こんばんは。
月曜の朝。
空気はまだ静かで、街のリズムが動き出す前の
ほんの束の間。
今朝は、十寄神社を目的地にジョグへ出発。
小さな神社ですが、以前から気になっていた場所でした。
静かで、人の気配もなく、鳥居の向こうにたたずむ社殿は
まるで時間の流れから切り離されたような静けさをたたえていました。
礼を欠いた自覚
十寄神社に着いてから、ふと思い出したのが、以前図書館で借りた一冊の本でした。
「新田神社を訪れる前に、まず十寄神社に参拝すべし」
そんなふうに書かれていたことを、記憶の底から掘り起こしたのです。
そう――実は私は、その順序を逆にしてしまっていました。
すでに、新田義興公を祀る新田神社を先にお参りしていたのです。
十寄神社は、その忠義に殉じた家臣たちの魂を祀る場所。
つまり、家臣への礼を欠いたまま、主君のもとを訪ねてしまったということ。
知らなかったとはいえ、胸に少しざらついたものが残りました。
まるで、無知ゆえに道を誤る、百姓の倅のような気持ちで頭を下げました。
「どうかお許しを」と。
それにしても、こうして自分の記憶の断片から意味のあるものがよみがえると
読書ってやっぱりするもんですね。
サングラスがあってよかった日
後半は足底に少し痛みが出てきたので、ジョグからウォーキングに切り替え。
連日ゆっくりと走っていたのですが
さすがに疲労が蓄積していたのかもしれません。
歩きながら、Mrs. GREEN APPLEの歌をイヤホンで聴いていたら
その旋律と歌詞がまっすぐ胸に差し込んできて
不意に涙がこぼれました。
最近もどうにも心がざらつく日が続いてまして
正論、序列、理不尽、不正、妬み、嘲笑、我儘――
そういった過去の人々の声や顔が記憶が蘇り
真に受けてしまう不器用さ故、結果知らず知らず心が疲れてしまったのかな。
器用に受け流せれば、もっと楽だったのかもしれません。よくある話しなのでしょうが。。。
でも、誰かの無自覚な一言や、ふとした態度が、
自分の中に棘のように残ることって、ありませんか?
きっと本人はもう忘れているのでしょう。
けれど受け取った側には、ずっと残ってしまう。
声にならない傷、名前のない痛み。
…とはいえ、今日はサングラスをしていたおかげで
たぶん泣いていることは周囲にはバレなかったと思います。
サングラスって陽射しだけでなく
心の揺らぎもそっと隠してくれるんですね!
走ることで、心の重さが少しだけ減った
神社に礼を欠いたことを悔いながらも
それを悔いる自分をどこかで肯定している自分もいて。
音楽に泣かされながらも
涙を流せたことで、ほんの少しだけ心が軽くなっているのを感じました。
ジョグのつもりが半分ウォークになったけれど
今日という時間は、決して無駄ではなかったと思えています。
静かな神社、汗と涙と音楽と、走る(歩く)自分。
そして、次回はちゃんと順序を守って参ります。
十寄神社の皆さま、新田神社の皆さま
どうか今回の無礼を百姓の倅(というか孫でした)のうっかりとして、お見逃しくださいませ。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございました!
