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嫁いだ長女に会うために京都に行ってまいりました。
長女は昨年12月に結婚し、京都市で暮らしています。慣れない土地での新しい生活に苦闘する場面もあるようで、親としては心配が尽きません。

 わたしの長女についてはこちらの記事をどうぞm(__)m

わたしと長女で昼食を、夜は旦那さんを交え夕食を共にしまして、お互いの近況などを話したところです。

その夜、わたしは四条烏丸のビジネスホテルに宿泊したのですが、その敷地内に藤原俊成を祀った一隅がありました。
藤原俊成は平安時代後期の歌人であり、第七勅撰和歌集である『千載和歌集』の編纂者。藤原定家のお父さんでもあります。
街の何気ない一隅に歴史が刻まれているのが京都の魅力ですね!
わたしは、
夕されば 野辺の秋風 身にしみて 鶉鳴くなり 深草の里
(千載和歌集  秋上  二五九)
という歌が大好きで、「藤原俊成」の名を心に留めていたのですが、このような場での邂逅とは!
この歌は、伊勢物語にある「野とならば 鶉となりて 鳴きをらむ 狩にだにやは 君はこざらむ」を下敷きとしており、愛する男性に捨てられた女性が鶉に姿を変え、野で鳴いているというものです。

現代からすれば非道な話ですが、たった三十一文字の中に、もの悲しくも情緒深いストーリーを感興させるではないですか。

さて、長女ですが思った以上に元気にやっていました🙂
ご飯もよく食べるし、一緒に買い物をした際には日用品や食品類を「これはある」「この際これは欲しい」など、しっかりとした主婦でした。
一緒に買い物など滅多にない機会です。
「何でも好きなものを食べてー」「せっかくだから何でも買いなー」と促しました。
不安や不自由はあるようですが、旦那さんと共に自分自身の生活を歩んでいるようです。

親こそが「心配」という名のもとに子離れできないでいるだけなのかもしれません。
野辺の秋風を受けながら「寂しいです」「辛いです」「会いたいです」と鳴いている鶉は、娘ではなく実は親であるわたしなのではないか。
しっかりしなければならないのは自分……、結婚して旦那さんと暮らしているというのに、未だ親子の距離を測りかねているのは自分……。
そんなハッとさせられる京都の一日でした。