訃報につき | mikityのブログ

mikityのブログ

ミキフラワー商品、ワイン、雑記、お出かけスポット、などなど。






普段からボチボチしか花の仕事はしていなかった2015年

書き入れ時?ではないのだけれど、ここにきてクリスマス以外にも注文が重なる。

11月後半の14日間は年末調整業務につき、外で8時間拘束され、仕事始めるのは深夜からという生活を強いられていた。
睡眠時間も平均4時間。飲酒の時間はない
(T-T)

大変とは思っていない。
好きで会社員辞めて始めたことだから。
忙しいのが心地よく、毎日銀座に通うのも新鮮だった。

やっとそれも終わり、クリスマス制作の合間にウクレレライヴとか、イベント、食事のお誘いもあり、息抜きできていた。

今日も友人でもあるウクレレプレイヤーが横浜でライヴがあるというので、姪の誕生日食事会がてら、チビも連れて行った。

そんなライヴ途中に訃報の連絡が入る。

私を生後1ヶ月目くらいから育ててくれた乳母である。
母は公務員で、出産後すぐから東京に出張に出たり、ウーマンリブと呼ばれた頃の人だったので、乳母や祖父母、叔母など周りにいた大人がみんなで育ててくれたんだと思う(?)
母の愛情に飢えていたと勝手に思っているがw

その乳母は越後の雪深い地から佐渡に嫁に来た。後妻であったので夫とは20~30歳くらい年齢が離れていたと思う。
昔のことだからね~
(^o^;)

私は小学校に上がるまで、夕方姉が迎えに来るまでその家で過ごし、他人だから…甘やかされて育った。

3才の時、食事の時にリリーちゃんという
人形にも食べさせると急に席を立ち、熱湯のヤカンをひっくり返し、大火傷!
彼女が両親に頭を下げて謝っている光景は今でも覚えているし、私も外科で油紙と包帯を巻かれたことが嫌で、鮮明に覚えている。
火傷痕は今も足首に残っているが、大人になり皮膚も綺麗になり、今となれば、なんてことない問題であるが…。




厳しい伯母に育てられた姉は歯医者通いをしていたのかな?と思う。

私は駄菓子でも何でも好き放題に食べさせてもらって、結果小さい頃から虫歯の歯科通い。どんだけ白砂糖食べていたのか?

その乳母には実子はなく、夫亡きあとは独り暮らし。
私が帰省すれば、それはそれは大騒ぎする。私はそれが鬱陶しく感じることもあった。
晩年はホーム暮らし。腰が曲がってしまったのを見たのが最後、私のこともわからなくなっているし、10年以上会うことがなかった。
毎年、次の帰省時には行ってみようかなぁと思いながらも会うことなく逝ってしまった。
会ってないから? 哀しみより、ゆっくりしてほしいという気持ちで一杯である。

冥福を祈ります。
久々にオーストラリアの白で。

一度しかない人生、あなたは幸せでしたか?
私も後悔することなく、まだまだ未熟で日々勉強に追われていますが、終末には笑って過ごせるといいなぁと思っているよ。
育ててくれてありがとうございました。