月、日本政府の慎重姿勢をよそに人工妊娠中絶を認める優生保護法が成立した。

 だが、この法律は中絶の門戸を広く開くものではなかった。「貧困」を理由とすることを認めなかったからだ。加藤氏らは「産児制限は文明人の有する当然の自由で、国民の基本的人権だ」と法改正を訴えた。

 一方、米国の人口学者らは「日本が産児制限政策にためらい、帝国主義への回帰を忘れられず、人口増加を目指している」との報告書をまとめた。

 闇堕胎による女性の健康被害が社会問題化したこともあり、ついに吉田茂内閣はそれまでの政府方針を転換した。24年4月、産児制限拡大を検討するため人口問題審議会の設置を閣議決定した。これを受け、同年6月には優生保護法に改正が加えられ、日本は「経済的理由」で中絶が認められる国となった。結果として、第1次ベビーブームは突如終焉したのである。

 主権回復から間もない27年5月に同法は再び改正され、「経済的理由」に該当するかどうかの判断は医師に委ねられた。それは、現在に至る長い少子化の歴史の始まりでもあった。

 

 

⇒また、つぎのとおり「人工妊娠中絶を極めて世界的なレベルで、結果的にその違法性を阻却した世界で最初の国の一つに日本がなって、そして、これは非常にドラマチックに日本の人口の下降現象が起き上がった」などとの国会議事録があります。

○第159回国会 衆議院 憲法調査会(平成16年4月15日)より抜粋要約

▽参考人

 アメリカがした実験の一つは、日本に優生保護法をつくったということです。

 これはもちろん、戦前に国民優生法というのがありまして、これをなくしまして、戦後に優生保護法というのをつくるわけですが、この優生保護法というのは、私たち日本人は、これの持っている国際的な意味合いを余り感じないままに法律として受け入れてきたわけですね。つまり、簡単に言いますと、刑法にあります堕胎罪の違法性を阻却して、優生保護法の適用によって人工妊娠中絶を可能にしたわけです。

 これは、アメリカ占領治下に可能になった法律でありますので、アメリカの戦後の統治の文献などを読みますと、日本にやらせてはいけないことの一つとして、人口の増加ということがあります。人口を極力抑えるということも踏まえて、そして、この優生保護法がマッカーサーの監督下にできることになるわけですが、これについては、アメリカ側から、大変な反発が起きるんですね。

 特にバージニア州のカトリックの方々からマッカーサーに対していろいろな手紙が来ます。このような優生保護法を日本でつくったら、あなたは日本人をジェノサイドしたゼネラルと呼ばれるだろう。ジェノサイドゼネラルと呼ばれることになると。日本人の人口を集団的に、大きいスケールでいわば滅ぼしていく人工妊娠中絶をやめるようにという投書がアメリカから来るんですね。

 日本側は、論議がないんですね。これはいろいろなことがございまして、戦時下の状態の中でどうしても、生活困窮、要するに、背に腹はかえられないということで、苦しい中でいろいろな決断をしなくちゃいけないということが先に立ちましたが、アメリカ側から見ると、これはジェノサイドゼネラルということで、アキューズされるんですね。

 日本では御存じのように、太田典礼とかあるいは加藤シヅエとかそういう方々が、当時の衆議院議員の方々ですが、国会に出して、そしてこの法律を通した。

 そういう形で、いわば人工妊娠中絶を極めて世界的なレベルで、結果的にその違法性を阻却した世界で最初の国の一つに日本がなって、そして、これは非常にドラマチックに日本の人口の下降現象が起き上がったわけでございます。

 マッカーサー司令部のジョンズ・ホプキンス大学のトンプソンという、これは元来人口制御論者なんですけれども、日本の人口をふやさないという論者ですが、この人がつくったドキュメントがあって、それを全部マッカーサーが回収して、我が占領軍は関係ないという形で、日本人がつくったという形になっていますが、そのことにつきましても私は論文に書いております。

 

 

⇒また、つぎのとおり「優生保護法が成立したり、あるいは様々な政府としてのキャンペーンのような、出生率を少し引き下げるような方向でのキャンペーンのようなものがあったことも事実」、「この間、ベビーブームとその直後では出生率が4割ぐらい低下している」などとの国会議事録があります。

○第161回国会 参議院 少子高齢社会に関する調査会(平成16年11月10日)より抜粋要約

▽参考人

 これまでの日本経済は、常にプラスの、しかもかなり大幅な、いわゆる右肩上がりの成長を続けてきたわけでありますが、今後数年の間に全く逆方向の右肩下がりの縮小に向かわざるを得ないというふうに考えております。

 その理由は、労働力の急激な縮小でございます。それではなぜそれほど労働力が急激に減少するのかということでございます。

 日本の人口構造、極めて特有な人口構造を持っておりまして、いわゆる二つの山、第一次ベビーブームと第二次ベビーブームがあるわけでございますが、そうした人口構造は各国には見られないわけであります。これには、1950年代の初頭にかなり大規模な産児制限が行われた、その結果としてこの真ん中に谷ができた、そのために2つの山ができたというのが実態でございますけれども、今後の労働力の減少がこの図からお分かりいただけると思います。すなわち、右側の山、これ第一次ベビーブームでありますが、これは現在労働力を構成しております。しかし、この第一次ベビーブームの山は今後5年から10年の間には急速にリタイアしていって労働力から抜けていく。それに取って代わるのがこの産児制限の行われた比較的人口が希薄な年齢階層、つまり谷が山に取って代わることが労働力の急減の理由でありまして、そうした大幅な労働力の急減のために技術の進歩をもってしてもカバーし切れず、日本経済は縮小してしまうということでございます。

