関ヶ原の戦い 東軍 山内一豊の陣跡 | 梓慕情の眼仁奈釣り日記、お散歩日記

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関ヶ原宿、東海道本線で撮り鉄をした場所には、関ヶ原の戦いで東軍に参加した山内一豊の陣跡があります。

山内一豊
戦国時代から江戸時代初期の武将、大名。
土佐藩初代藩主。
主家、当主を失った山内一族は離散、流浪していた時、木下藤吉郎の家臣になる。
元亀元年(1570年)姉川の戦いで初陣。
天正元年(1573年)朝倉攻めで敵将が放った矢が顔に刺さる重症を負う。
*大河ドラマ 功名が辻で、矢が刺さるシーンが放送されました。確か川に落ちたと思う。矢を家臣の五藤為浄が引き抜いた。

妻千代が蓄えた金子で良馬を買って武士の面目を示す逸話がある。内助の功。
賤ヶ岳の戦い、小牧・長久手の戦い、小田原征伐で手柄をあげる。
遠江國掛川に5万1千石の大名になる。
慶長5年(1600年)徳川家康の会津討伐に参加。小山評定で家康に掛川城を提供、東海道沿いの大名が徳川に組みする。
関ヶ原の戦いでは、桃配山に陣を置いた徳川家康の後方に陣を置きます。
南宮山に陣を置いた毛利秀元、吉川広家、安国寺恵瓊、長束正家、長宗我部盛親の西軍の押さえを担当。
戦後、掛川から土佐に移封。
土佐國20万石の大名になる。
*旧主の長宗我部盛親の家臣団一領具足が、山内一豊に反発。
祝賀行事で一領具足を捕縛、磔にして処刑。大河ドラマ 功名が辻でも放送されました。
慶長10年(1605年)病死、享年61。

静岡県掛川市にある掛川城は、高知城を参考にして復元されました。




2006年、大河ドラマ 功名が辻が放送されました。
山内一豊=上川隆也、千代=仲間由紀恵、五藤為浄=武田鉄矢



中山道 松並木







続く