活動が忙しくなるにつれ、体調管理に気が回らなくなった。
薬をちゃんと飲まず、40度の高熱が出て、救急車で運ばれることもあった。 

病気が治らないことへのいらだちを、一番身近なメンバーに向けてしまったこともある。
つらいときには「休ませてほしい」と言いながら、少し回復すると、
仲間はずれにされるのが怖くて、強がって無理をしてでも遊びに出た。

でも、そんな矛盾した行動は、周囲に理解されなかった。
そのうち、自分だけ避けられているような気がして、グループに居づらく感じていたこともあった。 

06年5月のある朝だった。

目が覚めると、目の前がぼんやりとしていた。 

「あれ、左目が見えない。目やにがついてるのかな」
目をこすってみたが、曇りが取れない。
部屋の中を見回すと、左目の真ん中あたりの視野が、グレーのような「無」の状態で覆われていた。

気になって、かかりつけの総合病院の眼科に行くと、こう言われた。
「これは、ベーチェット病の症状かもしれません」 

ようやくはっとした。
以前、失明する可能性があると言われていたことを。 

「まさか。うそだろ。なんで自分なんだよ!」
EXILE」のMATSUさんは、「不完全型ベーチェット病」と診断されながら、
難病という事実を受け止められず、治療にも積極的になれなかった。
2006年5月のある朝、左目が曇っていることに気づいた。

かかりつけ医に紹介された東京女子医科大病院(東京都新宿区)の検査で、
視神経と眼球全体を広く覆う「ぶどう膜」に、軽い炎症があることがわかった。
「ベーチェット病に伴う症状だ」と判断した眼科医は
炎症を抑えるために、ステロイド薬を眼球に注射することにした。

注射針の先端が、目の前に近づいてくるのが見える。白目の部分に刺さり、奥まで差し込まれると、
点眼麻酔をしているのに激痛が走った。恐怖と痛みで、診察台の上で震えた。

以前から、重い口内炎や皮膚の紅斑(こうはん)、陰部の潰瘍(かいよう)に悩んでいた。
これに目の炎症が加わったことで、ベーチェット病の主な症状が出そろい、「完全型」になったという。

医師は「視野の欠損は元に戻りにくい。今後、失明することもあります」と説明した。
ダンサーとして致命的な「失明」。最も恐れていたこの言葉を改めて聞き、深くうなだれた。
後悔の気持ちが、頭をぐるぐると回った。

「とにかく体に悪いことは避けよう」と、たばこを吸うのをきっぱりやめた。
告知から1カ月、悩み抜いた末、ダンスのリハーサル中にEXILEメンバー全員に、
自分の病気のことを初めて詳しく説明した。

リーダーのHIROさんから、こう言われた。
「EXILEを続けていくかいかないかというのは、まっちゃんが覚悟をして決めた方がいい。
その代わり、どの道を選んだとしても、協力できることがあれば、俺も全力でやる」

MATSUさんは、「EXILEは僕の夢なんです。続けさせてください」と伝えた。
「万が一、目が見えなくなっても、誰のせいにもしない。
ステージに上がったら、メンバーの1人として絶対に弱音を吐かない」と、胸に誓った。

しかし、その覚悟が試されるかのように、激痛が次々に体を襲い出した。 

2006年、「EXILE」は、グループ存続の正念場を迎えていた。
ツインボーカルの1人が脱退し、残ったボーカルのATSUSHIさん(32)も、
のどのポリープで休養を余儀なくされた。
新たなメンバーを探すため、大規模なオーディションが開催された。

ところが、MATSUさんは、その頃、難病のベーチェット病による炎症のため、
腹痛にしばしば襲われていた。
精巣の上部にある副睾丸(ふくこうがん)に炎症が起きると、
睾丸が倍に腫れ上がり、40度を超える高熱が出た。切り裂かれるような痛みで、
そんな時は、寝ていても立っていても耐えられなかった。

東京女子医科大病院消化器内科の主治医は
「疲れると症状が悪化します。激しいダンスは控えて」と伝えた。

「どうしてこんな時に……。EXILEのために、やらなければならないことが山ほどあるのに」

スケジュールに穴をあけるわけにはいかない。しかし、コンサートがあろうが舞台があろうが、激痛は突然、襲ってくる。

コンサートの開演前に痛みが来ると、座薬を入れ、歯をかみしめて控室の椅子にじっと座る。
開演。数万人の観客の歓声が、地響きのように聞こえる。
その瞬間、自分の中でスイッチが切り替わる。
「プロとして、最高のパフォーマンスをしなければ」と。

