今日の占いに

シャンプーを丁寧にするとラッキーって

書いていたから、ガリガリ洗ったら

頭皮が痛いwakameです。




私の母は

私の結婚に反対している

彼のご両親には反対されるだろうと覚悟をしていたが全く違って(@_@)

暖かな気持ちで喜んでいる様に感じた。

きっとそうだ。

みんなの優しい顔が眼に浮かぶよ。


なのに

還暦も近い娘の結婚を反対する私の母

それも 自分の都合でだ。


私は小さな時からずっと親の指示に従っていた

従わないと

殴られるから

蹴られるから


オトナになって

短大ではなく、専門職の学校に行きたかった。

親は勝手に短大の、頭金を払った。

それも

口を返す事もせず短大に行った。


卒業して、東京のアパレル会社に合格した。

ずっと好きなだった服の会社。

母は勝手に 東京のアパレル会社に辞退の連絡をした。

結果、母の吟味したなんでーもない事務員になった。


我慢した。

我慢したが、ここの中では私は母をゆるさなかった。


お金が、貯まったころ

一人暮らしをした。

引っ越しの時も無視された。

それでも、なんとか引っ越しが出来た。これからは、あの自分勝手な、暗い空気の中から出られて

幸せがくるんだろうと思った。


いつの日か

夜、母が私のマンションに来て

私の頭を硝子のコップで殴った


私は、何を言ったのか覚えてない。

気付いたら朝で

頭がとても、痛かった

そして

近所の工務店の名前入りのタオルが頭の傷にくっついていて少し笑ってしまった。


痛いより何より

工務店の名前が恥ずかしかった(//˙³˙//){ぽっ


病院で私の頭に血がタオルと張り付いてしまい

冷たい何かをひたして外してくれた。

情けない( ⸝⸝◦︎ω◦︎⸝⸝ )


いつも こうだった


私が新しい何かをすると

必ず叫び、私を殴った


妹には、そんな事も無く

好きな高校に行き 卒業してもらいます昼の仕事にも行かず

いつのまにか

水商売をして、たのしく暮らしていた。

そして

結婚もしていた。


私が母に結婚したいと言った時は、

母得意の 無視大作戦が始まった。

何日も何週間も何も話さなかった。


だから、喧嘩をして話をしない人だけは

今も苦手、身体中が、震えてくるくらいに苦手なのです。


その後

母の浮気相手に私の結婚の話をして

母を説得してもらった。


何とか結婚をさせて貰えた。

結婚して家を建てたら

母も一緒に暮らした。


お婆ちゃんになったから

少しは変わったかと思ったら


そんな、ことはなかった。


私の元夫と母とのバトルが夜毎繰り返す


毎日、毎日続いた

小さな子供達を抱いて震えていた。


母は私を殴った。

元夫は、私に言葉のDV


子供が、夫と母の喧嘩を嫌がり

精神的に変になっていた。


気づけば、私も鬱になっていた

それでも三年我慢した。


母の暴力と元夫の口のDVの事を

祖父と祖母に訳を話し


必死に頼んで、母を祖父母の家に連行してもらった。


ホットしたのもつかの間

母が居ないから元夫のDVが酷くなった。

それでも

私は我慢した。子供をオトナにさせるまでと思った。


そんな時

元夫の会社が倒産した

私たちには、何も残らなかった

毎日来る借金取りに

怖くなり

知り合いの司法書士の先生に

お願いし、どうしたら良いか?

教えてもらった


まずは、元夫との離婚だった。

裁判にする為だった。

そして

私にも多額の借金が来るのを避ける為だった


 とりあえず急いで荷物を運び

小さな平屋に引っ越した。

それから私は必死に働いた

寝ずに働いた。


元夫は

仕事探しもせずにのんびりと過ごしていた。


その姿を見て、優しさとか思いやりとか

愛なんて、もちろん無いのだと思った。

それでも、子供達の養育費を貰うために

私が経営を始めた会社に入れて

そこから養育費を貰った

下の子が学校をでるまで……

と、心に誓った。


そんなある日、私が事故で左足首を負った。

リハビリをしている頃

ベーチェット病に掛かった。


動きたくても動かない身体

死ぬのかな?

と思った。


それでも、様々な治療をし

楽には、なって来た筈



この辛さや悲しみをずっと

見ていてくれた人がいた


どんな辛い話も聞いてくれた。

アドバイスもしてくれた


いつからか、彼にだけは、どんな事も

話せた。


泣き顔を見せたのも彼が、初めてだった


こんな事をしているうちに

気がついたら十数年前経っていた。


下の子供が社会人になった時

私も会社経営を辞め、元夫と本当の

サヨナラをした。


娘との生活、時々帰宅する船乗りの息子。

息子と嫁ちゃんと孫の生活。


私と娘の生活。

時々彼

が、今は娘と、私と彼

幸せだった

紙切れ一枚の婚姻届より

この生活が、幸せだった


いつからか?何が機会だったか忘れたけれど

一緒に暮らしたい。と思い始めた。


そして今がある。


私の親に反対されるのは100%だと

思っていた。

が違った。

反対するのは、彼の親でしょう?

22才も、離れた年齢

難病を持ちながらの生活


それなのに

なんで私の母が反対する?

ありがとうございます。

でしょ?

いつも思い出す母の言葉

『あんたは。私の為に産まれたんだよ!私の為に生きなさい」


私もひとりの女

幸せになりたい。

女として、2人の生活を楽しみたい。

神経ベーチェット病になってから色々な事を忘れる事が多くなった。


だから色々な風景を眺めたい。

彼の言葉を聞きたい。

花を見て「綺麗だね」と笑いたい。

景色を、見て「おー!!」と感動したい


たくさんの思い出を作りたい。

ただ、普通の事をしたいだけ

残された毎日を笑って生きたいの。


私、そんな悪い事をしているのかな?

悪い事をしているなら

死んだら地獄の釜にでも入るから

一緒にいさせて欲しい

私から彼をとらないで


もし、神様がいたら

私、ゆるしてくれるかな?