臨済宗 栖雲寺 武田勝頼、天目山にたどり着けず | 梓慕情の眼仁奈釣り日記、お散歩日記

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伊豆半島の沖磯で眼仁奈釣りをしてます。
城、神社仏閣、史跡名勝巡りしてます。

久し振りに、甲斐武田氏巡りをしました。
織田信長による甲州征伐で、武田勝頼主従が目指した天目山へ。

臨済宗 建長寺派 栖雲寺
貞和4年(1348年)業海本浄により開山。
開基は武田信満。
武田家の菩提寺として繁栄。
織田・徳川の甲州征伐により焼失。
徳川家康により再建。
江戸時代、建長寺末山の四大柱寺の一つとして特別待遇を受ける。


桔梗

本堂


武田菱

庫裡

蕎麦切り地蔵

蕎麦切りは甲州より始まる、初め天目山へ参詣多かりし時、所民参詣の諸人に食を売りに米麦の少なかりし故、蕎麦をねりて旅籠とせし、其後うとむ(饂飩)を学びて今のそば切りとはなりしと信濃人のかたりし

 銅鐘
甲斐五鐘の一つ




石庭

百字石



甲斐武田氏第13代当主 武田信満墓所

中央に信満の墓、周囲に家臣の塔

応永23年(1416年)上杉禅秀の乱のとき、舅の武田信満は禅秀に加担。
都留郡にて戦い、多勢に無勢で敗れ翌年天目山で自害。

梓弓ひきそめし 身のそのままに 五十のあまりの
夢や覚えさん


傳灯庵

宝篋印塔

御朱印は、二種類あります。
本尊の宝冠釈迦如来、鎮守の摩利支天。
住職不在だったので、書き置きを頂きました。

庭園、宝物館は料金がいります。





フジテレビ、何だこれミステリーで栖雲寺が放送されました。

武田信玄が使った軍配
中央には水晶があります
武田軍と上杉軍が第四次川中島の戦いで上杉謙信が武田信玄に切り付けた、三太刀七太刀の軍配。
この軍配を見ることが出来ました。

*景徳院までは、何度か来ていたけど毎回時間の関係で栖雲寺には寄れなかったけど、今回やっと行くことが出来ました。

栖雲寺に行く途中には、景徳院の武田勝頼公・北条夫人・嫡男信勝、主従の墓があります。
土屋昌恒片手切り場所があります。
過去ブログを参照して下さい。

国道20号から、天目山までは急な坂でした。


このあと、摩利支天の御利益が…



                                  続く