白鳥神社 木曾義仲挙兵の地 | 梓慕情の眼仁奈釣り日記、お散歩日記

梓慕情の眼仁奈釣り日記、お散歩日記

伊豆半島の沖磯で眼仁奈釣りをしてます。
城、神社仏閣、史跡名勝巡りしてます。

海野宿の入り口に、白鳥神社があります。
宿場町を歩く前に、参拝しました。



平安時代に鎮座。
源平盛衰記に、木曽義仲が白鳥河原で挙兵の記録があります。
奈良時代に海野郷と称し、献上した品が正倉院御物として残ります。
日本武尊が、東征の帰りに海野に滞在。
伊勢で亡くなったあと、白い鳥に化身し海野に舞い降りる。


御神木

本殿

木曽義仲挙兵の地と書いてありました。
治承5年(1181年)以仁王の発した平家討伐の令旨に応じます。
樋口、今井、根井、楯の木曽四天王の他に、海野、祢津、望月、小室の東信濃の豪族と西上州の武士団が3千騎が集結。

木曽義仲(源義仲)
平安時代末期、河内源氏の一族、源義賢の次男。頼朝、義経とは従兄弟。朝日将軍と呼ばれる。
以仁王の令旨で挙兵、牛の角に松明を付けて倶利伽羅峠で平家軍を撃破して京に上洛。
その後、朝廷や従兄弟の頼朝と不仲になり戦うことになります。
寿永3年(1184年)義経と宇治川で激突し敗北。
近江粟津で討ち死。享年31。
*戦国時代の木曾氏は、義仲の子孫を自称。
木曾義仲の挙兵から400年後、木曾氏がターニングポイントになる出来事が…
これが無ければ…

*2015・9・22撮影


次の目的地へ…