歴史探訪⑤曹洞宗 信綱寺 真田信綱・昌輝兄弟の墓所 | 梓慕情の眼仁奈釣り日記、お散歩日記

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伊豆半島の沖磯で眼仁奈釣りをしてます。
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山家神社・真田神社から、次に行ったのは信綱寺(しんこうじ)。
長篠の戦いで討死した、真田信綱・昌輝兄弟の墓地があります。

曹洞宗 大柏山 信綱寺
創建は室町期、横尾氏の菩提寺。
上田原の戦いで横尾氏滅亡後は荒廃。
その他、真田信綱が打越寺と名付けます。
真田昌幸が、長篠の戦いで討死した真田信綱の牌所として信綱寺と改称。


立派な門があります。




本堂

真田氏の家紋六文銭


境内は綺麗に整備されています。



真田信綱
戦国時代から安土桃山時代の武将。
武田信玄、勝頼の二代に仕える。
武田二十四将の一人。
真田幸隆の嫡男。
第四次川中島の戦いでは父幸隆と、上杉謙信の本陣がある妻女山へ別動隊として参加。
父幸隆から家督を相続、信濃先方衆として主要な戦には先鋒を努め活躍。
長篠の戦いでは、織田・徳川連合軍の馬防柵を次々と突破するも鉄砲隊の銃撃で被弾、弟昌輝と共に戦死。享年39。
信綱の首は着用していた陣羽織に包んで家臣が持ち帰る。
この血染めの陣羽織は、信綱寺の寺宝。


真田昌輝

戦国時代から安土桃山時代の武将。
武田信玄、勝頼の二代に仕える。
武田二十四将の一人。
真田幸隆の次男。
信州先方衆の副将格として活躍。
長篠の戦いでは、最右翼の主将を馬場美濃、その隣に兄信綱、隣に陣取り右翼部隊の一部を担う。
織田軍の左翼に陣取る佐久間信盛隊と、激しい局地戦を展開するも兄信綱と共に討死。享年33。



真田信綱夫妻、昌輝の墓所。

真田信綱(中央)、信綱夫人(左)、昌輝(右)


写真は撮らなかったけど、信綱寺の前には古城緑地広場があります。
歴史の丘に、真田氏の石刻花押や六文銭モニュメントがあります。

続く