アパートにいるんだなで 「  」だな それだあ。いるんだ。 | 展示 インドユダヤ

すると、上記のような誰も買わないアパートを買って欲しいという話。
老夫婦を見る内に、自分の親を思い出して「しょうがね〜なあ」と思い、しなくても良いボロアパートの経営を始める。
このような繰り返しで、1度でもボロアパートを買ってしまうと、不思議な縁が次々と来て「また」買ってしまう。

最初は、管理会社を挟んで、嫌な面倒などしなくても済むと考えていた。
ところが、ボロアパートの入居希望者が、身寄りの無い
高齢者や、保証人のいない外国人が多いために、中間の管理会社から判断を求める電話が頻繁に仕事中に入るので、「えっ!?」と思い始める。

でも、入居希望者の状況を聞けば、まったく保証の無い相手でも、「もういいや」
クソ度胸でOKを出してしまう。
でも、その相手は、携帯電話も持て無いので連絡が付かない人だと知り、「おいおい大丈夫か?」と後から思う。

そういう極貧の入居者の方々が入ってからが大変だと、後から投資家は更に思い知ります。
特に夏に成れば、
・ 部屋に虫が湧いた。何とかしてくれ。
・ エアコンの修理依頼。
・ 隣人同士の喧嘩、刃傷沙汰。
・ そして究極は、夏場にボロアパートの10m近辺から、素敵な特殊な嗅いだことが無い激臭が周囲に漂う。
また、地域のパトカーさんが集結します・・・・。

管理会社を挟んでいても、カネが掛かることと、警察沙汰は、すべて持ち主が対応することに成ることを投資家は思い知ります。

投資家は、カネを出してまでして、いったい俺は何を体験しているのかと? 遠くを見詰める。
でも、身寄りのない高齢者の人たちを、1度でも部屋に入れてしまうと、いずれ最後の死後の面倒ごとまで起きることは確実だと分かっていても、数万円の家賃で入れてしまうとのことです。

そして、その死後の荷物の廃棄処分と、身寄りのない入居者さんの死亡届を役場に出す手慣れた常連さんに、投資家は成ってしまったそうです。

その過程では、故人の戸籍から親族の家を探し出して、やっと電話で遠い県外へ連絡をすると、
・ 家主として長時間も経緯の説明をした後に、
・ 故人への罵詈雑言と文句を聞かされて、
・ 関係無いという素敵な捨て台詞を聞かされて電話を切られる。
・ ここで、自分が生きることに懸命な人間の素敵さを再び思い知る。
ということを自前の電話料金を使いながら、故人のために投資家が体験されて行きます。


以上のような話を読んで、私は感銘を受けました。
行間の表現は、私が感じた光景を入れていますが、とっても素敵な高徳で、善徳に溢れた行為をされていると感心します。

この行為は、まさに本当の菩薩行です。
山で一人で修行する行為の、100倍の価値が有ります。
投資家は、カネを使って、本当の善行をされています。
つまり、この世のカネだけでは無くて、真の財産を子孫のために創造されています。

そして、
以上の行為は、投資家の命を助けていると感じます。
この世の真の贅沢な勝利者だと私は感じます。

おまけに、投資家が夏を恐れる理由には、死亡届のシーズンというだけでは無くて、所有するアパートが有るというだけで、遠方の町内会から「盆踊り」への寄付と、人員の要請が来るそうです。笑
また、「しょうがね〜なあ」と言いながらカネを出して、

 

 

高級車で駆けつけて盆踊りを踊っていれば、もう完全に敬服します。

このような御方も、大都会にはまだ生息しているという話でしたっ。