人は...一人では...生きてはいないし...生きては...

いけない...どれだけに強がっても...どれだけに

一人で稼ぎをある程度手に入れて、毎日毎日を

何とかにご飯にありつき...当たり前...なことを

当たり前に取り...そばに...人がいない所から.....

一人で生きてきた...生きていると錯覚に陥る...。

生を受けた時から天涯孤独の入り口はある方は

いらっしゃる...とは思いますが...ここまでに....

生きてこられているのならそれは一人ではない。

なにかの補助が助けが救いがそこに存在して....

いまの自分がある事...職場なら雇ってくれた人...

自分を評価してくれた人...してくれている人.....

学校という義務的なものがあれど少しばかりに

あるような気にかけてくれる友達大人がそこに

いた筈な事実。嫌な人間...と対話したとしても

それが糧になる事もある。いじめ云々な問題は

また別記事で語るにして...。いまも...過去も.....

この先も一人で何でも出来る...は大きな勘違い...

ある意味で図太いし長生きはできますねそうに

何にも思わない人は...。死ぬ時...が一番悲惨w

気付くんですよねw 最後になってやっとの事で。

遅い...気づくのが死ぬ間際は...。実は一人では

生きてはいなかった...時に虚しさの訪れは悲惨...

いま気付いた...気付いている人...は強いですよ...

そういう人は前へ向く事を恐れなかったりする。

後盾に護られて守るものがあったりするのなら。

心配されている事や構われる事がめんどくさい

のならそれはそれですが...言い訳の重ねでしか

ないんで逆にそういう部分を振り払うのに後で

邪魔くさくなるw なぜなら...苦難や苦労自体を

避けてきてるだけに超える事を知らずにいる....

避けてきてるだけですからそら耐性はない......

誰かのため...に生きてみたなら...誰かとともに

歩んでみたなら...おれはわたしは一人じゃない!

なんて進んでる人の方が...ある意味で無敵だと...

弱さを露呈するのは前者後者変わらないですが

自分は一人では生きてはいない...そう感じぬき

人生を全うしてる人は...社会的確立もはやい....

たしかに人間関係はめんどくさい。そうだとは

したとしてこのまま終わるつもりがないのなら

自分は一人で強くなったわけではなく...誰かの

助けにより助言や一言により強くなれている....

と考えれたら...それも置かれてる状況が今一人

だとしても強い。なんにもしなくてもだれかに

いい影響を与えるのはそれこそ自然なことで...

悲しくないですか?いいわけだとも思いますし...

自分を守る盾はたくさんあった方がいいですが

素直に自分は弱いから守られて強くなってます...

なんてのが飾らなくてカッコいいななんて思う。

あるべき姿は強い自身ではあるとは思いますが...

他者力こそ強みだと握れたなら逸れこそ強みで...


〆はこの言葉で...人は一人では生きてはいないし

この先も生きてはいけない。時に一人で生きてる

錯覚に陥るがそれは否定仕様のない錯覚なんです。

どれ程に言い訳自己否定を並べてもそれその物に

強い意味はあまりなく...それは今そのものなだけ。

どうせ作るならスマートな言い訳をして生きてた

方が周りは尊敬するし一人で生きてるつもりなら

誰も見向きもしなくなる...強がりは程々です程々...