朝のテレビでやってた。今日は、尾崎豊の命日らしい。30歳にもならずに亡くなったみたいだけど、今でも、歌はきちんと歌い続けられている。
酔っぱらって全裸で他所の庭でうずくまって死んでいたなんて、正気じゃない。きっと、今なら、何かのアディクションが病名としてついていたに違いない。
曲にも現れてたけど、現代社会の生きにくさとか、等身大の自分をストレートに表現したりとか、大人の批判とか、自分自身のあり方とか、色んな問題を表現豊かに、時には、ストレートに曲にしていたから、きっと、共感する若者も多くて、ファンの絶大な 指示を獲得したんだと思う。
ある意味、自分で自分を見つめて、分析して、素直に認める事ができたんだと思う。
僕は他人のことはわからなくても、自分のことはわかってるつもりでいたし、正直なつもりでいた。でも、自分で自分を欺き、騙し、人も騙し、嘘をついて酒に逃げた。一時の快楽を獲得したいから。でも、その後、酔いが覚めたらどんな気分になるのかもわかってた。だから逆に覚めないようにもっと飲んだ。ずっと飲んでた。意識がある間。
そして、現実から目をそらして、自分の問題からも目をそらしてた。
全部素面で受け入れて、問題に立ち向かうことが、不安で、怖くて仕方なかったから…デも、それじゃあ、本当は不味いってことに気がついたときにはもう遅かった。
酒無しには生きていけなくなっていた。飲みたくなくても、飲まなければ今日1日を乗りきれなくなっていた。
それから考えたら、今は違う。飲みたくないと思えば飲まないでいられる。飲まなくても、生活ができてる。素面で仕事、人間関係、自分の病気とどうやってうまく付き合っていくか等の問題、社会的、金銭的不安、に立ち向かっていける勇気がでてきたし、前向きな気持ちにもなってきた。
それは、飲んでいた頃は自分の存在理由なんてないと自暴自棄に思っていたけど、存在していてもいいんだ!存在理由を見つけられたから…
これも、飲まない生活を継続してるお陰で考え方が変わってきたからかなぁ~って思う今日この頃。