解熱剤を飲んで頭がもうろうとする。
ちょっとでも気を抜けば、足元がおぼつかなくなる。
それでも、笑顔は忘れない。
ステージでは全身全霊、踊る。

メンバーは、周りからそっと見守る。

どんなにしんどくても、自分から「痛い」「つらい」とは絶対に言わない。
それを口にしたら、気を使って誰からも声をかけてもらえなくなる。
もう、輪の中には入れない。
それは、痛みよりもっとつらいことだと、これまで何度も何度も、経験してきたから。

3時間近いコンサートが終わり、興奮が冷めないうちは痛みを忘れる。
しかし、自室に戻った途端、激痛に耐えきれずベッドに倒れ込む。
身動きもできないまま、暗闇の中に、自分のうめき声だけが響いた。

「EXILE」のMATSUさんは、ベーチェット病による副睾丸(こうがん)炎の激痛にたびたび襲われながら、
ステージに上がり続けた。

「応援してくれる人たちの歓声を聞きたいんだ」と、
欠かさずコンサートに駆けつけてくれた父の松本一夫(まつもとかずお)さんが、
2007年、62歳で他界した。
先が見えない難病に苦しむ息子に、
「お前の病気は全部、俺が持っていくからな」と、言い残した翌日のことだった。

父から最期に手渡された、形見の金色の指輪。
亡くなった翌日のコンサートから、MATSUさんとともに、舞台で輝き続けている。 

体調は、その後も一進一退だった。
副睾丸炎の痛みはひどいと1~2週間続き、
腫れがひいたかと思っても切れ目なく、またすぐに始まった。
08年ごろには頻度が減ったが、引き換えに右腹の痛みが強くなってきた。

東京女子医科大病院(東京都新宿区)消化器内科で大腸の内視鏡検査をすると、
小腸と大腸の間にある回盲弁に潰瘍(かいよう)ができていた。
担当医は「腸炎が起きる、
腸管ベーチェットという状態に進んでいます」といった。

炎症を抑えるステロイド薬の内服を始めると、間もなく痛みが軽くなった。
ただし、ステロイドは副作用が強い。
感染症が起きやすくなったり、骨がもろくなったりする。
薬の分量を減らすと、炎症がぶり返した。

腸炎が悪化すると、固形物は消化できなくなる。
そんなときは栄養剤が食事代わりだった。 

1袋200ミリリットル、200キロカロリーの液体。
バナナ味やコーヒー味が付いているとはいえ、口から流し込んでも、のどを通らない。
1日に計6袋の栄養剤だけで生活する日が、1カ月のうち半分も続くと、みるみる痩せていった。

おなかの調子が少し良くなると、好物の焼き肉をつい食べてしまう。
すると、てきめんに腹痛が起こった。
「またやっちゃったか……」。
食事に誘われても、1人だけ、静かにその場を離れるしかなかった。

ベーチェット病と闘う「EXILE」のMATSUさんの主な症状は、腸炎による腹部の激痛に移った。

2011年5月、東京女子医科大病院(東京都新宿区)消化器内科の医師はは、
「このままだと、腸から出血したり、腸閉塞(へいそく)を起こしたりする可能性があります」と告げた。

腸の潰瘍(かいよう)が前よりも大きくなっているが、副作用を考えると、ステロイドの量をこれ以上、増やすことはできない。 

「新しい薬を使ってみませんか」と提案した。 

同病院は、腸炎を起こしているベーチェット病患者に「アダリムマブ」という薬を使う臨床試験に参加していた。
同薬はすでに、自己免疫に関連する関節リウマチやクローン病などの薬として、公的医療保険が適用されていた。

感染症や結核などの副作用について説明を受けた上で、「もう、これにかけるしかない」と決心した。 

この薬は、2週間に1回、自分でおなかの皮膚に注射する。
治療を始めると潰瘍(かいよう)は次第に小さくなり、2カ月半後、激しい痛みはかなりひいた。 

いま、今月24日から上演する一人舞台に向けて、稽古に集中している。
「1人の表現者として、誰もしたことのないことに挑戦したい」。
そう、冷静に考えられるのも、痛みをしばらく忘れているからかもしれない。

これは、EXILEのマツさんの話をコピーしたものです。