小山城 武田と徳川の攻防戦 | 梓慕情の眼仁奈釣り日記、お散歩日記

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伊豆半島の沖磯で眼仁奈釣りをしてます。
城、神社仏閣、史跡名勝巡りしてます。

見付天神 矢奈比賣神社から、次に行ったのは吉田町にある小山城。
この日は、Jリーグ開幕戦でジュビロ磐田のホーム戦。遠州三山を巡りたかったけど混雑を回避するため磐田から離れました。

駐車場から天守が見えます。



丸馬出し

虎口

三日月堀



小山城
鎌倉時代、小山七朗朝光が砦を築いたのが初めと伝わる。
その後、室町時代に今川氏により築かれた山崎の砦が土台とも言われています。
今川義元が桶狭間で敗死すると、武田信玄と徳川家康による駿遠争奪戦が始まります。
大井川を堺に駿河を武田、遠江を徳川が領有することに。
協定を破棄した武田軍は、大井川を越え山崎の砦を攻略。
海上交通の確保に務める役割を担う。
対して徳川軍は砦を奪還することに成功。
1571年(元亀2年)武田信玄は甲斐から2万5000の軍勢で砦を奪還。小山城と名付け遠州攻略の拠点にする。
築城には、軍師山本勘助から縄張り築城術を学んだ、武田四天王の一人で馬場信房が関わる。
信玄が病死後は、勝頼が1573年(天正元年)1万5000の軍勢で高天神城を攻め落とす。
長篠の戦いで大敗した武田軍は、密かに小山城に落ちる。
その後、徳川による攻撃や、勝頼の救援が幾度かあります。
ついに織田による甲州征伐により、武田軍の高天神城が落城し小山城を助ける余力が無く城に火を放ち甲斐へ落ち延びました。
10年に及ぶ武田と徳川による攻防戦が終わりました。




2月23日は、富士山の日なので入館料が無料でした。
*静岡県は、毎年2月23日を富士山の日に制定され県内の施設などでイベントや入館料が無料になっています。

天守から見る、三日月堀と丸馬出し
甲州流築城術が良く分かります。



富士山が見えます。

駿河湾が見えます。







昭和62年に、吉田町が模擬天守として整備。
天守は犬山城を模しています。
中は資料展示室になっていて、鎧兜や刀・槍、火縄銃、歴史年表が展示されていました。

郷土資料館にも入りました。

         

                                   完