感じたこと 焦点と水について

場所 大垣八幡神社 岐阜県




様 よく来たな 待っておったぞ

私は 「焦点と水」について 話をしよう


多くの者は 私に手を合わせた時

以外に焦点を 合わせているようで 

まだらに なっていることが多い

それは ある意味 


水を散布しているようなものでもある


社殿前で 水を散布することは

ある意味 


気(我)を散布するようなものであもある


これは ある意味 


我を抜くようでもあるが

これは ある意味 


とても大切なことでもある


散布することで 「水鏡」となり

水鏡に 自分が写ることで

写った自分(我)に 気づく


この気に 気づいたことに対して 

神仏の御加護があったように 


感じることもある

時として 


私達から伝えることはあるが

多くの場合は 自分に気づくことでもある

大切なことは ここからである


散布した水(気)

散布された水(気)を 


どうするかでもある

ジョウゴのように その後 一つにまとめ

一つにまとめることができるか 否か

この散布された水(気)を 


まとめることによって

「私達(様)」と 焦点が合いやすくなり

そして 結果として 


私達と一緒になりやすくなる

そして ここから 繋がりのスタートでもある


しかし 多くのケースは 


散布された水で

写された 自分をみて

自分の写されたものに   


気(我)がつき 


帰ってしまうケースが多い


本当は 


散布された水を 一点として集める

つまり 神仏と自分のズレを 

水によって 


少しでも ズレを埋めながら

ジョウゴのように 一点になる


そうした時 


一点になった時こそ

私達との垣根が 


ゆるく 薄くなってきて

結果として 


そこからスタートし

ふわっと 感じられる


そして その後 


また水を散布するがごとく

つまり 日常生活

つまり ここで繋がった 感覚を大切にして

日常生活に戻った時 


それを散布する

つまり 還元する形として 

「世の中 社会 そして 家庭」に


還元できるようにもなってくる

この繰り返しでもあるがな


ありがたいことは 水を撒く 散布する


そして ある意味 残念なことは

撒布しっぱなしに しないように

その後 焦点を合わせるように

一体化する 一点となる


そして また あらためて 


散布できるように

このような 「循環と繰り返しの感覚」を

ある意味 


身に着けることによって

これから 何かの 


「お役」「還元」になればいいがのう

 

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