
うちは...母方の祖母と祖父親が他界はしていまして...こちらの(京都)の方に仏壇を持ってきているんですが...墓は宮崎にあるんですが...そんなしょっちゅうは帰れない訳なんですが。それでですね...仏壇がある家庭あるあるなんですが...何年も置いてるとついつい線香を灯す回数が減る訳です。感謝するしないに関わらず明らかに減る訳です。...一室のタンスの上に飾られているんですが...甥っ子(11歳)と姪っ子(4歳)にですね...ちゃんと祖先の説明をして...仏壇に線香をあげさせたんです。二人とも素直でしっかり話を聞いて出来たんです。ただ...やはりその親は...普段から線香をあげてはいない親でして。それは強要されてするものではないだけに...子供たちに『なんでママとかは線香あげへんのやろなー??』と言われまして。『ひいばあちゃんとひいおじいちゃんが悲しむ』...と。難しい判断ではありますが、二人にはこう説明をしました。じゃあママとかパパの替わりにお線香をたまにでいいから、二人の分まで感謝の気持ちをひいばあちゃんとひいおじいちゃんに届けてね♪と...。二人は頷いてそのあとも仏壇に手を何度も合わせていました。右手は母親の代わりに...左手は父親の代わり...右手は母親に生んでくれた事に感謝をし...左手は祖先に感謝をする。ご飯を食べるときに手を遇わせるのも意味合いは一緒で、掌を合わせて自分達の祖先が作りあげてくれた未来に感謝する。いまの自分が存在するのはひいばあちゃん達のお母さん達のひいおじいちゃん達のお父さん達...そのずっと前からの祖先の存在のおかげで、『現在』の自分が形成されている事。子供たちがこれを全て理解はしてはいないですが...沢山彼らに本気で話しました。こうゆう感じを毎日続けよう...なんてのは無理な話ではありますが、たまにこうしてこうゆう話をしてあげるのはとても意味があるんだと。慈しみ...謙虚さ...はこうゆう所から来る物だし生まれる物。現在の子達に話さなければ...託さなければならない『話』というのは...こーゆー『言葉で紡ぐ物語』なんだと...。わたくしは祖母や祖父から小さい時に沢山習いました。彼らが大きくなった時に...きっとこの話を思い出し...過去の人たちに対して、優しい気持ちを持てるようになるだろうと...。不思議な現象が...。仏壇の横に置いてあった金魚鉢にいた4匹の金魚たちが...ちょうどその話を二人に話していた時に、線香を焚いている最中だけ...さきほどの泳ぎとは違い...活発に泳いでいました。彼らはそれを目の当たりにして...すごくびっくりはしていました。線香の灯火が消えた時には...4匹の金魚達は...静かに泳いでいました。これはなにかあるな...とは感じました。目に見える物が全てではなくて...目に見えるからこそ信じていかなくてはいけない物...。現在にした自分の行いは...必ず未来に影響として出る...。まぁ暗示に関してはあれですが...そうゆう目に見えにくい物も...捉え方で立派な『教材』になる...というお話でございます(*μ_μ)♪ながながの文章...変わらず申し訳(れωぴ)。
