8/1 行って来ました~このくそ暑い中・・・
昨年、高速料金 土日\1000の最初の連休、400km近い大渋滞の中、山陽道のビータ、いや旅を、
して以来、1年半ぶりにロングツーリング(ツー)に、8/1から行ってきましたよ~~!!
リベンジ山陽道!四国の旅っす!!
今年2月から新しい職場に入ったので、夏休みは取れず、ロングツーリングはあきらめていた矢先、
「8月の休暇希望日をシフト表に書き込んで~」ってな天の声。。。
先輩たちを尻目に、真っ先に表に記入。すんなり日程が取れちゃいました~~!
であれば、竜馬伝。。。そうだ!竜馬に会いに行こう!!
ってなわけで、四国に行くことに決めたぞ~
それも7月の終わり頃で、仲間に報告。
すると、お盆休みの後しか、夏休みが取れないと言っていた、仲間のコダちゃんが、
7/31に金沢方面に行って、次の日に「合流して四国付き合いま~す」ってな
ことになり、用意周到なる彼の計画書を引っさげて、2台のHDで野次喜多道中とあいなった
次第です。
8/1 1日目
遠足の前日と同じで、これがなかなか寝付けないんですよね~!
愛馬にバックを積んで、準備万端!10時に就寝。
4時 起床 5時出発の予定。。。
しかし、実際は、1時半頃目覚め、後はうとうと
結局、4時に起きて、4時20分には、家を飛び出していました~
4時40分 東名町田IC いよいよ四国ツーの始まりで~す!
富士川SAで給油して、次は浜名湖SAへ。。。
やっぱ一人は早い。必要以上に止まりましぇン。
浜名湖到着7時半。
合流地点は、名神 大津SA 11:00予定。
早速相棒コダちゃんにメール。。。
Y 「今浜名湖で~す」
K 「はやっ、こっちも急ぎやす。 気をつけて!」
Y 「早く着きそうだから、合流場所を養老SAに変更しませんか!?」
K 「養老はだめ!北陸道との分岐点過ぎた京都よりの
多賀SAにしやしょう!10時半くらいには行きます」
Y 「了解!気をつけて!」
てな会話があって、無事めでたく合流しました~
しかし携帯って便利ですね~
合流地点 多賀SA・・・レストラン、みやげ物やの入った建てや。
待ち時間があるので、中に入って、遅めの朝食。
とにかく何にも食べないで、ひたすら走ってきたから腹へった~
”冷やしかき揚げ天そば”を。。。
かき揚げが大きく、関西に近いだけあって、うどんは太く、こしがあってうまかった~!!
ここからは、2台のHD。
合流後は、京都、大阪を経て、
わかりにくい、吹田ジャンクションから山陽道に入り、
一路尾道へ。。。
二木や福山SAで給油して。。。
そのうちの一つ、桃太郎のキビ団子でr有名な吉備SA。
桃太郎に癒されながら、その後順調に進み、
やっと、放浪記で有名な林芙美子の尾道へ。。。
高速降り、尾道市街へ 尾道駅
林芙美子
11歳の芙美子は本籍地の鹿児島に預けられたのち、旅商いの両親に付いて山陽地方の木賃宿を転々した。1916年(大正5年)(13歳)、尾道市に暫く落ち着き、翌年、市立尾道小学校を2年遅れで卒業した。
1918年(大正9年)(15歳)、文才を認めた訓導の勧めで尾道市立高等女学校へ進学した。図書室の本を読み耽り、夜や休日は働いた。女学校の教諭も文才を育んだ。18歳のときから『秋沼陽子』の筆名で、地方新聞に詩や短歌を載せた。尾道では親友たちに恵まれ、後年もしばしば「帰郷」した。
11歳の芙美子は本籍地の鹿児島に預けられたのち、旅商いの両親に付いて山陽地方の木賃宿を転々した。1916年(大正5年)(13歳)、尾道市に暫く落ち着き、翌年、市立尾道小学校を2年遅れで卒業した。
1918年(大正9年)(15歳)、文才を認めた訓導の勧めで尾道市立高等女学校へ進学した。図書室の本を読み耽り、夜や休日は働いた。女学校の教諭も文才を育んだ。18歳のときから『秋沼陽子』の筆名で、地方新聞に詩や短歌を載せた。尾道では親友たちに恵まれ、後年もしばしば「帰郷」した。
駅前すぐ尾道港。 すぐ向かいのまさに向島との渡し船。
なんとも情緒があり、寅さんが、片隅で寝ているような風情でしたね。。。
そして、宿は駅の中の観光案内所で聞いたビジネスホテル。
注:シングル2部屋
われわれの後に函館NO.のハーレーが来て、横に止まっていました。
遠いいところからお疲れ様です。。。
ホテルにチェックインしたのは、夕方6時40分。
さしたる渋滞もなく、スムースな一日目の滑り出しでした。
ただし、関東とは又違った感じの暑さ。暑さ。アチ~熱風状態だ~
夕方聞いたら、岡山37度だって。どーりで
本日の走行距離、795km。
当然ながら、ホテルに荷物を降ろし、シャワーを浴びて、駅前を探索。
目当ての呑み屋さんはあまりなく、結局関東でもよくある居酒屋のチェーン店へ。。。
就寝 11時頃??・・・覚えてましぇン
続きは又あした、2日目更新しま~す