12月10日、清水町地域交流センターに行きました。
大河ドラマ どうする家康 時代考証担当の柴裕之氏による、徳川家康と駿東の講演を聞くためです。
駿東は河東と呼ばれ富士川の東岸になります。
家康が5ヶ国を治める大大名になったときには、関東の覇者後北条氏(伊豆)との国境として東の最前線となり重要な場所となります。
家康が関東移封されたときには、西の最前線となります。
時代によって、河東地区は家康にとって重要な場所。
現在、柿田川公園になっている場所は泉頭城がありました。
徳川家康が隠居の場所として決まるも実現しませんでした。
もし隠居の場所になっていたら栄えたのかもしれません。
泉頭城
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柿田川公園
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どうする家康 巡回パネル展
偶然、最終日に見れました。
初めて時代考証の講演を聞き勉強になった日になりました。