今日はお仕事休み。子供は昼間学校に行き、かみさんは留守。余り外には出ず、家の事をやっていた。明日の仕事の準備、昨日の片付けの続き等。
そんな中で、ふと考えてみた。「今日一日」は誰にも平等に24時間与えられる。その中で、生活の事、家族の事、仕事の事、将来の事、考えるときりがない。だけど、どうしたら、「今日一日」をいい日に過ごせるのか…
もしかしたら自分自身の捉え方の問題なんじゃないかなぁって。大安に結婚式をしても、仏滅に受験しても、離婚する家庭は離婚するし、合格、不合格者は出る。「運が悪い日だった」「運のいい日だった」って発想も所詮結果論で、その日に悪いことが起きたから、「運が悪かった。」その日に良いことが起きれば、「運が良かった」と感じてるだけなんじゃないか。
自分がもし、仕事で失敗したとして、それを正直に、謙虚に、紳士に受け止めて、二度と同じミスを繰り返さないようにと心に刻むことができれば、その日は、自分が、ひとつ成長できたとても意味のアル今日一日になるだろう。
一日一日をほんの些細なことで構わない。例えば、ミーティング会場まで、赤信号に一つも引っ掛からなかった。とか前回はできなかったことが出来た。焦らず、落ち着いて仕事に集中できた。回りからか感謝された。そんなことだとしても、小さな事から、自分にオーケーをだす。それがいつしか、自信に繋がる…
傲慢とか、利己的とか、事故中心的とは又違ったニュアンスの満足感が得られる。
今の僕は其れでいいと思っている。本当は自己研鑽に励み、回りに還元していかなくてはいけない立場の人間だとしても、焦らず、怒らず、無理をしない❗それを実現させるには、「飲まずに今日一日を送ること」は大前提。
物事焦るとろくなことがない。酒を飲んでいた頃は、酒の力を借りて、出来ないものも出来るような感覚でいたけれど、素面でできないものが、冷静な判断力、思考力のなくなった酔っ払いに出来るはずもない。そんな簡単なことにすら渦中の中では気付きもしなかった。
基本毎日同じ事の繰り返しのように感じるけど、その日その場面で微妙な変化はある。そんなイレギュラーにも冷静に確実に対応出来るようになりたい。て間も焦りは禁物。
入院の間、待っていてくれて、少しずつだけど、お客さんも戻ってきてくれた。それは、僕の腕を信頼してくれていなくてもいい。家の看板を信頼してくれて来てくれるんだと思うから。そんな人たちに、今は感謝。それしかない。そんなことを思いながら一人一人対応している。今日一日。今日とは言わず、明日も明後日も、一週間後もずっと。
こんな小さな事も迷惑をかけた人たちへの僕なりの償いだと思うから。
「僕の今日一日」は償いと、感謝の毎日。