▽参考人

 私は、この子供の出生というのは基本的に個人の自由意思の問題でありまして、ですから、例えば子供を持ちたいという女性、子供を持ちたいという夫婦が何らかのその社会的な制約、それはもちろん所得なんかもありましょうし様々な制度もありましょうし、そういったことで子供を持てないということであればこれは非常に問題でありまして、それは社会政策として対応していくべきだったと考えておるわけですね。

 しかしながら、例えば、経済において労働力が不足するからとか、あるいは国力に影響するとか、そういったことでその出生率を上げるべきだという考えにはどうも私としてはくみしたくない。つまりは、そうした子供を産むための様々な社会的制約を取り払った後で、そして人々の自由意思によって一定の出生率が決まってきたときには、私はそれはそれとして受容した上で、それに合った経済システムなり社会財政制度なりといったものを作っていく方が、政策としては本筋ではないかなというふうに考えております。

▽議員

 参考人の方から産児制限が日本であったというお話がございましたけれども、それは優生保護法の中で、あれですかね、経済的事由、中絶が認められたことを指していらっしゃるのかなと思うんですが、あれは、産児制限とあえてそういう言葉を使われたことをちょっとお伺いしたいと思います。

▽参考人

 先ほどの日本の人口構造、特有の人口構造の理由として産児制限があったということを申し上げましたが、それについての御質問であろうと思いますけれども、これは出生率ですね、それからその例えば優生保護法との因果関係を科学的に立証した研究は私の知る限りでは特にございませんけれども、ただ、当時の様々な資料からしますと、このような高い出生率では、現在の食料事情であるとかそうしたことから見て、日本の社会として極めて問題であるというような指摘がなされて、その結果、優生保護法が成立したり、あるいは様々な政府としてのキャンペーンのような、出生率を少し引き下げるような方向でのキャンペーンのようなものがあったことも事実ですし。

 ですから、この間、ベビーブームとその直後では出生率が4割ぐらい低下しているわけでありますが、それが単純に国民の自由な意思の自然の結果であったとは言い難い。やはりそこにある程度政策的な要素が入っていたということは私は否定し難いんではないかというふうに考えておりますが。

 

⇒現在、日本における「年少人口の割合」は、「世界的にみても小さく」なっていますが、「国民の自由な意思の自然の結果」とは言えないのかもしれません。

 

 

⇒なお、人口対策として、出産や子育てを「強制」したりそれを「強く奨励」するような政策をとることは許されない、と提言されています。

〇子育て支援政策に関する提言(平成14年11月20日)子育て支援政策研究会(抜粋要約)

 子どもをつくるかつくらないかといったことは、すぐれて個人の選択に委ねられるべきことであって、個人の選択をなによりも重視する民主主義、市場経済体制では国家や社会の介入すべきでない領域である。人口対策として、出産や子育てを強制したりそれを強く奨励するような政策をとることは許されない。あくまで子育て支援は、子どもを産み育てることのリスクを軽減し、あるいは個人の意に反して子供を持てないような社会的な条件を取り除いて、人々の自由な選択を可能にしようという政策でなければならない。

 

⇒また「結婚、妊娠・出産、子育ては個人の自由な意思決定に基づくもの」であり、「プレッシャーを与えたりすることがあってはならない」とされています。

○少子化社会対策大綱(令和2年5月29日)閣議決定(抜粋要約)

 男女が互いの生き方を尊重しつつ、主体的な選択により、希望する時期に結婚でき、かつ、希望するタイミングで希望する数の子供を持てる社会をつくることを、少子化対策における基本的な目標とする。

 もとより、結婚、妊娠・出産、子育ては個人の自由な意思決定に基づくものであり、個々人の決定に特定の価値観を押し付けたり、プレッシャーを与えたりすることがあってはならないことに十分留意する。

 

 

 最後に。

 上記においてつぎの内容を掲載しました。

「国家によるこのような立法及びこれに基づく施策が、広く国民に対し、旧優生保護法の規定の法的効果をも超えた社会的・心理的影響を与え、同法の優生手術の対象となった障害ないし疾患につき、かねてからあった差別・偏見を正当化・固定化した上、これを相当に助長してきたものとみるのが相当である。」

優生政策の推進により、教科書等に「劣悪な遺伝を除去し、健全な社会を築くために優生保護法がある」等の旧優生保護法を肯定する内容の記載がなされ、学校教育の現場にも優生思想を広めた。」

 

 現在でもなお、優生思想に基づく差別・偏見は社会に根強く存在しており、「国家による立法、施策」の影響は、無意識の影響も含め、「障害者が子どもを作っても育てられない」、「生まれた子どもが不幸になる」などの声の、その「数」として顕れているのかもしれません。

 戦前は「産めよ増やせよ」と人口増加策が採られていました。

 1974年には、人口問題審議会は「人口白書」で、「出生抑制にいっそうの努力を注ぐべきである」と主張していました。

 また、厚生白書(昭和49年版)でも、「現在から将来へかけての日本人口を考える場合には、食糧資源、環境悪化等との関連から、地球規模的な観点に立って、人口増加の抑制について再考せざるをえなくなっている」とありました。

 歴史上「子どもを産む」ことが、社会的に推奨されたり抑制されたりしてきました。

 以前、厚生労働大臣が「一五から五〇歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」などと発言したこともありました。

個人の尊重」は憲法の基本原理です。

「コロナ騒動」により全体主義的な風潮が強まり、また「異次元の少子化対策」などの表現が飛び出すこの時勢だからこそ、「個人の尊重」の視点はより一層、大切にされる必要があるのではないかと感じています。

 

 

 以上です。