武田歴史巡り | 梓慕情の眼仁奈釣り日記、お散歩日記

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伊豆半島の沖磯で眼仁奈釣りをしてます。
城、神社仏閣、史跡名勝巡りしてます。

恵林寺、雲峰寺、景徳院と武田終焉の地を巡りました。
恵林寺、景徳院は数年前に来ています。
雲峰寺は初めて行きました。



戦国最強騎馬軍団として、武田信玄が築きあげた鉄の鎖で繋がる家臣団。
武田二十四将

三方原の戦いで、徳川家康を破るが西上作戦の途中、信濃駒場にて武田信玄は病没する。
信玄の遺言は、「死を三年隠し国力を整えろ」と残す。
しかしそれは、急な武田軍の甲斐帰国。徳川、織田、北条、上杉は甲斐へ間者を放ち、信玄死すの情報を知る。
武田勝頼は、信玄も落とせなかった高天神城を落とし武田家最大の勢力を領し、連戦連勝となり再び、織田・徳川連合軍と、長篠・設楽原で激突。
鉄砲の三段構えにより、騎馬軍団は壊滅。
譜代の家臣の多くを失い、兵力が落ちる。
遂に、織田信長による甲州征伐が始まる。
瞬く間に織田・徳川・北条の武田領侵攻、高天神城の救援をせず求心力が低下し木曾、穴山の離反により風前の灯火となる。
郡内岩殿を目指すが、小山田の裏切りにより天目山の麓、田野にて最期の時が来る。
名門甲斐源氏武田家が滅亡。

















織田信長の甲州征伐から、三ヶ月後の六月再び激震が走る。
織田信長が家臣明智光秀の謀反により、京本能寺にて横死する。
空白となった、甲斐、信濃旧武田領を巡る徳川、北条、上杉による天正壬午の乱が起きる。


今も昔も、たら・ればだったなら歴史が変わっていたと思う。
武田信玄の嫡男義信幽閉自害がなかったら、西上作戦の途中での病没がなかったら、徳川家康を降伏させてたら。
武田勝頼の長篠設楽原での重臣の多くを失わなかったら。
長篠城を落とせていれば。重臣の進言を聞いて入れば。
越後上杉御館の乱、景勝ではなく景虎に味方してたら。
岩殿ではなく、岩櫃に向かってれば。





あれは疾風(はやて)か東海の
砂塵(さじん)を巻いて騎馬は行く
怒涛と起こる勝鬨に
きらめく旌旗 ああ風林火山

林徐(しず)けし諏訪湖畔
剃髪包む緋の衣
武人の慕情誰か知る
思い秘めたる ああ風林火山

仇に向かわば火のごとく
情けに立たば山のごとく
かざす軍配日月(じつげつ)の
光燦(さん)たり ああ風林火山





                             完