

73社のうち今現在杉山神社もしくはそれに類する名前で存在するのは43社である。上図は杉山神社の変遷とそれぞれの所在と水系との関わりを示している。江戸時代も今も、杉山神社の中心地域は鶴見川水系の都筑郡と橘樹郡ということがわかる。ただし、地域ごとの杉山神社としての残存割合を見てみると、一定の傾向があることに気づく。おもしろいことに橘樹郡にはもともと発祥の地と言われる都筑郡よりも杉山神社の数は多いが、明治以降に一村一社令の施行等を経て三分の二近くが杉山神社という名前を捨てている。一方、水系に注目してみると、同じ鶴見川水系でも下流に行けば行くほど、杉山神社としての社名の残存率は低くなっている。この現象だけを見てその地域における杉山神社に対する愛着が薄いとはもちろん言えないし、その原因を神社そのものの出自や由緒に求めることもまったく意味のない話と思う。ただ言えることは、そうした地域の特徴として、明治以降、杉山神社という名前に代わって、鶴見神社や小杉神社、新城神社のように、地元名を冠する社名へ変更するケースが非常に多い。
現在も残っている杉山神社の分布を見てみると、鶴見川の上流とその支流である恩田川、早渕川、大熊川、谷本川、そして帷子川に集中していることがわかる。いずれも、昔ながらの小川とひなびた谷(やと)の名残りを多少なりとも止めている場所である。やはり杉山神社には、近代的な都会の風景は似つかわしくないという気がする。鶴見川下流や多摩川下流の村々が明治になってこぞって社名を変えた背景には、あたかも都会では杉山神社の名前を使うことがゆるされないという土俗信仰ゆえの暗黙の掟があるかのようだ。このことは、杉山神社のなりたちや原風景と少なからず関係があると思う。