恋の悩みというものは
いつの世にもつきものなのか。
万葉の昔から恋を歌った歌が残っている。
人は言葉を持った時から、
想いを書きとめるようになったのだろう。
書いて晴れる想いなら、
書き残すの一つの手であろう。
しかし1000年以上過ぎた今でも
恋多き女と呼ばれるのは
文字が書けた故だ。
書きのこすのも考えものか?
しかし今のような時代ブログやツィッターであふれ、
1000年後、大学の先生なんかが平成の世の恋愛を研究したりすると思うと、
面白い。
以下は万葉集。
恋の歌。
あかねさす
紫野行き 標野(しめの)行き
野守は見ずや 君が袖振る
(巻1-20番 額田王)
≪訳≫
「紫草の生えている、狩場の標(しめ)を張った野原を行きながら、あなたは私に袖を振るなんて。そんなことをしたら、野守(番人)に見つかってしまうではございませんか」
この額田王の作った歌に続くのが、大海人皇子(後の天武天皇)の応じたこの歌。
紫草の
にほへる妹を 憎くあらば
人妻故に 吾恋ひめやも
(巻1-21番歌)
≪訳≫
「紫草のように美しい人妻のあなたに俺はこんなに恋しているから、思いが抑えられないんだ! 」
「これは、万葉集の中でもとても有名なやりとりの歌です。奈良時代の当時、『袖を振る』という行為には、文字通り、手より丈の長い着物の袖が揺れるという意味のほか、相手の思いを自分に引き寄せたいという願いの気持ちも含まれていました。ですから、この大海人皇子のとった行動は非常に大胆な恋愛アプローチともいえるのです。ただ、これほどまでに大っぴらに天皇家がこんな歌を歌えたのは不思議なこと。これはきっと公共の歌会の場でのことで、2人は擬似恋愛だったのではないか、という説もあります」(桜川さん)
また額田王は、この歌で袖を振った大海人皇子と、その兄である天智天皇との間で恋愛関係になったとされています。その天智天皇を思って作った次の歌も有名です。
君待つと
我(あ)が恋ひ居れば 我(わ)が宿の
簾(すだれ)動かし秋の風吹く
(巻4-488番)
≪訳≫
「あの人を恋しくお待ちしていると、我が家の簾がそよそよと動いた。でもお姿はなく、秋風が吹くばかり」
「当時、結婚は夫婦同居ではなく、男性が女性のもとへ通う妻問い婚でした。今のように電話もメールもない時代、『また来るよ』と言った男性の言葉だけを頼りに、ただ待つしかない切なさを秋風になぞらせた名歌といえるでしょう」(同)
さすがは恋多き女性として知られた額田王。三角関係で悩んだり翻弄されたりする姿は、今も昔も変わらないんですね。彼女の心情には、現代の女性も大いに共感できるポイントが多そうです。それにしても、こうして改めて万葉集の世界に触れてみると、歴史上の人物の様々な恋模様を知ることができて新鮮ですね! というわけで、次回はさらに違う種類の恋の歌をご紹介しちゃいます!
(池田香織/verb)
(識者プロフィール)
桜川ちはや/日本古典文学研究家。専門は万葉集。2000年10月より、岩手県盛岡市で子どもの芸術遊び「虹色の部屋」を主宰。図書館での読み聞かせなどのほか、読書推進に関わる大人向けの講演会やワークショップ、レクチャーも行う。また、イラストレーターとしても活動中。