感じたこと 「見切り」 千手観音様 岩屋寺・知多西国43番札所in愛知県

岩屋寺 - Google マップ

千手観音様

様 よく来たな よく参ってくれた

そして 私を「見切った」な



私 私が感じさせていただいたことは

千手観音様の「手(技)」が出る前を 


感じさせていただきました

千手観音様の 御用のあり方

千手観音様の 御用の状況に応じ

さまざまな 「手」をお遣いになった様子

しかし 本来は その「手」を遣うより

一緒に 同業二人のように

一緒に 感じ 繋がりたいとの「気」でしょうか


様 そうである

本来であれば 


私は このような「手」を遣うより

一緒に 繋がり

一緒に 交流したい「気」がある


私の 姿を見るのか  


私と繋がるのか

私の 「手」を見るのか 


私と繋がるのか

私の 「手」を学ぶのか 


私と繋がるのか 


私の 望むものを 感じたからこそ

私を「見切った」なと 伝えた


本来であれば このように 

一緒に感じ 繋がりがあるからこそ


さあ これから 何をしようか

さあ これから 一緒に 


何をしようか となる


これから 一緒に進むための

始めるための 「見切り」であったな


しかし 本来であれば 


このような「見切り」自体もなく

自然に繋がり 流れることでもあるな

だからこそ 手を合わせる

心を 合わせる

「同業二人」でもあるな


合唱


***

感じたこと 「身代」について 身代弘法大師様 岩屋寺・知多西国43番札所in愛知県

弘法大師立像 - Google マップ


様 よく来たな

こうして そなたと話すこと 久しぶりである

そなたにしては この久しぶりの感覚も少ないであろがなぁ

さて 今回は 「身代」について話をしよう

まずは そなたは どう感じる


私 はい 「身代」を大師様にしていただく

ある意味 「同業二人」の感覚です

「身代」を大師様に 身代りになっていただくと

同時に 私達は 大師様の「身代」として 御用をする感覚でもあります


様 そうである

まさしく そうである


「身代」とは 一方通行ではない

双方向でもある

もし 一方通行であったとしたら

回りまわって また 自分が「身代」になってしまうこともある


ある意味 現世に来るということ事体が 「身代」を遣う

「身代」でもある


いいか 「身代」とは 身体の中に霊(気)を入れることでもある

逆にいえば 霊(気)を抜き 私に預けることでもある

それは 私(弘法大使様)になる

つまり 私になることでもある


霊(気)が一緒になる

それは 現世の身体に入ることでもある

つまり 私がそなた達に入ることであも


まさに「同業二人」でもある

「身代」になる 一方通行か

「身代」とは 同業二人の感覚と流れがあるのか

気の位置しだいでもあるな

合唱

 

 

 

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