2000年に生まれた武帝のブログ

2000年に生まれた武帝のブログ

私が私を落ち着いて見守れるような、お守りみたいなブログです。

私に近いような考えや状況にある方々へも、少しでもプラスに働けたら、一石二鳥かなって思います。

一面を見るとA型、一緒に過ごすとB型と言われる私。

もちろんB型です。自由気ままにやってます😎

 

血液型診断で親しまれてきた覚えがありますが、

ブラッドハラスメント(血液型による偏見)、

今は各種ハラスメントの中に存在しているそうです。

 

ブラハラを助長する意図はありませんが、

血液型でその人に対してある程度の理解がしやすいのであれば、

1つの理解の手段として取り入れてもいいとは思っています。

 

ただ、それだけでその人を完全に理解したとはしないのが条件です。

「B型は自由人でマイペース、飽き性に加えて計画性が無い。」

と、よく言われますが、一部正解であって不正解なんですよね。

 

深いもしくは長い関係性でなければ、

私の性格はB型の気質が大きいと判断してもらって問題はないと思います。

ただ、根本的な部分だとやはり異なってきます。

 

 

自分と向き合ったり、気ままに過ごしてみたりとしましたが、

自分が思う完璧に何もかもをやり遂げようとする癖があるかも、

とふと思い、考え始めました。

 

MBTIから人間関係や自分を見つめなおしてみる、

それも大勢の人が捉えているものよりも有効活用しようと、

完璧に分析した、一例になると思います。

この面だけ見ると、A型もしくはAB型っぽく見えるかも?

 

世界に目を移せば、もっと深く広く分析して言葉に表している。

でも、私は私なりに完璧と思えるまでやり切った。

そう考えています。

 

このような考えるという行動以外でも、例になるエピソードが、

「一度振られた相手に再度猛アタックしてみた」です。

 

ブログ投稿が無かった時期に、色々やってみた中で、

一番自分が納得いくまで完璧にやり抜いたと思います。

相手は迷惑極まりなかったとは思いますけど😵

 

かいつまんで説明すると、

一昨年告白して振られ、その後も共通の友人がいて、

なんだかんだで関係断絶はしなかったため、

私の要望で2人だけで会う機会を作るまで頑張りました。

 

振られた時も、振られた後も、私が再度アタックしてる時も。

全てにおいて、脈アリ場面はありませんでした。

誰がどう見ても諦める関係でしたが、

私は自分が思う「やり切った」を目指して😂

完璧に相手のこと好き切りました!

 

好き切るなんて初めて使いましたが、

本当にこの表現がピッタリなくらい、

私は完璧に想い続けました。

 

ただ相手は私のことが好きではないので、

めっちゃ来るじゃん!と困惑でした。

 

振り返ると、恋愛ってマジでエネルギーを使いますね。

これが今の無職期間じゃなかったら、

最後までやり遂げられずに不完全燃焼でした。

 

ここでのポイントは、私は誰にも相談しなかったこと。

周りの人に相談して回答を得たとしても、

私は私なりの完璧のために行動することに変わりないからです。

 

それに、私自身も相談を受けたとしても、(恋愛以外も含めてですが)

「私の意見はあくまでアイデアの一部として捉えて。

決めるという行為には本人の意見があるだけだよ。」

と伝えています。

 

この「自分なりの完璧を極める癖」に気づき、

色々と考えた結果、

私は私のことをどんどん好きになれるのではないか?

と思いました。

 

恋愛の話に目を向けると、

・今まで異性にそこまで興味がなかったのに、こんなにもしっかり興味を持てた。

・自分のためではなく他人のために工夫が出来る自分を見つけた。

・自分の気持ちに嘘を吐かず、かつ出来るだけ不快な表現を避ける経験を得た。

・他人との感情や行動の差を分析する力が身についた。

・感情コントロールや今まで出てこなかった感情に触れられた。

などなど

当時は成果(=相手が振り向いてくれること)を願っていましたが、

一度過ぎ去ったもの中から拾い上げていくと、

成果の捉え方を変えれば大収穫だった。

 

私は少しでも変われる人間なんだと考えることが出来ました。

では、私が色んなことを得られたんだと気付くということは。

 

好き切った、当時は…願っていた、とあります。

つまり、もう今はエネルギーがありません。

好きという感情も完全ではないもの、大方消えました。

 

あまりにも大きい熱量の差があり、

一抹の寂しさは感じましたが、むしろ、

ここまでやり切った自分に拍手👏

後悔、未練、不足。何一つ感じません。

 

ここで大事なのは、

あくまで自分基準の完璧である

ということです。

 

私がやり切った完璧というものは、

他人から見れば、もっと改善する点や、

取り入れる思考、努力の仕方やその量など、

多角的に見れば完璧ではないということです。

 

私自身がそれを理解した上で、

自分が思う完璧を出来たら花丸満点と納得しているのです。

数値に出来ないものに対しては、絶対的な100%でいい。

相対的な100%を求める必要はないと考えています。

 

だって、相対的な100%なんて不安定だから。

自分が絶対と決めれば、絶対的な100%は安定する。

ここで自由人のB型発揮ですかね😂

 

自分の決めた絶対でやり切った自分。

日本は他人と自分を比較するお国柄です。

誰かの決めた絶対で揺らいでしまう人。

自分と誰かだったら、自分を基準にした方がいいんじゃ?🤨

 

もちろん、人間社会にはルールがあるので、

誰かの決めた絶対に従う必要はあります。

それに抗って自分基準で全てを決めろとか、

自分なりに変えていけという訳ではないですよ😂

 

それに従うと決めた時、基準はあくまで、

誰かの絶対に従うことを、自分が絶対にした。

ということを忘れないといったイメージでしょうか。

伝わっているか少し表現が曖昧かもと思っていますが、

とりあえずはこの表現で。

 

でもな~絶対と相対、定量と定性について、

私の考えを整理すると矛盾するかもしれない…

 

次回はそれについて触れて、

自分の考えを整理できればと思います。

 

今回はここまで👋